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考古学は「極左集団」か?

2月15日の虎ノ門ニュースにおいて

竹田恒泰氏が「歴史学と考古学は極左集団なんです」と発言した。

その理由を問われた竹田氏は

「皇室の歴史を否定したくて歴史学者になった人が多いんです」

と話した。考古学についても

「神話を否定したくて考古学者になったって明言している人も多い」

と断定した。

竹田氏は保守派の論客であるが、僕自身が考古学徒であった立場から

まったく的外れで、極めて残念に映ったと言わざるを得ない。

 

真っ先に学ぶのは文化財保護

 

考古学を専攻する上で真っ先に学ぶことは何か。

文化財保護法」である。これは考古学の憲法と言って良い。

第一条にはこうある。

この法律は、文化財を保存し、且つ、その活用を図り、もって

国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献

することを目的とする。 

 わが国の文化の向上を図ると、しっかり明記されているのである。

そもそも歴史というのは、歴史書がそのまま歴史になるわけではない。

なぜなら、歴史書の著者は当然人である。人である以上、事実誤認が

生じてしまうのはやむを得ない。

実際、わが国の正史である六国史同士の中でも複数の矛盾が指摘されている。

従って、考古学的アプローチによる「裏付け」が必要なのである。

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仙台城での発掘調査説明会の様子。これにより石垣の復元に裏付けがとれた

例えば、陸奥国の政庁である多賀城は、戦乱でもって焼失している。

これは「続日本紀宝亀11年3月の記事にあるためだが

発掘調査によって、それが裏付けられただけでなく、火災の範囲も特定できた。

つまり歴史学と考古学は両輪といって良いのである。

もちろん、ある一定の人が政治思想でもって歴史を恣意的に解釈するケースもあり

考古学においても旧石器捏造事件が起きたりと、必ずしもクリーンであるとは

言わない。

しかし、極端な政治思想を持った人は考古学には向いていないのでは

ないだろうか。それほど「科学的な視点」が重要になるからだ。

もし荒唐無稽な説を発表しようものなら、学会で袋叩きになるであろう。

日本考古学協会はそこまで落ちぶれていないと信じている。

 

考古学は「科学的裏付け」が重要

 

ただし、一つ注意しなければいけないのは、考古学というのはそもそも

神話というものを妄信しない。それが正しいのか裏付けがないからである。

考古学者は神職ではない。事実を研究する職業である。

竹田氏の「皇室の歴史」というのが何を指しているのか不明だが

天皇陵の発掘調査に対するものかと推測される。

確かに、天皇陵に土足で立ち入り、発掘のための穴

(トレンチという溝状であっても)を掘るのは不敬である、という意見が

多いのは理解できる。それについては僕も思想的には賛同する。

一方、考古学的調査によって、天皇陵が明らかになった例もある。

牽牛子塚古墳(奈良県明日香村)は、宮内庁から天皇陵の指定を受けていないが

発掘調査の遺構・遺物から被葬者は斉明天皇が有力とされている*1

考古学が「神話を創り、現実に証明した」という成果であろう。

この成果があって、同古墳は重要文化財の指定を受けた。

 

文化財破壊から守る「歴史の番人」

 

いかに重要な遺跡であろうとも、我々は次々と開発行為により

遺跡を破壊する。その前に発掘調査を行い、どういう遺跡であったか記録し

必要であれば国や地方自治体が文化財に指定して保護するのである。

もちろん調査の間は工事ができず、工事業者とのトラブルも多い。

しかし、そうしなければわが国の歴史は闇に葬られてしまう。

昔は、工事業者が暴力団を使って文化財担当者を脅すケースもあった。

僕が学生の頃は、その手のトラブルが多い自治体の文化財担当者がいかつい人で

この人も大概だな、と思ったものの

「こっちも負けてられねえんだ」と話していて、頼もしく映ったものだ。

(なお、その方から後日、発掘調査報告書がダンボール単位で送られてきた)

わが国の歴史を破壊したい人がそこまで体を張るわけがない。

そう考えると「歴史の番人」こそが考古学なのである。

竹田氏は「皇室の歴史を否定する」と発言したが、そうではない。

むしろ、神話に裏付けを行い、学術的にも証明したい

という純粋な重大事業なのである。