白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

総裁選で注目される「東北の首相」

自民党総裁選が始まったということで

地元でもずいぶんと活動しているようである。

下馬評としては菅義偉官房長官が独走状態との由。

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「令和おじさん」として一躍有名に(首相官邸HP)

安倍晋三首相の後継として指名されたも同然で

「令和おじさん」として広く知名度もあることから

他の岸田文雄政調会長石破茂防衛庁長官を引き離しているのだ。

官房長官は、自民支持層からは大きな支持を得ているが

アイヌ新法」を推進して公費を無駄遣いしたとして

その方向性に疑問を呈する人も多い。

誰が総裁になったところで、来年の衆院選のつなぎに過ぎないと

誰にも期待していないという声も聞かれる。

もちろん、他の2人と違い、世襲議員ではないことも大きい。

秋田県から集団就職で上京し、工場で働いた経験もある庶民派。

そこから政治家秘書となり、横浜市会議員を経て、政治家として大成する。

菅氏が総裁となれば、必然的に首相にもなるわけで

秋田県出身初の首相が誕生することになりそうだ。

 

東北地方で岩手県出身者の首相経験者が5人

 

東北地方はパッとしない地域ゆえか、あまり首相を輩出しないイメージがある。

しかし、実は東北地方の中でも岩手県だけが突出して首相を輩出している。

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「平民宰相」といわれ大衆に広く親しまれた原敬wikipediaより)

原敬齋藤実、米内光政、東条英機(生まれは東京だが本籍は盛岡市)、鈴木善幸

の5人も輩出しており、8人の山口県に次ぐ2位である。

山口県長州閥が長らく続いたから、政治に強いのはわかるが

岩手県が多いのはどういうわけだろう。

賊軍と呼ばれた反動というには、仙台藩会津藩米沢藩が奮わない。

ただし、戦後の鈴木善幸以外では、天皇陛下の信頼が厚く、かつ忠義の人である。

悪いイメージが先行している東条英機は、実は昭和天皇への忠義は人一倍で

対米英戦やむなしとなった際において、昭和天皇のご希望に沿い

再度外交交渉を行っている。また、終戦直前には徹底抗戦を主張していたが

昭和天皇に諭されるや、その主張を引っ込めるなど、あくまで忠義を貫いた。

岩手県の風土に要因を求めるのはどうであろう。

 

ハングリー精神と競争相手が人を育てた?

 

盛岡藩は、現在の岩手県の大部分を治めていたにも関わらず

その石高はわずか20万石と少ない。というのも山地が多く

寒冷地でもあることからコメの収穫は奮わなかったからである。

そこで、馬の生産に力を入れ、南部産の馬は有名になった。

また良質の鉄が採れたので、南部鉄器といった工芸品も開発された。

つまり、不足している分を既存のもので工夫したのである。

さらに南の伊達家や北の津軽家とはたびたび衝突し、特に津軽家は

もともと家来筋だったのを勝手に独立されたという認識から

その遺恨は明治以降も残った。

良き(?)競争相手にも恵まれたことも、岩手県の人材を生み出すきっかけに

なったのかもしれない。

今でも仙台はやれ動きが鈍いだの、内側にこもっているだのと

言われている。宮城出身の政治家は奮起して、天下を目指すくらいの

気概を見せる時であろう。

政治家が挨拶状を出すのは禁止!?

先日、僕が勤める会社で大掃除と模様替えを行った。

コロナ禍の中で、密を避けようというわけで

席を大きく離した結果、僕が上席の役員のようになってしまったから

かなりネタにされてしまっている。まあ面白いのでいいかと思っているが。

 

自筆に感心したのも束の間、実は…?

