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渋沢栄一と若手官僚集団「民部省改正掛」の改革力

9日、財務省および日本銀行が紙幣の刷新を発表した。

2024年度から発行を開始するという。

気になるのは、その肖像が誰になったのかだろう。

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日本銀行HPより

まず、1万円の肖像は渋沢栄一東京証券取引所の設立を始め

500もの企業を設立し、言わずと知れたわが国の経済の父である。

5千円の肖像は津田梅子。津田塾大学の創設者にして

女子の高等教育の尽力した人である。

1千円は北里柴三郎。細菌学者で、北里大学の創設者。

ペスト菌を発見し、血清による治療方法を確立するなど

多くの人命を救った。

なお、これらの選定基準は明らかとなっていないが

ネット上では「誰?」という声があるものの、おおむね納得という形のようだ。

北里柴三郎のほうが凄い人だろ」という声もみられるものの

庶民に馴染みの深い紙幣といえば千円札である。我々が目にしやすい人=凄い人

と思えば、納得できるのではないか。

 

出自や身分を超えた若手集団「改正掛」

 

僕が渋沢栄一が一万円の肖像に選ばれたことを知って喜んだのは

何も実業家だからという理由だけではない。

渋沢は、幕臣でありながら、明治初期に日本の未来へ道筋をつけた人なのである。

明治維新後、わが国は近代国家への道を歩むことになった。

しかし、幕臣である人材は不当な差別を受けており

薩長が幅を利かす政府内で、珍しく渋沢は出世

コースの途上にあった。

明治2年、渋沢は大蔵省租税正として様々な改革に着手していたが

役人はいつも忙しく動き回り、定時になるとさっさと帰る始末で

改革は遅々として進まなかった。

そこで「出自や組織にとらわれず、自由に将来を話し合う機会が欲しい」と

渋沢が大隈重信に直訴し、あっさり「民部省改正掛」の設立が認められた。

明治3年2月時点のメンバーは以下の通り(武田知弘「経済改革としての明治維新」)。

大隈重信(佐賀、民部大輔兼大蔵大輔)

坂本政均(幕臣、民部少丞兼大蔵少丞)

玉乃世履(岩国、大蔵少丞兼民部少丞)

渋沢栄一幕臣、租税正)

肥田浜五郎(幕臣、土木権正)

前島密幕臣民部省出仕)

古沢滋(土佐、民部省出仕)

江口高廉(佐賀、民部大録兼大蔵大録)

長岡敦美(土佐、民部少録兼大蔵少録)

佐藤政養(幕臣民部省出仕)

杉浦譲(幕臣民部省出仕)

吉武功成(蓮池、土木権大佑)

橋本重賢(彦根、監督兼大佑)

という顔ぶれで、「朝敵」とされた幕臣が多くを占めていた。

長州の伊藤博文井上馨、土佐の陸奥宗光らも顔を出し

自由闊達な議論が繰り広げられたようだ。

 

若手官僚が夢見た日本

 

武田知弘「経済改革としての明治維新」によると

渋沢によると

「血気盛んな人たちが、自分が研究したり、見聞きしたことを

集まって議論するのだから、時には喧嘩と間違われるような

議論もあった。でもみな気心を知った者ばかりなので

遠慮会釈のない書生づきあいをし、思い切った討論ができたので

じつに愉快だった」

と述懐している。例え戊辰戦争で敵同士だったとしても

若手官僚の間には関係ない。新生日本をつくるため

知恵を出し合い、議論をして未来の青写真を語り合ったのである。

渋沢の生き生きとした姿が見えるような文章ではないか。

左派の作家・塩見鮮一郎ですらも著書「解放令の明治維新 賤称廃止をめぐって」

の中で

この才気煥発な男はアイデアの枯渇することを知らない。

…維新の日本にとって、かけがえのない人物である。

と高く評価している。

 

今こそ若手のパワー結集を

 

この民部省改正掛は、大久保利通の警戒を買い、わずか2年で

解散の憂き目をみるが

この間にまとめられた提言で、国立銀行設立や鉄道計画、郵便制度など

わが国には欠かせないインフラが実現を見ることになった。

渋沢は、明治初期に辛酸を舐めた旧幕府側の中でも

特に若手リーダーとして活躍した。壮年から晩年の功績も大きいし

注目もそちらに集まりがちである。

しかし、僕は幕臣である渋沢が薩長や土佐の若手と熱く議論する姿にこそ感銘を受けた。

同時に、これこそが今のわが国に求められている情熱なのではないかと

実感する。今の目まぐるしく変化する社会に、若手のアイデアこそ

求められているのではないだろうか。

考古学は「極左集団」か?

