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仏テロ事件「和して同ぜず」考える機会に

フランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」が、ムハンマド
風刺した漫画を公表したとしてイスラム過激派団体が
7日、同社を襲撃し編集長をはじめとする12人が殺害された。
これについて、世論は「テロは許さず」という姿勢で一貫しているものの
シャルリー・エブド側にも原因があったのではないかと
表現の自由」に疑問を呈する意見も出ている。
曰く「風刺画は明らかにイスラム教を攻撃する目的で描かれたものだ。
この事件は起こるべくして起きた」
「報道は発表したことについて責任も伴うことを理解するべきだ」
というもの。


これは、われわれ日本人には非常になじみの薄い事件である。
わが国では皇室が攻撃されようと、神道が攻撃されようと
大規模な攻撃に出ることはないからである。
報道絡みでのテロといえば、朝日新聞社に対する「赤報隊事件」であろう。
この事件では、朝日新聞社の記者2人が殺害され、犯人も見つかっていない。
それ以前に僕は朝日新聞社は報道なのか、と疑問を呈したいところであるが。


「事件は起こるべくして起きた」「報道は責任を持て」という意見は
確かに理解できる。支那や朝鮮が散々反日活動を行ってくれているが
当然、それには国内の反日左翼の存在も一役買っている。
彼らに対して怒りが湧くのもやむを得ないことだ。
他国ならば、こうはいくまい。
それでも殺し殺されたという全共闘まで発展しないのは
刃傷沙汰以外で解決したい意志を持つ運動団体が大部分を占めているからだ。


「和」とは、何もケンカしないという意味ではない。
武を第一義とせず、ということなのである。
しかるに、「和を以て尊しとなす、というのに最近の右翼は…」と
批判する人々がいる。
彼らが言うのは、「和」ではなく「同」なのだ。
では、どう違うのか。
支那の故事からの引用であるが、ご紹介したい。
斉の国に晏子という名宰相がいた。ある日、君主である景公が
別の家臣が景公に唯々諾々とする様を見て
「あいつはわしと和するなあ」と述べた。
晏子は「それは和ではありません、同です」と戒めた。
景公は「どう違うのか」と尋ねたところ晏子はこう言った。
「例えば羹(スープ)はさまざまな具を入れることで初めておいしくなります。
これはそれぞれの具材が和するからです。しかし、彼の場合は湯です。
湯に湯を足したところで、どうして羹になるでしょうか」と。
景公は「そのとおりである」と晏子を賞した。
これが元になって「和して同ぜず」という言葉が生まれた。
「和」は意見や見解の相違はありながらも、協力すべきところは協力し
最終的には理想に近い国家を建設していくことにある。
この事件では、まさに「同」だけが取り上げられていて、「和」の部分が
圧殺されているように感じる。
これを機会に、ぜひ多くの方に「和」「同」について考えてほしいと切に願う。