 

さて、掃除をしていると、僕の書類の中から某町長からの御礼文があった。

この町長は、本当によく声を掛けてくださる方で

地域のまちづくり会社の株主になっていることもあろうが

仕事上の付き合いも快く引き受けてくださっては

その代わりといってはなんだが、愚痴を聞かされる。

数日するとその町長から御礼のハガキが届くので

「律儀で筆まめな方だなあ」と感心していたのだが

実はそれだけでもないらしいことがわかった。

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戦前の政治家中野正剛の手紙。現在でもこのように自筆である必要がある(ヤフオクより)

非常に厳しいことだが、挨拶状などの類は、選挙の候補者等が

出すことは選挙期間外でも禁止されているのである(公職選挙法147の2)。

しかし、例外があって、「答礼のための自筆によるものは禁止

の対象にはならない」。つまり、件の町長の場合

「先日は訪ねてきてくれてありがとう」というもので、訪問への

答礼であるから例外に当たるのである。

じゃあ年賀状や暑中見舞いなどはどうなるのか。

原則は同じである。時候の挨拶であろうと、何らかのお祝い状であろうと

政治家側から送ることは禁止されている。

あくまで有権者側から来た手紙の返礼状である必要がある。

または送らないことが安全ではあるが、それはそれで相手の気分を損なうから

面倒だと思いつつも、自筆のメッセージを書くべきなのだ。

有名な政治家から手紙が来ても一般の方は

「どうせ秘書でも書いてるんじゃないの?」とまっさきに思うであろう。

法ではそれが禁止されているので、自筆だと思っていただいて大丈夫である。

筆跡なんて誰もわからんだろうと、秘書が書くこともあろうが

バレたら事なので、自筆のことが多いようである。

僕のように手紙を書くことや、議会控室に直接伺うことが多い場合

さすがに誰が書いているのかわかってくるもので

これは慣れというほかない。

 

電子メールも注意必要、但しグレーゾーンも

 

では、電子メールはどうなのだろうか。

電子メールの場合、そもそも自筆などにできるわけがないので

そのあたりは緩い。但し、内容によっては事前運動ととられかねない。

従って、政治家側から有権者に電子メールを送る場合

後援会からのメルマガ形式にすることが多い。

一方で、LINEやメッセージなどの簡潔なやり取りまでは

さすがに規制しきれないようだ(選挙運動はきっちり定められている)。

このように、ネットでのやり取りが多様化する中で

法のほうが追い付いていない場合があるのが法の欠点である。

とはいえ、政治家には様々な制約がついて回る。

ぜひ、将来政治家になろうという方は今からでも気を付けていただきたい。

 

 

台風がピークか。気象庁へ課題山積

台風10号が非常に強い勢力を保持したまま北上を続け

ついに九州のほぼ全土を暴風域に巻き込んだ。

9月7日1時現在の状況である。

天候情報のウェザーニュースによると

6日22時の段階で中心気圧は945hPa

最大瞬間風速は60メートルにも達する。

和歌山県大阪府までもが台風の勢力域に入っているとのことだ。

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雨雲の様子(気象庁HP)より

気象庁や地元行政は5~6日の段階ですぐさま避難を呼びかけた。

記録的高潮・大雨による洪水が予測され、今年7月の大雨も

苦い記憶として残っているからだ。

幸か不幸か、気象庁の予想は外れ、最大瞬間風速が80メートルから

60メートルに引き下げられ、実際長崎県雲仙岳で41.2メートルが観測

された。

 

SNS気象庁への批難の声相次ぐ

 

