白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

感嘆符や疑問符の後に一字アキするのはなぜ?

あまり気づかれた人はいないかもしれないが

ウェブ記事と、新聞や雑誌などでは、文章の構成がいささか

変わっていることをご存知だろうか。

新聞や雑誌では、感嘆符「!」と疑問符「?」の後にはほぼ

全角アキがなされているのである。全角アキでは不自然だということで

半角アキ(二分アキ)にする場合もある。

例えば下記の産経の記事では、? の後に半角アキとしている。

 

世間の婚活事情に異変? コロナ禍で「パートナー欲しくなった」人が急増 1502人に調査(SankeiBiz) - Yahoo!ニュース

 

一方、ウェブ記事では、それを行っている媒体は少数派といってよい。

というのは、そもそもこういった記号は、既存のメディアではあまり使用しないからだ。

とはいえ、全く使用しないわけにはいかない。

文章を強調したい場合、例えば「ふざけるな」と「ふざけるな!」

ではインパクトが違うからである。

または「〇〇氏が有罪」「〇〇氏が有罪?」では意味合いが全く違ってくる。

即ち、どうしても使用しなければならない場合は次の字を空ける必要がある。

それらを踏まえると、下記のようになる。

解散に王手! 岸田内閣に異変? 自民党幹部が語るシナリオ

見た感じ、違和感がないだろうか。既存メディアがあまり感嘆符や疑問符を

使用しないのは、こういう縛りがあるからである。

 

絶対ではないが「必要」

 

ではなぜ、このような謎の定めがあるのだろうか。

印刷の際、記事はレイアウトつまり「組版」をするわけだが

このルールとして定まったものである。

僕と同じく思う人は当然他にもいるわけで、こんな記事もあった。

liginc.co.jp

意外なことにJIS4051に定められていたのである。

JISとは日本産業規格の略で、その名の通り産業製品の規格を統一化し

製品によって不具合や格差が生じることのないようにしたもので

工業製品につけられるものであったが、なぜかその範囲が拡大し

印刷業にも適用されるようになった。

わが国の工業製品はJIS規格をもとに製造されているから

その品質は保証されているわけだが、情報産業においては

JIS規格を遵守していないからといって処罰されることはない。

つまり、正式に印刷・出版を行う場合は必要ではあるが

あくまで任意であり、従ってこの規格が新興のメディアに浸透する機会がなく

字を空けるメディアと空けないメディアが混在しているのである。

 

具体的な方法は、(公社)日本印刷技術協会の小林敏氏が説明されている。

疑問符と感嘆符の組版処理 | JAGAT

 

 

東国保守の会が講演会「戦う皇室、国民はどうすべきか」開催

12月11日、埼玉県さいたま市内で

国保守の会が主催する講演会「戦う皇室、国民はどうすべきか」が

開催された。

最初、村田春樹氏がいわゆる「kk問題」をメインに講演し

眞子様に対するバッシングは皇族方が悲しむだけで、皇室では

誰も結婚できなくなってしまう。静観し見守ることが重要だ」と呼びかけた。

続いて、東国保守の会共同代表の菊地内記が講演し

「古代から日本人は疫病と戦ってきた。今は官民一丸となるべきだ」と話した。

出席したのはおよそ40人ほどで、他県からの参加も多数見られた。

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左、司会の川井誠二郎氏、中央、村田春樹氏、右、菊地

何気に切羽詰まっていた突然のトラブル

 

さて、実はこの時、予想だにしないトラブルに見舞われていた。

パワーポイントを使用するために、事前に実際に画面をプロジェクターに映して

テストをするのだが、いつも通り映像がプロジェクターに投影されたのを

確認し、後は始まるのを待つだけ…というタイミングで

プロジェクターの画面が消えてしまったのである。

あれ? と思い、操作しようとすると、ポインターがない。

やむを得ず強制終了すると、今度は立ち上がりが凄まじく重い。

それでも全く直らず、蔵さんも駆けつけて原因は何だろうかと

考えたものの、全く分からなかった。

致し方なく、誠に恐縮の限りではあるが、村田先生に代わっていただいた。

その間、何とかできないか悪戦苦闘していたが

蔵さんが「タッチパッドが認識していないだけではないか」と思い立ち

マウスを買ってくると走っていった。

ほんとかなあ…と半信半疑ではあったが、いろいろいじってみた結果

テンキーを使って何とか操作はできるようになったが、肝心のパワポ

スライドショーができない。すると、蔵さんがマウスを買って戻ってきて

取り付けたところ、ポインターが復活したのである。

すげえ! 蔵さん天才じゃん! と僕は内心喝采を送っていた。

お陰様で無事、僕も講演をすることができたが

申し訳ないやら恥ずかしいやらで、何とも不完全燃焼な内容になってしまった。

とはいえ、東国保守の会では久々の講演、特に東京の方々とはもう2年も

お会いしていなかったので、全く嬉しい再会であった。

 

皇室の勉強の機会、定例化するか?

