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人口減少社会、解決策は「小さくても豊かな国」か?

 人口減少問題を取り上げた著書「未来の年表」で知られる、産経新聞論説委員の河合雅司氏が9月24日、仙台市青葉区で講演した。

 その中で、河合氏は2065年にわが国の人口が8000万人台にまで減少し、かつその4割近くは65歳以上の高齢者で占められる国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の推計値を紹介し、その動きは東北地方でより深刻化する見通しを述べた。

 その上で、「外国人移民受け入れやAI、女性の社会進出などは短期的には良いかもしれないが、長期的な解決にはならない」と断じた。人口減少問題の解決方法として、同氏は「小さくても豊かな国」づくりを提唱。「本当に守るべき産業の保護」や「商店街の曜日開店制」などを提案した。

 この講演会では登米市のまちづくり団体の代表らも出席しており、「登米市では、廃校となった学校の校舎を活用してマルシェを開催しており、気仙沼などから大勢の人が訪れる。最初は高齢者だけだったまちの話し合いにも若者が参加するようになった」と地元のケースを話した。

 自分のまちが消える?という衝撃

 2014年、日本創成会議(座長、増田寛也東京大学公共政策大学院客員教授)が発表した「消滅可能性都市は523に上る」という推計は、日本列島を震撼させた。それまで「人口減は深刻化する」と何とはなしにわかっていても、いずれ自分の住んでいるまちがなくなるかもしれない、というリアルな指摘にはかなりのインパクトがあった。その後、社人研により毎年将来の推計人口が発表されている。その結果を受けて行政では少子化対策を実施し、合計特殊出生率は幾分改善されたものの、人口減の数字にはさほど影響はもたらしていない。

 それは、子を産む人がすでに少ないからである。単純に言えば、人口を維持するためには、一組の夫婦あたり2人以上の子が必要だ。しかし、2人どころか子無し家庭も多いのが現実である。別に女性側に責任があるというわけではない。1貧困層の増加、2生涯未婚女性の増加、3女性と男性の労働が平等になった―という複数の要因が重なっているのである。

 この人口減社会をどう生き抜いていくのか。河合氏は「不便を楽しむくらいでないと」と仰っていたが、確かにその通りである。明治時代初期のわが国の人口はおよそ3500万人。大東亜戦争のあたりで8000万人となっている。「進め一億火の玉だ」「一億総玉砕」などの文字が連日新聞を踊っていたが、その時ですら1億の大台には乗っていなかったのである。その時代と将来的な構造がどう違うかといえば、高齢者の占める割合が非常に多いことだ。医術の進歩により、治せない病気というのはほとんど存在しない。しかし前述の通り子どもの数は減っていくわけだから、当然高齢者の割合は大きくなる。

 河合氏は「今は元気な高齢者が多い。例えば行政の高齢者窓口を、同じ高齢者にしてはどうか」といった提案もなされていたが、いずれにせよ年金だけでは生涯の生活を支える額に足りなくなることが予想されている。つまり健康寿命を伸ばすことが、この難局を切り抜ける一つのヒントになり得るのだ。

レッチワースの小規模コミュニティー

 さて、もう一つは「最早成長は見込めないのだから、小さいながらも豊かなコミュニティーづくりを」ということである。小さいコミュニティーを維持しつつも、マーケットは海外であったり国際分業を進めることで、結果的にそのコミュニティーは豊かさを失わない。それこそがわが国の目指す道だというわけである。これを「ヨーロッパ型」と河合氏は位置づけたが、今のヨーロッパは移民・難民の流入EUの内部矛盾により、政治的にも経済的にも行き詰まりを見せている。この点は河合氏に賛同できかねる部分であった。

 とはいえ、この話を聞いていて全てを否定しようとは思わない。EU離脱を決定した英国に、レッチワースという地方都市がある。人口およそ3万人という小さなこのまちは、河合氏が掲げた「ヨーロッパ型」にぴったり一致するのである。レッチワースは、都市計画の専門家の間では知らない人はいない。なぜなら、「ニュータウンの元祖」として位置づけられているまちだからである。19世紀末に開発が始まったこのまちでは、住民主導で再開発から維持管理まで行われている。その手法が実に変わっていて、住民が出資して開発会社(株式会社第一田園都市)を設立。協同組合によってまちのインフラやまちなみが維持されているのである。

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生活のしやすいまちをどう作るか。住民が取り組む(www.letchworth.comより)

 

 わが国においては、再開発をするためにデベロッパーが入り、行政や地権者とともに再開発組合を設立し、どのような施設を作るかリーシングする。即ち、直接的な当事者間でしか共有されないのである。一方、レッチワースは住民がステークホルダーであるから、自分の出資金がどのように運営されているか、しっかり見るようになるし、意欲と時間のある人はまちづくりに参画することもあり得る。

 これにより、まち全体が現状と課題を共有し、その上でどうまちを盛り上げていくか自分たちも知恵を出し合うことになるのだ。しかし、この大胆とも言える手法は、わが国のニュータウンでは採用されなかった。そのため、ニュータウンは歳を経るごとに老朽化が進み、現在では住民も高齢者が大部分というのは珍しくない。これをそのままマネせよとはいわないが、新しい発想で新しい手法を取り入れていかなければ、小さいコミュニティーを維持することも覚束ない。それがわが国の置かれた現状であることを認識し、その上で何ができるのか、考えていく必要があるだろう。