この台風の「下方修正」を見て

「なんだよ大したことないじゃん」と言う人がSNSで多数出現した。

しかし、自然災害というのは予知が難しい。特に昨今のように

災害が多様化し、しかもその被害が年々大きくなっているのを見れば

最悪のことを予見し、「すぐに避難してください!」と呼びかけるのが

モアベターなのである。

実際それで被害が思ったより少なかったら、それはそれで喜ばしいことだ。

肩透かしを食らうのはわかるが、そこはリスクマネジメントの点からも

適切だったのである。

一方、「気象庁のサイトが見にくい!」という声もある。

僕もよく気象庁のサイトを見に行くが、確かにゴチャゴチャしすぎていて

目的のデータにたどりつくことが難しい。

それから情報発信についても、課題は大きい。

午前2時に気象庁ツイッターアカウントを見に行ったが

最終更新は12時間前のものであった。

日曜の、しかも夜中に何とかしろというのは酷ではあろうが

この台風の最中である。不安に思う住民もいよう。

そんな時に一番に頼るのが気象庁であるのに、その気象庁

更新していないというのは、いささか怠慢に過ぎるのではないだろうか。

これを見た人は「なんだ、気象庁も途中から飽きたのかな」とか

思うのではないだろうか。

もし、台風がさほど強くないということなら

「現在の風速は〇メートルで、どこそこの地域はピークアウトしました。

こういうことに注意が必要です。こういう備えをしてお休みください」

といった「締め」が必要ではないだろうか。

 

台風にも我が国ならではの表現が

 

話は変わるが、台風のことを古語では「野分」という。

野原の草を分けるほどの強い風が吹くことからこう名付けられた。

帝国海軍では、駆逐艦「野分」がおり、初代「神風」型駆逐艦なのだから

言葉遊びとしては風流である。

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駆逐艦野分(二代目の陽炎型である)

 

いささか話が逸れた。

まだ台風の最中である。ぜひお住まいの方は引き続き

警戒を怠らず、地元行政の指示に従って行動していただきたい。

気象庁は、今回の件で課題ができたと思う。

今後も大きな災害は続くであろうから

ぜひ情報発信をわかりやすく、そしてこまめにお願いしたい。

 

 

体内の勉強にぴったり!「はたらく細胞」劇場版が公開中

はたらく細胞」という作品をご存知だろうか。

私たちの体ではさまざまな細胞がおよそ37兆個活動している。

それらの働きや特徴などを人に例える

「細胞の擬人化」アニメーションである。

原作は同名のコミックスで「月刊少年シリウス」で連載中だ。

その劇場版である「はたらく細胞!!」の公開が始まり

さっそく僕も見に行った。

 

海外の医師も賞賛!「医学校の教材に使える」

 

劇場版では、「免疫細胞」だけではなく一見何の働きもしないような「一般細胞」

体外物質である乳酸菌も登場し、それぞれの活躍が描かれている。

いちいち細胞が登場するとナレーション付きで説明してくれるので

細胞のことを知らなくても、とてもよく理解できる。

僕がこの作品に興味を持ったのは、テレビ放送の時に

「Dr Hope's Sick Notes」という動画を見たからである。

英国在住で細胞マニアを称するホープ医師が、「はたらく細胞」を見て

大変賞賛していた。その日本語訳が、ニコニコ動画に上げられている。

「医学校の教材にも使える」とプロの医師が賞賛するほどで

僕自身、とても勉強になると思いながら見ている。

しかも、最近では新型コロナウイルスも蔓延していて

病理学…とまではいかないまでも、なぜ新型コロナが

免疫系の白血球やキラーT細胞で対処しきれないのかが理解できる。

私たちの体内には、細菌やウイルスを攻撃する細胞がたくさんいるが

いずれも、前例主義的なところがあって

初めて戦うウイルスには歯が立たないのだ。なぜならば、そのウイルスに

効く戦い方を知らないからである。

インフルエンザウイルスなら、A型やB型など特定できれば

それに対応する攻撃の仕方がある。既に治った体内にはそのウイルスに

対応するための抗体ができ、次にそのウイルスが侵入してきても戦える。

 

人の体とは本当によくできているものである。

 

気を付けよう、腸内環境

 