 

ところで、僕が皇室を勉強しているからということもあるが

毎年のように皇室に関する講演会を実施しているように感じる。

考えてみれば、時事問題や政治的な講演はよくあるが

改めて皇室について勉強しようという企画はなかなか珍しいのではないか。

国保守の会で定例の企画にしても良いかもしれない。

 

【講演会】戦う皇室、国民はどうすべきか

東日本を舞台とする行動する保守運動の一つである

「東国保守の会」では、12月11日(土)埼玉県さいたま市内で

「戦う皇室、国民はどうすべきか」をテーマに講演会を開催する。

国保守の会は、勤皇主義を根本としているため

定期的に皇室に関する講演会を実施している。

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武漢ウイルス流行前に行われた講演会

行動する保守運動でも指折りの皇室研究で知られる村田春樹氏は

毎回講師をお引き受けいただいており、今回も示唆に富んだ

講演がなされること請け合いだ。

今回のテーマ「戦う皇室、国民はどうすべきか」では

皇室が疫病やスキャンダルなど、国民とともにありながら

多くのことに戦ってこられたことをご紹介する。

僕は「疫病に立ち向かった古代日本」ということで、現在猛威を

振るっている武漢ウイルスに関連して

古代日本が疫病に対してどのように立ち向かったのかをご紹介したい。

これには皇室も深く関わっており、例えば聖武天皇国分寺建立の詔や

薬院の設置など、疫病に対して全く無策ではなかった。

特に東北地方においてどのように疫病は考えられ

どのように対策をとったのかを勉強して参りたい。

この日、参加者の皆様と勤皇とは何か考える機会となれば幸いである。

 

〇要事前申し込み、詳細は下記URL参照のこと

【大宮講演会】戦う皇室、国民はどうすべきか【要申込み】 | 東国保守の会 公式サイト

 

新嘗祭に感じる第一次産業の重要さ

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新嘗祭献穀者と御会釈遊ばす天皇皇后両陛下(平成25年、現上皇上皇号両陛下)

本日は「勤労感謝の日」とされているが

もともとは「新嘗祭」といい、大事な祭りの一つである。

新穀を天神地祇に勧め、天子様がこれを間し食し遊ばす。

古くから庶民もこの祭りを行っており、現在の各神社で執り行っている。

従って国民等しく神恩に感謝し、同時に五穀豊穣を祈るのである。

戦前の神祇令によれば、新嘗祭が「大嘗祭」に当たるもので

延喜式』によれば中祀に当たるのであると、神道辞典にはある。

 

祭りにも種類がある!

 

神社の祭りには、そもそも区別が明確にされている。

大祭 例祭 祈年祭 新嘗祭 式年祭 鎮座祭 遷座祭 合祀祭 分祀

中祭 歳旦祭 元始祭 紀元祭 昭和祭 神嘗奉祝祭 明治祭 天長祭

小祭 月次祭 除夜祭など

国家やその神社の創建に関わる祭りは大祭で、皇室に関わる祭りは中祭

それ以外は小祭といったところであろうか。いずれにしてもその季節ごと

または月ごとに行われるので、大事な祭りである。

この中で、例えば神嘗奉祝祭とは、10月17日に行われるが

畏くも天子様が宮城で収穫遊ばした新穀や全国の農家から奉納された初穂をば

伊勢神宮において天照大神に捧げ奉るのである。

神宮はわが国国民の総氏神であらせられるから、全国の神社では併せてお祀りを

するのである。

大祭の中でも、例祭、祈年祭新嘗祭は「三大祭」と呼ばれている。

式年祭や合祀祭などは、節目ごとに執り行われる臨時の祭りである。

 

第一次産業こそが国家の大本である

 

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神饌は多くの御供えがなされる(神社庁HPより)

さて、新嘗祭で神々に捧げ奉るものを「神饌(しんせん)」と呼ぶが

何も初穂だけというわけではない。その他に捧げられる神饌は

酒、餅、魚、卵、野菜、果物、菓子、塩、水である。

献幣といって、布織物や、それに代わる幣帛料をお納めすることもある。

ここで、例えば化学調味料どっさりの物や、メイドインチャイナの幣帛を

非礼であって、お納めするのは神罰が下ってもおかしくはない。

わが国の第一次産業が国家の大本であるというのは、ここからも

見ることができようというもの。

皇室を始め、全国の神社では祭りを季節ごとに、或いは月ごとに

行っているので、神職の方々はとても大変なご苦労をされている。

神祇官が廃止された今、神職の方々をどう支えていくかも

考えていかなければならないであろう。

 

 

 

 

ガチで自分のルーツを調べてみたら…。

僕は母校の中学校の同窓会で、役員の末席を汚させていただいているのだが

昔の話をよく聞く上に、親戚がどうこうという話が出てくるので

自分の家系が非常に気になってしまい、本気で戸籍をさかのぼってみた。

よく「自分のルーツを調べたい」という人がいるのだが

苗字のルーツ自体は調べられても、自身の家の発祥については

なかなか調べにくい。だが不可能というわけではない。

 

役所で戸籍をさかのぼる!