2月15日の虎ノ門ニュースにおいて

竹田恒泰氏が「歴史学と考古学は極左集団なんです」と発言した。

その理由を問われた竹田氏は

「皇室の歴史を否定したくて歴史学者になった人が多いんです」

と話した。考古学についても

「神話を否定したくて考古学者になったって明言している人も多い」

と断定した。

竹田氏は保守派の論客であるが、僕自身が考古学徒であった立場から

まったく的外れで、極めて残念に映ったと言わざるを得ない。

 

真っ先に学ぶのは文化財保護

 

考古学を専攻する上で真っ先に学ぶことは何か。

文化財保護法」である。これは考古学の憲法と言って良い。

第一条にはこうある。

この法律は、文化財を保存し、且つ、その活用を図り、もって

国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献

することを目的とする。 

 わが国の文化の向上を図ると、しっかり明記されているのである。

そもそも歴史というのは、歴史書がそのまま歴史になるわけではない。

なぜなら、歴史書の著者は当然人である。人である以上、事実誤認が

生じてしまうのはやむを得ない。

実際、わが国の正史である六国史同士の中でも複数の矛盾が指摘されている。

従って、考古学的アプローチによる「裏付け」が必要なのである。

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仙台城での発掘調査説明会の様子。これにより石垣の復元に裏付けがとれた

例えば、陸奥国の政庁である多賀城は、戦乱でもって焼失している。

これは「続日本紀宝亀11年3月の記事にあるためだが

発掘調査によって、それが裏付けられただけでなく、火災の範囲も特定できた。

つまり歴史学と考古学は両輪といって良いのである。

もちろん、ある一定の人が政治思想でもって歴史を恣意的に解釈するケースもあり

考古学においても旧石器捏造事件が起きたりと、必ずしもクリーンであるとは

言わない。

しかし、極端な政治思想を持った人は考古学には向いていないのでは

ないだろうか。それほど「科学的な視点」が重要になるからだ。

もし荒唐無稽な説を発表しようものなら、学会で袋叩きになるであろう。

日本考古学協会はそこまで落ちぶれていないと信じている。

 

考古学は「科学的裏付け」が重要

 

ただし、一つ注意しなければいけないのは、考古学というのはそもそも

神話というものを妄信しない。それが正しいのか裏付けがないからである。

考古学者は神職ではない。事実を研究する職業である。

竹田氏の「皇室の歴史」というのが何を指しているのか不明だが

天皇陵の発掘調査に対するものかと推測される。

確かに、天皇陵に土足で立ち入り、発掘のための穴

(トレンチという溝状であっても)を掘るのは不敬である、という意見が

多いのは理解できる。それについては僕も思想的には賛同する。

一方、考古学的調査によって、天皇陵が明らかになった例もある。

牽牛子塚古墳(奈良県明日香村)は、宮内庁から天皇陵の指定を受けていないが

発掘調査の遺構・遺物から被葬者は斉明天皇が有力とされている*1

考古学が「神話を創り、現実に証明した」という成果であろう。

この成果があって、同古墳は重要文化財の指定を受けた。

 

文化財破壊から守る「歴史の番人」

 

いかに重要な遺跡であろうとも、我々は次々と開発行為により

遺跡を破壊する。その前に発掘調査を行い、どういう遺跡であったか記録し

必要であれば国や地方自治体が文化財に指定して保護するのである。

もちろん調査の間は工事ができず、工事業者とのトラブルも多い。

しかし、そうしなければわが国の歴史は闇に葬られてしまう。

昔は、工事業者が暴力団を使って文化財担当者を脅すケースもあった。

僕が学生の頃は、その手のトラブルが多い自治体の文化財担当者がいかつい人で

この人も大概だな、と思ったものの

「こっちも負けてられねえんだ」と話していて、頼もしく映ったものだ。

(なお、その方から後日、発掘調査報告書がダンボール単位で送られてきた)

