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墓所で何故か石灯籠に食いつく。その理由とは…

先日、神戸市に伺ったおりに兵庫県本部長に希望を聞かれたので

「ぜひ護国神社様と、鎮守様にご挨拶したい」と申し上げた。

すると快くご案内いただけて、護国神社様と鎮守様にお参りができた。

これは僕がその土地に伺う際に必ず行っているもので

いわばルーティーンである。

で、ご案内いただいた湊川神社には楠木正成墓所があって

こちらも併せてお参りしたのであるが、非常に貴重なものを見つけた。

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灯篭の寄進は崇敬の度合いを表す

そう、石灯籠である。ただの石灯籠ではない。

江戸末期の播州尼崎城主からの寄進によるものである。

従五位下遠江守源朝臣忠興」とある。

実は武家官位というのは、格式や石高などにより、上限が決まっていて

例えば徳川御三家であれば従三位つまり公卿まで成り得たし

国持大名であればそれに次ぐ官位に叙任することができた。

従五位下というと…実はそれほど高くはない。

大名であれば、まあ最低限その官位にはなるというレベル。

で、その場で調べたところ、桜井松平氏の最後の藩主・松平忠興のことだと

分かった。ただこの尼崎藩譜代大名ながらかなり財政が厳しかったようで

石高は4万5000石というさほど高いとはいえない状況だ。

僕が着目したのは、この石灯籠は尼崎藩の歴代当主から寄進されており

楠木正成が極めて篤い崇敬を集めているようであった。

藩主が石灯籠を寄進することは珍しく、かなり特別視していたことが

窺える。

という話をしたら、本部長から「石灯籠に食いつく人は初めて見ました」

と驚かれてしまい、何とも気恥ずかしい限りであった。

 

物事をいろんな側面から見てみる

 

何事も、正面から見ることだけが正解ではないと僕は思っている。

例えば神社であっても、社殿の建築様式を見る人もいれば

祭神を見る人もいる。もちろん、その神社には敬意を持った上での話だが。

僕はたまたま、藩主による石灯籠の寄進を見つけたがゆえに

そっちに注目してしまったのだが、いつもお参りしている神社・墓所でも

少し視点を変えるだけで再発見があるかもしれない。

ぜひ、お試しいただければ幸いである。