さて、劇場版では腸が主な「舞台」となる。通常、腸には体に有害な

悪玉菌が10%ほど、それらを退治する善玉菌が20%いるが

圧倒的に多いのが、両勢力の有利なほうに味方する日和見菌70%である。

初めて知った存在だが、洞ヶ峠を決め込む筒井順慶、合戦の最中に

弁当を食い始める吉川広家みたいで、実に人間臭いなと笑ってしまった。

とにかく、腸内環境はこのように善玉と悪玉が戦っているわけだが

ストレスや体への負担が大きくなると、善玉菌の勢力が弱まって

悪玉菌の勢力が大きくなり、便秘や下痢になったりする。

当然これらが続くと肥満の原因になったり、がんなど深刻な事態になる。

だからこそ、腸内環境を整えることが大事なのだ。

このアニメを見ると、体を大切にしなきゃいかんなと身につまされる思いだ。

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買ってきてしまった腸に良い乳酸菌

実は、僕の祖父はもともと細菌学を修めていて

乳酸菌(ヤクルト)を飲用した後の便にどれほど大腸菌(悪玉菌)が

残っているかを論文として残していた。

それを、ヤクルトの支社長(当時)とお会いした時に話したら

「ぜひ読ませてほしい」といわれ、PDFにして送ったことがある。

論文自体は終戦から数年後のもので、現在と比べたらしょぼい成果かもしれないが

ヤクルトを使った研究ということで、何らかの歴史資料に使ってもらえれば幸いだ。

そういういきさつもあって、今回の劇場版は特に感慨深く拝見した。

観客には子どもから若いカップル、おっさんまで様々な年齢層がいたから

ぜひ多くの方に、作品を通して細胞の働きを知ってもらい

健康に気を付けようという気持ちになってもらいたいものだ。


『「はたらく細胞!!」最強の敵、再び。体の中は“腸”大騒ぎ!』本予告

心身のリフレッシュなら峩々温泉へ!(宿泊レポ)

以前少し書いておいた記事がある。

本当の「休暇」とは何だろう?であるが

実はリアルの友人から好評だったので詳述していきたい。

kick.hatenadiary.jp

 

この峩々温泉というのは、宮城県の南部。蔵王町を抜けて

山形県の県境近くにある。遠刈田温泉を抜けてさらに山中に位置する。

仙台市中心部から車で向かうと1時間30分程度だ。

8月1日、仕事の忙しさと、党務の煩わしさから僕のストレスは頂点に達し

「もう峩々温泉に行かねーか?」と友人Aを誘った。

宮城県を歴史や風土などを再発見してもらおうという本があって

ここに峩々温泉のことが書いてあったため、一度行ってみたいと

思っていた。今が好機だと思ったのだ。

友人Aは「いいよ」とあっさりしたもので、すぐに予約を取り

友人の運転でさっそく出かけた。

 

日本三大胃腸の湯としても有名

 

この峩々温泉。変わった字を書くと思われるであろう。

大昔、地元の猟師が近くを通りかかった時、ケガを負った鹿が温泉に入って

傷を癒しているのを見たことから始まる。

蔵王のお釜にも近いため、登山客やトレッキング客に利用されてきた。

その峩々温泉に向かう前に、我々は遠刈田温泉で昼食を食べ、散策をした後に

蔵王エコーラインに合流し、峩々温泉を目指した。

途中から霧がかかり、前方の視界が全く見えないほどであった。

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あまりにも山中のためガスがかかっている

霧に苦労しながらも、何とか着いた峩々温泉のロッジ風の建物。

車が結構止まっていたが、登山客のものだろうか?

