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いわゆる「はやぶさ事件」始末記(刑事事件手続き編)

さて、私のことになりますが

一連の裁判がようやく終わりを迎えました。

令和4年4月から始まったこの裁判は、私が原告として実に3人もの人物を相手にして

行った法廷闘争であります。

きっかけは、当時はやぶさ党の党員(A)が、令和4年3月に私に対してツイッター上で

「菊地は党の集まりを抜け出して風俗に行った」

「もはや病気」「風俗大好きマン菊地」などと投稿したものです。

私は当然そんなことをするわけもなく

「そんな事実はありません。誹謗中傷ですから削除してください」と呼びかけました。

しかしAはそれを拒否。「風俗に行った証拠があるから消しません!」というものでした。

はてさて、困ったことになったと思いました。

ツイッター上では、私のリアルの友人もたくさんいます。その人たちに伝わっては

いささか恥ずかしい。「そんなことしてねえよ!」と否定するのは簡単ですが

私のノリの軽い友人たちは「風俗に行ったことにしろよ!男的にはありだよ!」とか

言うんだろうなあ…。

ああめんどくせえ!!

とはいえ、この時の私はそれほど深刻に考えてはおらず

そんな証拠はないし、1日放っておけば削除してくれるだろうと楽観的なものでした。

 

当日は一体何が起きていたのか?

 

では相手が主張するところの「菊地が党の集まりを抜け出して風俗に行った日」

当日に一体何が起こっていたのかをご説明しましょう。

時は平成30年10月頃(うる覚え)、日本第一党宮城県本部主催の

講演会に桜井誠党首(当時)をお呼びして、なかなかの盛会となりました。

余談ですが、この手の講演会は呼ばれる側は非常に楽なのですが

準備をする側は大変です。会場手配はもちろん、告知、プログラム、機材など

をどうするのか考えなければなりません。そしてその後必ず懇親会があるので

そのお店の手配や人数が増えた減った場合の対応、価格や場所などやるべきことは

本当に多いです。

そんなわけで、いざ講演会が始まっても、運営側はまだまだ後のことを考えなければ

ならないのです。講演会そのものは、スタッフの皆さんのご協力もあって

役割分担がスムーズでした。本当にありがたかった…。

 

講演会が終わった後、懇親会に人数を伝え、参加希望者をお店にアテンドします。

そこのお店は、東北一の歓楽街「国分町」にありました。

これも実は伏線だったのですが、後述します。

幸いにも、皆さんに食事とお酒を楽しんでもらい、皆さん上機嫌でした。

楽しい時間はあっという間ということで、大いに飲み、出来上がったおっさんたち

数人がゲラゲラ笑いながら店の前で談笑していました。

ようやく終わったー。じゃあ帰って寝るか。私はもう帰ることしか考えておらず

むしろ家が近くの党員さんに送ってもらう段取りをつけていました。

「じゃあ、お疲れ様で…」私がそう言いかけた時

「じゃあ次はカラオケですね!」党首がそう言い放った。

余計なことを…。

「いやいや、もう時間も時間だし、疲れたんで帰ります」

そう言うと、党首(泥酔)は「あなたがいないと始まらない!」と引き止め

周りの党員たちも「えー菊地さん帰るんすかーいいじゃないですかー」と便乗する始末。

めんどくせえ…こうなったら何を言ってもムダだ…。

私は送ってもらう党員と一緒に、無言でさっと姿を消し、そのまま帰宅しました。

彼らは結局二次会でカラオケに行ったようですが、その時に「菊地は風俗に行ったらしい」と

話しになったと聞きました。まあどうせ内輪の話だし、いいかと気にならなかったのでした。

 

裁判を決意した「瞬間」

 

はやぶさ党の党員Aは、このエピソードを曲解して

「二次会に行かずに大好きな風俗に行ったんだ!」と糾弾したわけです。

とはいえ、こんな話。「全然違う」と否定しておけば大丈夫だろうと考えていたのです。

話しの内容もくだらなさすぎるし。

 

次の日。

ツイッターを確認してみたところ

「おファビョりになるのは勝手ですが証拠があるので消しませーん」

 

これを見た瞬間。久々にブチギレました。

血が一気に頭に上り、それが噴き出すようでした。

マンガでよく見る、噴火するようなイメージです。

はい決定。絶対許さんぞこのやろう!!

私はこの瞬間、どんなに長くなっても戦い抜くことを決意したのでした。

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