 

まず手を付けるべきなのは、戸籍をさかのぼることである。

市役所の戸籍係に「父系の戸主を全部出してくれ」と依頼をすると

その市役所に届けられている戸籍が全て調べることができる。

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明治40年代まではさかのぼることができたのであるが…。

父系の戸主を調べるのは、わが国では家督相続ができるのは伝統的に男系だからだ。

僕が調べることができたのは4代前まで。

そこで新しく分家として当家ができた上、市町村が別になったため

保管されてはいなかった。戸籍は本籍地のある市町村に届け出られるため

本籍が変われば戸籍を保管する役所も変わるのである。

とはいったものの…明治後期までという微妙な時期で止まってしまった。

明治初期ないし幕末であれば、仙台藩の名簿があって、ただの町民であっても

租税だので調べることができるのである。

僕の場合、市役所がさかのぼれるところで止まってしまった。

 

菩提寺が記録している「過去帳」から探る

 

もう一つは、過去帳を調べることである。

これは、先祖代々が埋葬されている菩提寺が保管するもので

埋葬されている人の戒名と本名が記されているものである。

家によっては、仏壇の引き出しに入っていたりする。

ただ僕は、こっちを先に当たったのだが結論は既に分かっていた。

僕の曽祖父が分家した時に、墓石を別に立てたことから、それ以前の

過去帳を探すのはほぼできないのである。

新たに家をつくるというのは、その人が「家の祖」になるということであり

とても大層なことなのである。当家のルーツを探す上でまさかの壁が

別家を立てたということだったのだが

さらに祖先をさかのぼっていくことは、本家の戸籍を拾えばよいのだが

明治期の詳細な地図だとか、人名辞典などで調べることはできないだろうかと

いろいろ考えている。これはよほど有名な人でないとネットで調べることができない。

とはいえ途中で投げ出すとモヤモヤしか残らないので、いろいろなところを

当たってみるつもりだ。

なかなか根気の要る作業になりそうである。

 

自分を変えて、前向きにする組織論!

最近、党の周りで有象無象の騒ぎが起きてしまっている。

全くもって党の失策としか言いようがなく、役員の末席を汚す立場として

党員・支援者の皆様にお詫び申し上げる。

内容自体は非常に下らなく、巻き込まないでくれと心から言いたいほどだ。

 

人に変わってもらいたければ、まず自分が変われ

 

さて、前述の件とも関連があるのだが、先日兵庫県本部で

講演をさせていただいた。兵庫県本部と大阪府本部の良い関係を

見ることができ、僕自身満足している。

そこで僕がお話をさせていただいた中で、特に強調したいのは

「人に変わってほしければ、まず自分が変われ」

ということである。特に役付の方にお願いしたのであるが

わが党も大所帯になり、今後議員も定期的に輩出していくこともあろう。

もちろん、人に動いてもらう「マネジメント」も必要になるということだ。

わが党としても未知の世界に突入するということであり

それはつまり組織が成熟した政治団体、政党へと変化していくことである。

そんな時に、役付の人が昔からちっとも変わらないで

いるのは非常に問題である。

役付として失格とさえ言える。

なぜなら、変わらない人は現状に満足しているからである。

わが党はハングリー精神を持ち、常に多くの方が活動をされている。

それに胡坐をかいて偉そうにしていて人がついてくるわけがない。

地道に活動している方々のことをよく見て、自分も変わらなければならない。

自分が変われば、周りも変わるのである。

それはつまり、組織を変えることでもあるのだ。

現状に不満を言う人はまず、自分が変わる努力をしたかどうかを考えてほしい。

 

自分が変われば組織が前向きに!