わが国の歴史を破壊したい人がそこまで体を張るわけがない。

そう考えると「歴史の番人」こそが考古学なのである。

竹田氏は「皇室の歴史を否定する」と発言したが、そうではない。

むしろ、神話に裏付けを行い、学術的にも証明したい

という純粋な重大事業なのである。

 

新元号に「令和」そもそも元号とは?

4月1日、菅義偉内閣官房長官より、新元号が発表された。

元号は「令和(れいわ)」である。出典は万葉集

 于時、初春月、氣淑風、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。

 というのが原文である。「令月」とは何事も行うに良い時という意味で

「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という意味を込めていると

安倍晋三内閣総理大臣より解説があった。

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令和の揮毫を掲げる菅義偉官房長官

国民は、さほど抵抗感もなく受け入れたという感じであろうか。

「令」という字に「法令」といったイメージがあり、それに対して

懸念を示している人がいた程度である。

外電は「Order and Hermony」と報じている。「令」の表現に苦労したさまが

見てとれるようだ。

これまでの漢籍ではなく、国書からの出典というのは極めて稀。

また「令」という字が含まれた年号は初である。

なかなか考えたな、というのが第一印象であった。

さて、わが国がこの元号の理想通りに歩むことができるのか、一人一人に掛かっている。

 

そもそも元号の意味とは?

 

この新元号発表のタイミングで「そもそも元号が必要なのか」という論も出ている。

大部分は「元号はあっても良いが、西暦に統一してほしい」というものだ。

現実的な話をすれば、どちらかに統一するのが手っ取り早いといえる。

では、そもそもこの元号はどのような考えで建元されたのだろうか。

わが国初の元号は「大化」である。大化の改新が起こり、新しい国づくり

に取り組まれ始めたのを背景に、中央集権化と国民の掌握を目的としたものと

されている。

今回のように、天子様がお替りになる「代始改元」はまた目的があり

年号の本義は、その天皇の治世に寄せる期待を表しており

一例をあげると、大化や大宝と同じく、聖武天皇の即位とともに

定められた天平は天下泰平を祈念して名付けられたものである

(米田雄介「歴代天皇年号事典」) 

 とある。改元の手続きは、まず勅命を受けた大臣が文章博士元号案を

考えさせる(これを「勘申」という)。漢籍の中から二文字の佳字を選んで

典拠とともに提出する。それを大臣や参議らが集まり、審議するのである。

文章博士は大学寮に属したが、官僚とは少し違う扱いで、古典に通じた

人物が選ばれた。その下には、文章得業生、文章生がいて、それぞれ

礼記」や「史記」から試問し、合格したものが所属することができた。

これを現代に置き換えると、元号の懇談会が大臣や参議に当たるであろうか。

(現代では誰が考えたのかは公表されないため、「文章博士」はシークレットとなる)

つまり、元号というのはその時代の理想が込められたものなのである。

従って、「不便だ」の一言で無くして良いほど軽いものではない。

 

元号とは、これまでわが国を支えてきた先人の思いが詰まったものであり

新しい元号は、これからわが国が目指す国の形なのだ。

そう考えれば、簡単に無くそうとは思えないのではないだろうか。

江戸大名300家それぞれに物語がある!

