白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

そうだ、言ってやれ!

今日は晴れ、やや冷える。
この3連休はあまり雨とか降ってほしくはないが。
まぁ降ったところで、記事書くだけの話なんだけどもね。


今日は取材。というか追加取材があって
その後、あっちゃこっちゃ行ってきた。



最近、同世代の知り合いからいろいろと相談を受けることがある。
というか、単に誰だったか忘れただけなんだけどさ。
とにかく、件の知り合いが言うには、こうだった。
「自分は仕事を一生懸命やっているが、たまたま一休みにしている時に
 それを上司に見つかり怒られることがある。上司は良い面を見ずに
 悪い側面だけを見るから、そのことをずっと言われる」と。
俺も似たような経験があるなぁ。もちろん、なんという理不尽だ。
と思ったことも何回もあるけど、段々慣れてどうでもよくなったが。
しかし、確かにこういう問題は他人事ではない。
荀子』にも載っている話でもあるが
「曾子、魚を食いて余あり。曰く、これを洎にせんと。門人曰く、これを洎にすれば
 人を傷わん。これを奥にするに若かずと。曾子泣涕して曰く、異心あらんやと。
 其のこれをきくことの晩きを傷みしなり」とある。
 つまり、曾子は魚を料理したが、少し余った。それを洎(スープ)に
 しようと言ったら、門人が「洎では腐敗が激しく、人を害するかもしれません。
 奥(漬物)にするのが良いでしょう」と言った。
 それを聞いた曾子は涙を流しながら「私は決して人を害しようとしたのでは
 ないのだ」と言った。それを聞くことが晩かったことを悔やんだのである。
 じゃあどうするかっていうと、「正しいことを言うのが君子である」という言葉も
 ある通り、普段のことを言われるならば、反論するべきである。
 些細なことかもしれないが、それによって上司の理解が得られ
 信頼感が強固なものになるのではないか。
 ちょっと怒られたからって「どーせ俺なんか」と腐っているようでは
 いつまで経ってもその程度。信念があるなら自信を持ち、誤解には毅然としよう。
 松下幸之助はいう。「事の成否を超えてなお大事なことは、力をつくすという
 みずからの心の内にある」
 まさに、その心を大切にしたいものである。
 

ちなみに、洎とは具が入っていないスープのことである。
具が入っていれば、羹となる。
斉の景公の時代に、本来ならば鶏肉を食膳に出すところを
給仕係がなんらかの理由で鶏肉を捨ててしまった。
洎となった食膳を見て、景公は、さすがに情けなくなり
「今日の膳は洎であった」とこぼした。
それに激怒した大夫が、大臣を糾弾し、内乱が勃発した例がある。
誠に、食の恨みは恐ろしいものである。