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「分不相応」を逆に利用する

「分不相応」という言葉がある。

その人物の役職や、立ち位置に振る舞いが合っていないということである。

分不相応というのを、僕は現在行われている仙台市議選でよく見た。

ある候補者である。

昼間は自転車に乗り、いかにも市民目線に立っているかのようにアピールしながら

その夕方には、駅前で街宣車の上から有権者を見下ろしていた。

いかにも表裏比興の者といったところだ。

政治家というのは、有権者に媚びてはいけない。

もちろん、踏ん反りかえって「センセイ、センセイ」などと言われる

偉い存在でもない。国民には政治家として戦っている姿を見せることが最も

有効な戦術になるはずである。残念ながら、政治家に発信力がなければ

せっかくの頑張りも届かずに終わってしまうのが、今の時代ならではだ。

 

兵卒に慕われた名将の狙いとは

 

さて、分不相応を逆に利用した人もいる。

支那春秋時代に活躍した、斉の将軍・司馬穰苴(じょうしょ)である。

名宰相といわれた晏子に後事を託されるほど名将であった司馬穰苴は

部下を愛することで有名であった。兵卒と一緒の食事を食べ

誰でも気さくに話をすることで、「何と兵士の心が分かる将軍だ」と

尊敬を集めていたのである。

ある日、とある兵卒が母に、司馬穰苴の指揮下に入ったことを報告した。

兵卒は、名将の軍に配属されてさぞや喜ぶだろうと考えていたが

母は意外にも「これでお前もおしまいだ」と悲しみ始めた。

これには兵卒も大変驚き、一体どのようなわけで悲しむのか尋ねた。

母の曰く

「司馬将軍は、兵卒に大変慕われていると聞く。お前ならば将軍のために

命を懸けて戦うだろう。それならば戦場で命を落とすことは必定なのだ」。

将軍として、実際彼の軍は晋・燕連合軍を破り軍功をほしいままにした。

そればかりか、彼は兵法家としても知られ、「司馬法」を著した。

司馬穰苴が、将軍のように兵卒と指揮官を区別して接していれば

兵卒の士気は上がらず、強国である晋には勝てなかったかもしれない。

あえて身の処し方を変えることで、その陣営は凄まじい力を発揮する。

選挙もまた同様である。候補者の動きは細かいところまで見られている。

「こいつ分不相応だな」と思われないことが重要である。

今は愚民政治といわれているが、有権者は悪い部分には目ざとい。

迎合的な人気取りは、すぐに看破されることを忘れないことだ。