最近、江戸時代の知られていないエピソードを映画化するケースが多い。

これまでは、「忠臣蔵」や「徳川吉宗」といった有名な出来事や人物が

繰り返しドラマ化、映画化されてきた。幕末で言えば「新選組」「坂本龍馬」など

が有名であろうか。

陪臣にスポットが当たるように

そのような中で、はっきり言ってまったく知られていないような人々や出来事に

スポットを当てられることが多くなった。

わが仙台藩でいえば、伊達騒動において「逆臣」の汚名を着せられていた

原田甲斐を再評価した山本周五郎の「樅の木は残った」が有名だ。

原田氏といえば伊達氏譜代の重臣だが、陪臣ともなると一気に知名度は下がる。

最近では、衰退する宿場町を復活させようと、商人たちが力を合わせる

殿、利息でござる!」で羽生結弦選手が伊達重村役を演じて一躍有名となった。

そのほかにも、「武士の家計簿」「超高速!参勤交代」など、さほど有名ではない

人々が取り上げられた作品が次々と生み出されている。

その火付け役は、歴史学者磯田道史氏だ。「無私の日本人」「武士の家計簿」など

「誰だよこいつ」という細かいところを掘り下げたのは見事としか言いようがない。

膨大な労力を費やしたのではないだろうか。

もちろん、その人を記録するためには、日記なり文書が残っている必要がある。

世に出回っているものならともかく

そのまちにしか伝わっていないものなら

余計にそれを掘り起こすのが大変なのである。

武士の通信簿?「土芥寇讎記(どかいしゅういき)」

さて、江戸時代の大名を知る上では「武鑑」などで網羅されているのでおもしろいのだが

「土芥寇讎記(どかいしゅういき)」という書物はあまりしられていない。

著作者や年代もはっきりとわかってはいない。従って史料としての信ぴょう性に

疑わしい部分は多いものの、これの何がおもしろいのかというと

大名の行状が描かれている点である。

例えば、「水戸中納言光圀卿」の欄を見てみよう。「水戸黄門」こと「徳川光圀

である。同書によると「其ノ身を正シ、道ヲ以ッテ政道ヲ行ウ」「行跡明ラカ

道ヲ執行アリ」などとべた褒めと言って良い。

一方越前福井藩の「松平兵部大輔源昌親」の欄を見てみよう。

「大悪ノ無道人」「奸謀・邪欲・吝嗇」と、これでもかとボロクソだ。

ちなみに吝嗇とは「ケチ、みみっちい」といった意味である。

わが仙台藩は、「松平陸奥守藤原綱村」つまり4代藩主伊達綱村の時代である。

その欄を見ると「家民哀憐之心深キ」「士民ヲ愛シ」と評価は高い。

備考に「女色アリ」とあり、3代綱宗のことを少し引きずっている様子が伺える。

一方、意味不明な部分もある。

摂津瓜生藩2万石、安倍摂津守安倍信友の欄を見ると

「善将をあえて評価して名を汚したくないから評価せず」とあり

どういうことか勘繰りたくなる。祖先は徳川氏に属し、数々の戦で功労があったから

そのことだろうか。

信濃高島藩3万石の諏訪因幡守源忠晴はあまり知られていないが自身が医学を学んだようで

「医学は君主の学ではない」とバッサリである。

どうやら同書、幕府の人間が評価したという説もあり、「武士の通信簿」というもののようだ。

江戸時代は非常に人間臭い描写が興味深い。だからこそ、物語として生きるのだろう。

歴史上の人物といえど、大名家だけで300藩、旗本8000騎と呼ばれる。

陪臣を含めると膨大な武士階級が存在する。

それぞれに物語があると思うと、おもしろい想像ができそうではないか。

 

憲法9条に反対した共産党、新左翼との共闘も?

選挙が近づいてくると、共産党周辺がざわつくのはいつものことである。

共産党はトップページで「安倍9条改憲NO!」と呼びかけているわけだが

そもそも共産党憲法9条に反対していたのはご存知であろうか。

昭和21年8月24日の帝国議会において、共産党所属の野坂参三議員が

 我々は我が民族の獨立を飽くまで維持しなければならない、日本共産黨は一切を犧牲にして、我が民族の獨立と繁榮の爲に奮鬪する決意を持つて居るのであります、要するに當憲法第二章は、我が國の自衞權を抛棄して民族の獨立を危くする危險がある、それ故に我が黨は民族獨立の爲に此の憲法に反對しなければならない

