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福島県本部、いよいよ設立へ!

7月1日、わが日本第一党東北地区では新たな県本部

すなわち福島県本部の設立のためのミーティングを行った。

スタートのための役員も出揃い、極めて充実した内容となった。

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実務的なやり取りがさっそく交わされていた

理想的なスタートというのは、出発する時に意欲がみなぎっているのは

もちろんだが、適材適所がしっかり機能していることだ。

例えば、事務作業が得意な人に会計をお願いする、SNSを長年やっている人に

広報をお願いするといったもの。何より、僕が感心したのは

ある程度議題が決まった後、福島県本部準備会の皆さんがそれぞれやり取り

していたことだ。大変な県本部は一人二役も三役もやっていて、気の毒だと

感じることもある。そういう意味で、それぞれが役割を自覚して

自発的に動きだすというのは、持続可能な組織の第一歩なのだ。

 

広すぎぃ!分散型の福島県

 

福島県は、わが国の中でも県域が極めて広く、宮城県のように一極集中

しているわけではない。大きく分けて、西の会津盆地・中央の中通り

東の浜通りとなる。これは、中世からの名残であり

会津といえば芦名氏、中通りは北側が伊達氏、南側が白河氏などが割拠

浜通りは北を相馬氏が、南を岩城氏が支配していた。

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県域が分かれている福島県福島県庁HPより)青が会津、オレンジが中通り、黄色が浜通り

意外なことだが、仙台を治めた伊達氏はもともと福島県北部の伊達郡

支配していた。その後、拠点を米沢(山形県米沢市)に移し、それから

岩出山を経て仙台に移ったという遍歴がある。

福島県はそういうわけで、どこか一つの都市がとびぬけているわけではない。

県庁所在地の福島市でさえも、郡山市ほど栄えてはいない。

郡山は福島県の中央部に位置し、県内のアクセス性が良いだけでなく

関東から北上すると宮城・山形に抜ける分岐点になるため、必然的に繁栄するのである。

とはいえ、それぞれの地方で拠点の都市があり、独自性があるのがポイントだ。

それで、「福島県の中で支部を設立できないか」という要望があったが

無理からぬことである。あまりに広いため、明治維新後には一時的ではあるが

岩代国と岩城国に分国されたことがあった。すぐに廃止されたが

それくらい広域なのである。ただ、それはそれで支部設立の届け出が面倒だし

時期尚早であるということで諦めてもらった。

人が増えて、各地域で独自の活動ができるようになれば、県本部からさらに細かい

支部というのもありだろう。

例えば、自民党などは福島県連があり、その傘下に福島市〇〇総支部などと

細かく組織されている。また共産党も、福島県中央委員会があり

福島市委員会があり、さらに地区委員会に分かれている。

そこまで成長できるよう活動を定期的にやることが重要だ。

 

アンチから学んだ自分の身の振り方

 

何をするにも、人が重要である。

実は以前、党本部で選対をやっていた時に、選挙上の注意喚起などを

定期的にやっていたのだが、「あいつ上から目線だな」と

書かれたことがあった。今だから告白するが、そんな自覚はなかったから

結構大きなショックを受けた。そして改めて自分の注意喚起文を見て

確かに偉そうだなーと反省した。それから党員の皆さんに接する時は

極力感謝を伝えることにしている。副党首と自分で名乗らなくなったのも

大仰な肩書きにあぐらをかかないようにするためだ(名刺など正式なものには

やむを得ず載せてはいるが)。

僕が私淑する晏子は、それを「抑損」とした。

晏子の生き様は、マネジメントにも通じる。

 

県本部設立はモチベ向上にも 

 

どれだけ自分も動きつつ、人にも動いてもらえるか

試行錯誤しながら、進めているが、幸いにも今回の福島県本部設立は

他の地域のモチベーションを高める結果になった。副次的効果ではあるが

宮城と福島で競い合うような関係になってくれれば、良い形で

発展していくのではないかと楽しみだ。

さて、福島ばかり肩入れするわけにもいくまい。新しい県本部だけでなく

既存の県本部発展にも力を入れなければと、あれやこれや画策している最中である。

東北の党員の皆さんが本当によく考えてくださるおかげだ。

東北地方、数は少ないし、活動歴もまだ浅い。が、決して他地域に負けない

ポテンシャルを持っていると確信している。党員の皆さんと共に

素晴らしい東北地区をつくっていけるだろう。ご期待いただきたい。