建物自体はとても大きく、立派なホテルほどの大きさはある。

霧のためよく見えないが、建物は3階建てで、しかも奥行きはかなり広い。

入口らしきドアを見つけてそこから入ると、オーナーだろうか

中年の男性が迎えてくれた。

靴を脱ぎ、スリッパに履き替えてロビーのようなところへ入ると

そこは既に癒しの空間だった。

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談話室。リクライニングチェアや座敷がある。Wi-fiはここしか通じない

リクライニングチェアや座敷、もちろん普通のテーブル席もある。

奥のほうにはハンモックもあった。

暖炉もあるし、本棚にはさまざまなジャンルの本があり、実に興味をそそられた。

まずはウエルカムということでお茶とお菓子をいただいた。

この時点で既に体の力は抜けきってしまっていたのだが

その前にチェックインの手続きと、客室に行かなければ。

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定員2人の部屋。1人でゆったり使えるが2人だとギリギリかもしれない

客室に通されると、既に布団が敷いてあった。

定員2人だが、ここはもしかしたら1人で優雅に使うべき部屋なのかもしれない。

ポットには冷たい石清水が用意され、これが実に美味しかった。

が、ここで既に電波が圏外になっていることに気づく。

オーナーからは、「談話室以外では電波届きませんのでー」と

言われていたのだが、圏外表示を久々に見たのでちょっと驚いた。

「もしかしてデイリーミッションできねーじゃん!」と嘆く僕だったが

「じゃあ談話室に行く?」と友人Aの提案で、談話室に戻った。

先ほどのリクライニングチェアが気に入ってしまい、再度座る我々。

Wi-Fiの設定をした瞬間に次から次へと通知が来て

……無視することにした。ただいま休暇中です。

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これが宮城峡の温泉割

実は、18時の夕食までは「ハッピータイム」といって

すべてのドリンクが500円で楽しめる。ということで

「宮城峡」の温泉割を注文した。宮城峡といえば、ニッカウヰスキー

宮城蒸留所で製造しているが、昨今のウイスキーブームで品薄が続いている逸品。

それに峩々温泉の温泉水で割ったものだ。

非常に飲みやすく、あまりアルコールの強さも感じない。

それでいて、ウイスキーの風味がしっかりしていて、とても飲みやすいものであった。

ひとしきり寛ぐと、友人Aが「今なら温泉混んでないだろうから行こうぜ」という。

もちろん、否やはない。さっそく向かうことにした。

が、その前に、談話室の横にはおもしろいものもある。

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日本三大胃腸の温泉の効き目は確かだった

飲泉もできるのである。蛇口をひねると、温かいお湯が出るのだが

ガブガブ飲んではいけない。一口一口噛みしめるように飲む。

酸味と塩分が混ざったような味で…まあ飲める、という程度だが

これが後々効いてくるのである。

峩々温泉には、温泉が3つあって、一つは貸し切り露天風呂。

これは階段を上っていく必要があり、いささか手間だ。

もう一つは内湯、それから普通の露店風呂。

最初は貸し切り露天風呂に行く。お風呂の入り口には札がついていて

ひっくり返すと「使用中」にすることができる。

服を脱いで外に出ると、友人Aが叫び声をあげた。

「お、なんだなんだ」と言っていたらば

「蛇!蛇がいるよ!」という。何分日も暮れてきてよく見えない。

スマホのライトで地面を照らすも、何もいなかった。

「どこ?いないじゃん」と僕が回りを照らすも

「どっか逃げたんだよ、でもいたんだよ!」と後々まで言い続けていた。

露天風呂は工事用の簡易階段を上っていくとあり、特に洗い場などはない。

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自然に囲まれて気持ちが良い

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なぜ恵比寿様と大黒天が鎮座しているのかは不明だ

4~5人は入れるであろう湯舟と、なぜか壁際には恵比寿様と大黒天が鎮座している。

温泉の温度はちょうど良い感じで、ずっと浸かっていられるほど。

しかも自然に囲まれ、すぐそばを大きな川が流れているため

そのせせらぎを聞きながらゆったりと温泉を満喫した。

「いいなあ…こんなのないなあ」という言葉がため息と一緒に出る。

時間を忘れてしまっていて、気づいたら一時間である。

夕食の時間も近いということで、露天風呂を出て食堂に向かった。

 

コロナ禍で客足未だ戻らず

 