 と述べている。「自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある」と

しているところに注目である。「自衛のための戦争ならば良い」と見ることに

なる。実際、野坂は「戦争放棄」のみは提起したものの、軍隊の放棄には

明確に反対した。

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左から徳田球一野坂参三、志賀義雄(wikipediaより)

さらに、同年6月28日の本会議においても野坂は

「侵略された国が自国を守るための戦争は、われわれは正しい戦争と言って

差支えないと思う」とまで述べているのだ。

野坂だけではない。この憲法改正案に反対したのは、徳田球一

共産党所属の6人であった。

つまり、現在「憲法9条を守れ」とご本尊の如く崇め奉っている共産党

そもそも憲法9条に反対の立場を示していたのである。

「国軍」はダメだが「党軍」なら良い?

さて、それでは共産党は軍を無くそうと考えているのだろうか。

実はそうでもない。産経新聞政治部「日本共産党研究」によると

1994年7月に行われた党大会の決議を引用している。そこでは

急迫不正の主権侵害に対しては、警察力や自主的自警組織など

憲法9条と矛盾しない自衛措置をとることが基本である。 

 としている。産経新聞では「自衛隊は認められないが、新たに自衛軍のような

組織をつくることを否定してはいないのである」と断じている。

同じことは別冊宝島日本共産党の思想と正体」でも指摘されているが

この憲法9条には大きな落とし穴がある。

即ち、この憲法9条は「国家」に対して求めているのであって

政党に対するものではない、というものだ。

はてそういえば…と思い当たる読者もいよう。

お隣の中華人民共和国人民解放軍は、厳密には国の軍隊ではない。

「党が指導する軍隊」なのである。さらに言うと、人民解放軍現役軍は国家の軍隊

と定められているが、予備軍は定めがない。中国共産党の指示に従う戦力なのである。

またソビエト連邦が率いるソビエト連邦軍の前身である「労農赤軍」もまた

ソ連共産党の軍隊という立ち位置であった。

武装闘争が仇に…方針転換余儀なく

同じように、わが国の共産党においても実際その動きはあった。

しかし、1949年に35議席保有していた共産党は、1952年の衆院選において

議席を失い、武装革命路線を放棄せざるを得なくなった。

この動きに失望した新左翼セクトは、日本共産党を「日和見主義」

共産党はこの一連で分派した新左翼を「極左冒険主義」と罵り合っている。

最近になって、これらが反原発運動や安倍内閣倒閣運動など

共闘する様子が映し出されており

今後もより注意を要する勢力となってきている。

 

第一党が首相にならない?戦前の首相の決め方とは。

今月終わりから、4月まで統一地方選が始まる。

さらに7月には、参院選も行われるということでまさに選挙イヤーといえる。

10月から消費税が増税するため、その影響も選挙に影響するとみられる。

戦前は第一党が首相になることは少ない

現在では、国会において首班指名選挙が行われ

国会議員の得票数が最も多い政党の代表者が内閣総理大臣になる。

しかし、戦前の帝国議会では必ずしもそうでなかったことはご存知だろうか。

国家を総覧するのは天皇陛下であり、国務大臣はそれを輔弼する役割であったから

天皇陛下より指名された人物が総理大臣になる(大命降下)のが通例であった。

とはいえ、天皇陛下が独自にお決めになる場合、それは絶対君主制である。

わが国では奏上について天皇陛下がいかにご不満であろうと、裁可するのが

決まりであった。英国式の立憲君主制を手本とされていたためである。

では、首相となる人物は誰が決めたのか。

キーパーソンとなったのが「元老」の存在である。

わが国で初の首相となった伊藤博文は、政党政治の確立を目指して

大日本帝国憲法の制定を主導し、1890(明治23)年無事に施行を見たわけだが

その2年前の1892年、伊藤、黒田清隆山県有朋井上馨松方正義の5人による

元勲会議(黒幕会議)が行われた。松方内閣は指導力がなく、あっさりと総辞職

した上、後継首相を推薦する能力もなかったからである。従って、後継首相を

元老会議によって決定する必要があった。

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薩長閥の重鎮として君臨した伊藤博文wikipediaより)