 

そこで僕は、自分で自分自身をまず変えてみた。

一つは、怒ることを止めた。この怒るとは、政治への怒りではない。

公憤は大いにあって良い。これは自分自身だけではどうにもできないからである。

だからこそ人は政治団体を作り、自分たちが正しいと思う政治を実現していくのだ。

しかし私憤は、自分自身の問題である。

幸いにも人は、感情があり、言葉があり、コミュニケーション能力がある。

簡単な話で、そのコミュニケーションの中から怒りを選ばなければ良いのだ。

自分が怒りを選択し、相手も怒りを選択すると必ず絶縁するに至る。

それだけならまだ良いが、相手は必ず復讐の機会を探る。つまり敵になるのである。

だが怒り以外の選択肢をとれば、それはまだ修復可能である。

僕は、それこそ疑心暗鬼に襲われたこともあったが、これではいけないと考え

人との接し方を変え、自己評価を変えた。

具体的には、「役職ごとに職掌は違うとはいえ、人として意識の上で対等である」

と考えて接するようにした。

すると、あれほど他人を疑い、恨んでいたことがどれほど辛いことであったかを思い知った。

自分でもゆとりが出てきて、今ではいろいろ工夫をするようになり、非常に楽しい。

もう一つは、「他人は自分の思い通りにならなくて当たり前である」という意識。

他人は自分の人生を生きているわけではないし、他人に何かを期待をするのは

自分の勝手な評価である。「何でお前はこんなこともできないんだ!」と怒鳴る人は

実に身勝手である。かくいう僕も、選挙対策で「全戸訪問やるべし!」と呼びかけても

実際にやる人はほんの少数であった。その時はガッカリしたものだが

当たり前である。選挙の候補者は僕の人生を歩んでいるわけではない。

従って流儀はその人次第である。僕はあくまで助言に留めておくべきだった。

「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲むのは馬自身である」という

言葉があるように、実際に何を選択するのはその人なのである。

だから僕は、何かタスクをお願いする時に、基本的にやり方はその人に任せた。

すると、いろいろと考えてくれる人が出てきた。

「これをしたいがどうだろう」「これについて話し合いたいからちょっと来てくれ」

もちろんオーケー! 僕の権限内で許可するし、伺います!

もしできない時はきちんと理由を説明して納得してもらう。

組織はこれをしっかりやるだけで前向きに進んでいくのである。

人は過去に生きているわけではない。今ここを生きているのである。

だから今ここで判断できるものを判断すれば全然違う。

東北地方の党員の皆さんには気持ちよく動いてもらえていると良いなと

常に考えているし、そのためには自分が変わっていかなければと

毎日精進の日々だ。

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フロイトユングと並び心理学の大家とされるアルフレッド・アドラー

僕が変わるきっかけとなった、「アドラー心理学」は数年前にヒットしたが

胡散臭い自己啓発がまた流行ってんのかくらいの認識だったので

その時僕は歯牙にもかけなかった。今実践してみて、本当に良かったと思う。

ルフレッド・アドラーの心理学の書籍は多くあるから、ぜひご参考にして

いただき、いいとこ取りしてもらえれば幸いだ。

 

 

 

墓所で何故か石灯籠に食いつく。その理由とは…

先日、神戸市に伺ったおりに兵庫県本部長に希望を聞かれたので

「ぜひ護国神社様と、鎮守様にご挨拶したい」と申し上げた。

すると快くご案内いただけて、護国神社様と鎮守様にお参りができた。

これは僕がその土地に伺う際に必ず行っているもので

いわばルーティーンである。

で、ご案内いただいた湊川神社には楠木正成墓所があって

こちらも併せてお参りしたのであるが、非常に貴重なものを見つけた。

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灯篭の寄進は崇敬の度合いを表す

そう、石灯籠である。ただの石灯籠ではない。

江戸末期の播州尼崎城主からの寄進によるものである。

従五位下遠江守源朝臣忠興」とある。

実は武家官位というのは、格式や石高などにより、上限が決まっていて

例えば徳川御三家であれば従三位つまり公卿まで成り得たし

国持大名であればそれに次ぐ官位に叙任することができた。

従五位下というと…実はそれほど高くはない。

大名であれば、まあ最低限その官位にはなるというレベル。

で、その場で調べたところ、桜井松平氏の最後の藩主・松平忠興のことだと

分かった。ただこの尼崎藩譜代大名ながらかなり財政が厳しかったようで

石高は4万5000石というさほど高いとはいえない状況だ。

僕が着目したのは、この石灯籠は尼崎藩の歴代当主から寄進されており

楠木正成が極めて篤い崇敬を集めているようであった。

藩主が石灯籠を寄進することは珍しく、かなり特別視していたことが

窺える。

という話をしたら、本部長から「石灯籠に食いつく人は初めて見ました」

と驚かれてしまい、何とも気恥ずかしい限りであった。

 

物事をいろんな側面から見てみる

 

何事も、正面から見ることだけが正解ではないと僕は思っている。

例えば神社であっても、社殿の建築様式を見る人もいれば

祭神を見る人もいる。もちろん、その神社には敬意を持った上での話だが。

僕はたまたま、藩主による石灯籠の寄進を見つけたがゆえに

そっちに注目してしまったのだが、いつもお参りしている神社・墓所でも

少し視点を変えるだけで再発見があるかもしれない。

ぜひ、お試しいただければ幸いである。