食堂を見て分かったのだが、宿泊客は他に2組程度。

オーナーに「やはりお客さん戻ってないですね」と聞くと

「土曜日なのにこれですよ」と嘆きの言葉が漏れた。

「でも、逆にこれでいいかもしれませんね。感染が怖いので」と

付け加えた。やはり、未だに新型コロナへの不安はぬぐえないようだった。

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料理は山菜や川魚がメインだ

これに、煮物や芋煮、ご飯がつく。山の幸が盛りだくさんという感じで

満腹だった。特に僕と友人Aは芋煮を大層気に入り

お代わりまでするほどだった。

この後、談話室で食後のデザートである、ゆずシャーベットをいただき

やはりゆったりとくつろいで、それから内湯に向かった。

この時の写真はないのだが、内湯はとても熱くて入れたもんじゃなかった。

だが、正しい入り方が別にあって、直接入ってはいけないのである。

湯舟の脇にマットを敷き、そこにあおむけに寝て

体の不調があるところにお湯をかけるという寸法であった。

僕はまさに胃の調子が悪いものだから、胃にお湯をかけていたところ

しばらくすると、その部分が痛くなって、効いている感じがしたのである。

もちろん、普通に入れるお風呂もあるので、通常の入浴も楽しめる。

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ほとんどが間接照明で、落ち着いた雰囲気を演出

館内の照明はほとんどが間接照明で、木造ということもあいまって

とても暖かさを感じる雰囲気。もちろん客室に戻る時も飲泉は欠かさない。

だが、客室に戻って、スマホは使えないから読書をしていたところ

友人Aが「何かさっきから屁が止まらないんだけど」と言い出す。

実は僕もそうだった。これは飲泉のせいなのだろうかと調べてみると

効能に便秘と書いてあった。正直、ナイシトールを飲むより効果があった。

僕たちはもう一度温泉に入ると、既に消灯していた談話室のリクライニングチェアで

再びまったりし、デイリーミッションをあらかた終わらせて

意気揚々と客室に戻るのであった。もちろん、戻る前に飲泉を忘れずに。

こんな脱力の塊のような状態で、酒など飲む気持ちでもなく

周りの部屋も静かだったから、しばらく読書をしてから

「じゃあ寝るか」となって就寝した。

非常によく眠れて、寝起きもすっきりだった。

友人Aは温泉が好きなので、さっそく温泉に行こうとしていた。

貸し切り露天風呂を再び堪能したが、朝は朝で鳥のさえずりや

朝ならではの匂いなど、雰囲気がまるで違う。スッキリした雰囲気の中で

温泉を楽しむ。やはり自然に囲まれて、ちょうどいい温度の温泉は最高だ。

朝食の写真を撮っていなかったが、ボリューム満点の和食膳であった。

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景色を眺めながらのコーヒーもオツなもの

窓際に座り、水出しコーヒーをいただく。

外を流れる川や、山々を眺めながらいただくコーヒーは最高の贅沢だ。

そういえばと、オーナーに聞いてみた。

「ここに温泉神社はありますか?」

「ありますよー」

「歩いて行ける場所にあるんでしょうかね」

「ええ、大丈夫ですよ」

と軽い感じで言うものだから、すぐ行けるのかなと思った。

外出用のサンダルに履き替え、中庭から出ると、階段らしいものが姿を現した。

らしいもの、というのは途中崩れていたりして

雨で滑るわ、ところどころ壊れそうになっているわ、危険だったのである。

やっとの思いで階段を上る切ると、そこに神社が。

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左が温泉神社。右側は稲荷神社のようであった

雰囲気がある神社である。温泉神社がない温泉地はまずない。

温泉というのは、いろいろなご神体として崇められてきたからである。

代表的なのは湯殿山であろう。お湯というのは、産湯にも使用する。

これは生命の誕生を表しており、しかも病気やケガにも効くとあっては

やはり神様と思うのは当然であろう。

われわれは素晴らしい体験を神様に感謝し、再び客室に戻った。

客室に戻り、さて帰ろうか…と荷造りをしていて

テレビをまったく見なかったことに気づいた。

そういえば、今何やってるんだろう…と試しに付けてみると

サンデーモーニング

すぐにテレビを消した。

 