しかし、伊藤はなぜ元老による首相推薦にこだわったのか。

伊藤之雄『元老ー近代日本の真の指導者たち』によれば、天皇陛下

内閣総理大臣を指名されることについて、間に元老の存在があったほうが

首相が不適格であったとしても直接の責任を追及される恐れがないこと

そして、初期の政党政治は未発達なものであり、欧米などにみられる

二大政党政治には時期尚早と思われたためである。

薩長系の有力者たちの中でも、特に山県有朋政党政治自体に反発していて

1900年に伊藤が立憲政友会を設立した時には山県は激怒し、伊藤と対立してしまうのである。

その後、伊藤系内閣(西園寺公望など)と山県系内閣(桂太郎など)が交互に入れ替わるが

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政党政治に反対し、伊藤と対立した山県有朋wikipediaより)

最大で、前述の5人に、大山巌西郷従道を加えた7人が元老として君臨する。

もともとは「元勲優遇の詔」を受けた人物が元老とされたが

これは憲法の規定にはないため、当然それに対する批判も存在した。

1908年には報知新聞が英国の政党政治を見本に、憲法上根拠のない元老が

政治を牛耳っていると批判した。読売新聞も、元老の存在がある限り

立憲的国家は望めない、とまで書いているのである。

元老は最終的に、西園寺公望が補充され、最後の元老として少しずつ権力は

縮小されていったが、西園寺薨去後は総理大臣経験者らでつくる「重臣会議」が組織され

戦後、日本国憲法の施行まではこれらにより首相候補を推薦

それを受けて、天皇陛下の大命により首相が決まることとなる。

 

プロの解説付きで見る「はたらく細胞」

季節の変わり目か、体調を崩している人が多い。

僕の会社でも、体調不良で休んでいる人が出てきた。

すわインフルか!?と思ったところ「熱がないから違う」とか言うけど

最近では発熱がさほどではないインフルも出現し始めているというから

気を付けなければいけない。

外国人医師が「はたらく細胞」で病理を解説

はたらく細胞」というアニメ作品があって、細胞を擬人化したものだが

擦り傷修復の過程や、がん細胞との闘いなど非常にわかりやすく描かれていて

とても勉強になると評判だ。

昨年から今年初め、インフルが大流行した際には、特別編として「風邪症候群」

が無料で配信された。

hataraku-saibou.com

さて、この作品は海外でも人気で、特に専門家から好評を博しているという。

現役の医師、エドホープ氏は「Dr Hope's Sick Notes」というチャンネル名で

YOUTUBEにこの作品を基にした細胞や病理学の解説を行っている。

それをユーザーが邦訳し、動画共有サイトニコニコ動画にアップしているのである。

例えば、がん細胞がいかに体に害をもたらすかということである。

がん細胞が、細胞分裂の異常であることは知られている。

我々の体内では、常に細胞分裂が行われているが、毎日1000ほどの

細胞の異常が起こっている。それでも我々の体内ではその異常をチェックする機能があり

それを通過したとしても、免疫細胞によって駆除される。

免疫は、まず異常がどのようなものかを認識し、それに対して効果的な攻撃を行う。

しかし、がん細胞はめちゃくちゃな増殖を繰り返すため、免疫の認識から

逃れることができてしまうのだ。

さらに、普通の細胞に回すはずの栄養も奪ってしまい、免疫の攻撃が普通の細胞を

傷つけることから炎症も起こる。がん自体は攻撃する能力を持たないから

厳密には「がん」という病名は存在しないのだそうだ。前述したように

普通の細胞を浸食したり、体の一部分に大きな負担ができることで

他の部分の抵抗力が弱くなり、直接的に死亡の原因となる病気が起こる。

がんを予防するためには

1、禁煙

2、節酒

3、感染症の予防

4、肥満防止

5、適度な運動

6、胃の除菌(ピロリ菌)

といわれている。特に最後の胃の除菌はわが国でも進んでいるため

胃がんの根絶も夢ではないという。

もちろん、命に関わる病気は他にもたくさんある。

擦り傷一つとっても、どのような動きが体内で起こっているのか

専門家の解説付きで見てみると、よりわかりやすいのではないだろうか。