白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

タリバンの手に落ちたアフガン。わが国の取るべき道は?

アフガニスタン情勢が再び緊迫の度を増してきた。

2001年、米軍が主導する「有志連合」が同時多発テロの報復とばかりに仕掛けた

アフガニスタン紛争で叩き出したはずの反政府勢力「タリバン」が

勢いを盛り返し、各主要都市を次々と攻略。

15日にはついに首都のカブールを包囲。

事ここに至ってガニ大統領をはじめとする政府高官は首都を脱出し

政権をタリバンに移譲することを認めた。

カブール市民や在留外国人は恐慌状態となり、米軍は米国人保護のため

5000人の兵士の派遣を認めた。

わが国をはじめ60カ国は連名で、タリバンに対し、外国人の国外脱出の自由を認めるよう要求した。

現在のところ、タリバンは「平和的な政権移譲を目指している。女性の権利を尊重する」

と述べており、表面上は平和的な統治を目指しているかのようである。

news.yahoo.co.jp

 

このタリバンの姿勢を見て、「もしかしてタリバンって変わってね?」

という人が増えている。とんでもないことだ。

タリバンは装備の豊富さや士気の旺盛さなどにおいて

圧倒的にアフガン国軍を凌駕していた。アフガン国軍は米軍から

武器、弾薬などの支援を受けていたから、それを丸々分捕ってしまえばいい。

従って、このタリバンの戦闘はこれまでの対ゲリラ戦ではなく

最新鋭の武器を活用した正規軍と遜色ない部隊との戦いだったのである。

 

一般市民に牙をむき始めた狂信者

 

しかし、「タリバンは変わった」などとはよく言えたものだ。

タリバン報道官は英国BBCの取材に対して

「あらゆるアフガン人の政治参加」を認めるとともに

シャリーアイスラム法)に基づく統治」を明言した。

これはタリバンは統治方法を変更する気はないのと同義である。

例えば、タリバンは「女性も現在のように仕事を続けて良い」と明言しており

一見、女性に配慮しているのかと思いがちだが

今年1月、アフガン最高裁の女性判事2人が突然銃撃され死亡。タリバンの犯行と

見られている。

www.jiji.com

そのほかにも、女性やジャーナリストなどへの攻撃を行っており

さらに占拠した都市では、既に「イスラム法に背く」として

些細なことで処刑されるケースが相次いでいる。

つまり鼻からタリバンは人権など守りはしないし

民主主義政府の樹立など一切考えていないのだ。

よく考えれば当たり前で、宗教というのはそう簡単に路線変更するものではない。

 例えば、サウジアラビアではイスラム法に基づくサウド家の絶対的統治が続いており

イスラム教国の中でも最も過激とされるワッハーブ派に属している。

1990年、サウジアラビア国内で女性が自動車の運転を禁止されていることに抗議し

47人の女性が自動車でデモを行った。デモは即鎮圧されたのだが

ナイーフ内相は抗議デモを「反イスラム的」としてパスポートを没収するなどの措置を

とったのである。

その一方で、サウド王家は諮問評議会は穏健派取り込みを図るため

穏健派やかつてサウド家を批判した人物などを任命し、懐柔を図った。

しかし、厳格なイスラム法のもとで、石打ち刑や公開処刑など残虐な処刑が

公然と行われているのもまた事実である。

このように、宗教を法としていれば、それを簡単に変えることはできないのだ。

そんなサウジアラビアが政権を維持できているのは、ひとえに豊富な天然資源と

米国に対する安全保障・外交の依存である。米国べったりの外交こそが

サウジの生存戦略といえる。

翻って、アフガニスタンには天然資源が豊富であるとは残念ながら言えない。

しかも、強力な権力を持ち、かつ民衆に対して絶大なカリスマを持つ人物もいない。

(元国王のザヒル・シャー氏は国父と呼ばれ慕われていたが)

そこで、タリバンはアフガン国内にいるとされるハミド・カルザイ元大統領を

担ぎ出し、正当性を誇示する可能性もある。

初期の統治は、「アメとムチ」を使い分けて、柔軟に統制しようとするのは定石だ。

しかし、問題は本当の正体を現した時である。

旧アフガン政府高官も含めた連合政府を設立させたら、タリバンも思い切った

方向に舵を取ったといえる。しかし、それはシャリーアへの挑戦でもある。

ほぼそんなことは起きないし、20年前の統治に戻ることは確実視されている。

わが国にできることは、タリバン政府に対する断固たる締め付けであり

間違っても政府承認などしてはならない。

暴力で国家を転覆させるような非道な勢力に与することには断固反対する。

それにしても…米国はアフガン政府の腐敗をなぜ見過ごしてきたのだろうか。

米国はベトナム戦争の苦い経験から何も学んでいない。最後まで面倒を見てやるべきではなかろうか。