チェックアウトの時に

「本当に癒されました!また来たいです」と感想を言うと

大層喜んでくれた。しかも我々がしょっちゅう飲泉していたことを知っていて

「どうぞ汲んでいってください」と勧められた。遠慮なく大量に汲んだ。

ここのお宿はホスピタリティーもしっかりしていて気に入った。

心身のリフレッシュだけでなく、デトックスまですることができた。

ここから数日は心身ともに快調だったのである。

久々に当たりどころか大当たりの宿であった。

我々はこの素晴らしい体験を帰りの車内で回顧しては

「再びここに来よう」と固く誓い合ったのだった。

 

峩々温泉公式サイト

gagaonsen.com

陸軍の「三長官会議」とは?

たまたま、映画「日本のいちばん長い日」を見ていて気になったところがあった。

山崎努演じる、鈴木貫太郎首相が杉山元陸軍大臣のもとに伺い

「阿南大将を入閣させていただきたい」と要請するシーンがあるのだが

杉山大臣は、「すぐに陸軍三長官会議を開きます」と応じてすぐに

阿南大将の入閣条件を話し合う。そこで僕はおや?となった。

陸軍三長官会議で陸相って決まるんだっけか?と思ったのである。

 

陸軍を代表した三つのトップ

 

この「陸軍三長官」とは

軍政のトップである陸軍大臣(当時は杉山元元帥)

軍令のトップである参謀総長(当時は梅津美治郎大将)

教育のトップである教育総監(当時は畑俊六元帥)

である。なぜこの三長官会議が必要なのかといえば

当時の陸軍大臣というのは、現役の将官でも大臣になれる

「現役武官制」を敷いていた。これにより、予備役の将官よりも

現役でいたほうが陸軍に対して影響力を保持したまま大臣になれるわけで

陸軍内部の統率こそが陸軍大臣に期待された役割であった。

ところが、現役の将官であれば、その人事権は依然として陸軍が持っている。

そのため、陸軍が「大臣を出さぬ」と言えば、その内閣は組閣すらできずに

流産してしまうのである。

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陸軍三長官を経験した杉山元元帥

ここで出る「陸軍」というのは陸軍組織そのものを指すが

それを代表しているのがこの三長官なのである。

事実、1940年には海軍出身の米内光政内閣に三長官会議は

陸軍から大臣を出すことを拒否し、内閣を総辞職に追い込んだ。

 

三長官に手を焼いた東条英機

 

とはいえ、陸軍はもともと一枚岩というわけでもなく

軍政のトップである陸軍大臣と、軍令のトップである参謀総長

対立することはザラであった。参謀総長は作戦を担当するのに対して

陸軍大臣は内閣の一員として国家全体を見る必要があったから

政治家としての側面が大きかったためだ。

そのため、予算配分や作戦の遂行を巡って陸軍内でも対立が起こることがあった。

大東亜戦争時の東条英機首相は陸軍大臣参謀総長も務めたから

「実質独裁者だ」という指摘があるが、陸軍内の軍令・軍政の統一化を図ったためで

それが成るとすぐに交代している。

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東条内閣の集合写真。首相のほか陸軍大臣も兼務していた

k東条首相は、実は大きな自身の派閥を持たなかった。それゆえに

近衛内閣の陸軍大臣の時から、海軍との折衝はもちろん、同じ陸軍内でも

開戦について、かなりせっつかれたのである。

当時から、杉山元帥をはじめ佐藤賢了軍務課長からも「器が狭い」と批判されたりしている。

これらの批判を抑えるためには、自分が陸軍のポストを独占するほか

なかったわけである。

以上のことからわかるように、陸軍という組織は実にしがらみだらけで

しかも青年将校が力を持った昭和初期から中期には、彼らの暗殺の影も

警戒しなければいけなかった。

その反省に立って、戦後のわが国は自衛隊の指揮は文民統制が原則になっている。

ところで元自衛官といった場合はどうなのだろうか。

自衛官防衛大臣になれないといった制約でもあるのだろうか。

寡聞にして聞いたことがないのではあるが。

 

KAT-TUNの亀梨和也が「事故物件住みます芸人」演じる!

僕がその作品の存在を知ったのは、コンビニの告知ポスターであった。

「事故物件 恐い間取り」という映画だ。

ホラーが好きな僕だけども、実は居住性マニアでもある。

例えば、フェリーの船室はこうなっていて、これがあると良い部屋だねとか

住宅の間取りでも、ロフトがどうこう、収納がどうこうと

やはり気になるところはとことん見てしまう。

それで自分が泊まったり、住んだりしたらどうだろうと考えたりするのだ。

まあ、卓上旅行の住宅版だと思ってくださればそれで合っている。

 

「事故物件住みます芸人」松原タニシ氏とは?

 

ホラー大好きな僕が、いろいろと怪談モノを見ていると

松原タニシという芸人が「事故物件住みます芸人」として

売り出しているのを知った。もちろん見た。

いかんせん、キノコっぽい髪型が好きではなくて、さほど入り込めなかったが

「間取りで何があったか何となくわかる」というのはわかりみが深かった。

さて、事故物件というのは不動産業界では「心理的瑕疵物件」といい

住宅の施設がどこか壊れていたり、特別不便なところはないものの

前の住人が不自然な死に方をしたり、何か事件があって

居住することに抵抗感があるだろう物件のことを言う。

不動産業界では、これを告知する義務があって、もしこれを怠って

誰かが住んでしまい、後で嫌な思いをした場合、損害賠償の対象になるのだ。

 

ホラー界隈が戦慄したタニシの経験

 

その松原タニシ氏が、実際にその事故物件に住み、心霊現象をモニタリングする

企画があった。実際に住んでみようなんて、無謀なやつがいたもんだと

かなりの人気企画になり、今では怪談といえば松原タニシだと、売れっ子だ。

そんなタニシ氏が、実際に事故物件に住んで経験した現象を上梓した。 

事故物件怪談 恐い間取り

事故物件怪談 恐い間取り

 

 これを基に映画化したのが、同名の作品になる。

映画では、タニシ氏は「山野ヤマメ」という芸人にローカライズされ

コンビ「ジョナサンズ」が全く売れずに、相方から解散を持ちかけられるところから

始まる。途方に暮れたヤマメは、あるプロデューサーに

「事故物件に住め」と言われ、実際に住んだ事故物件で

起こった出来事を再現する形で物語は進んで行く。

ジョナサンズ時代からのファンでヘアメイク見習い、そして

霊能力があるという小坂梓一の手助けを得ながら、企画は成功するのだが…。

というもの。

ヤマメ役をKAT-TUN亀梨和也さん、小坂梓一役を奈緒さんがそれぞれ演じ

人気俳優や芸人が脇を固める。

亀梨和也さんが、冴えない(失礼!)芸人役を演じているのが大きなポイントで

よくここまで陰キャになれるよなと、正直びっくりした。

とはいえ、本作はそれほど怖いものではない。びっくりさせるシーンがいくつかがあるが

それ以外はさほどでもないし、自分がヤマメの立場だったら嫌だなと

感情移入しやすく作られているところか。

ただ、ところどころでギャグに走るところがあるので

純粋なホラーを期待していくと、拍子抜けかもしれない。

本作を見て、タニシ氏の作品を見たりすると、何倍も楽しめる感じではある。


映画『事故物件 恐い間取り』【特報】8月28日(金)全国公開