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VRアニメという新境地!「狼と香辛料VR」

新しいヴァーチャル体験。その新境地へのチャレンジが始まった。

世界中で人気の小説原作のアニメ「狼と香辛料」という作品がある。

見た目は少女と変わらないが、神として祀られるほど

長い時を生きる賢狼ホロと、行商人のロレンスが偶然出会い

ホロの故郷を目指して旅をする、というもの。

行く先々の街で商品を売り買いするため、初期市場経済の仕組みを

知るためには、非常に適した作品といえる。

独特の世界観と、魅力的なキャラクターが多くの人の心を掴み

世界中でファンが多いことでも知られている。

 

VRアニメという新体験

 

その「狼と香辛料」をVRで体験するという試みが行われている。

タイトルは「狼と香辛料VR」。開発元は同作品の原作者である

支倉凍砂氏が主宰するサークル「SpicyTails」とジェムドロップ(株)。

開発に当たっては、クラウドファンディングを用いて資金を調達し

2018年11月に実に7,000万円超を集めた。

今年6月4日、ついに作品が完成し、同時にゲームプラットフォーム「steam」

OculusStore」での発売をスタートした。

僕も同作品が好きだったこともあって、さっそくプレイしてみた。

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まるでロレンスになったかのようなリアルさを体験できる

これは、VRアニメであってゲームという側面はそれほど深くない。

また、30分程度でクリアできるとあって「物足りない」という声も

あるようだ。

だが、自分がアニメの中に入ったかのように部屋のあちこちを見渡すことができ

ホロと会話できるのはとても新鮮な体験だ。

価格も2500円前後とお得な設定。VRに対応していない場合

PCだけでも楽しむことができるので安心。

VRアニメという新しい体験をするだけでも、十分ではないだろうか。

ましてや、同作品ファンなら必見だろう。

これからのコンテンツとして、先鞭を付けた同作品。

今後の動きに目が離せない。


『狼と香辛料VR』PV (ショートバージョン)

 

狼と香辛料VR

http://spicy-tails.net/saw-vr/

ツイッター

https://twitter.com/spicytails

神道と仏教は一緒なのか?

先日、会社の人から

「友だちとお寺に御朱印をもらいに行ったら

 『経文は持ってきましたか』と言われた」という。

さもありなんである。そもそも御朱印というのは

仏教寺院において、経文を納めた証として始まったのが

最初だからである。それを神道が真似して始めたため

パワースポットブームと相まって、現在では御朱印集めを

趣味としている人も多いようだ。

僕の場合、寺院の御朱印はできる限り受けないようにしている。

お寺の御朱印が嫌だというわけではなく、キリがないからである。

その代わりといってはなんだが、神社の御朱印を頂いている。

もちろん、参拝をしてからである。

勘違いしないでほしいのは、御朱印というのはスタンプラリーではない。

従って、「この神社にお参り致しました」という証で頂くのが正当である。

最近、御朱印を集める人が神職の方に文句をつけるなどしてトラブルになる

ケースが頻発しているが、そもそも御朱印は印刷するものではない。

参拝者がお願いして、神職の方に手書きで書いていただくわけで

時間がかかるのは当然である。その間、お守りを見ていたり

境内の景色を眺めるなどして待つのが当たり前である。

ぜひ、気を付けていただきたい。

 

古代に始まった「神仏習合

 

ところで、神道が仏教の真似事をして良いのか、という疑問もあろう。

結論から言えば、仏教はわからないが神道的には問題ない。

そもそも神道と仏教は江戸時代まで「神仏習合」といい同一視された部分もあった。

古代から仏教は広まっていたためである。

それは聖武天皇国分寺建立の詔を発布したことからもわかろう。

日本書紀』によると、用明天皇(在位585~587)を

天皇、仏法を信じ、神道を尊ぶ」とあり、古代でもかなり昔から

仏教は尊ばれた。

また、徳川家康諡号である「東照大権現」もまた神道と仏教の習合である。

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笹谷峠にある仙人大権現の石碑。山岳信仰に深く根付いている

「大権現」というのは、仏が仮の姿で地上に表れたことをいう。

神道大辞典』によると「この権現の思想、また本地垂迹説により

奈良時代より菩薩の称号を諸神に適用することが行われた」とあり

承平7年(937)に、宇佐八幡宮に菩薩号を付したのが初という。

その後、長らくこの習合は受容されてきたが

明治元年廃仏毀釈により、このような神号は禁止された。

大東亜戦後、制度上国家神道が廃止されると、再び神仏習合

復活してきている。このように、神道と仏教はそもそも一緒になった期間が

多かったのだから、双方は親和性が高いのである。

現在でも残っている仏教の名残を探してみるのも、神社めぐりの醍醐味といえる。

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大崎市古川の八坂神社境内にある鐘楼。神仏習合の名残である

 

交流人口増加に寄与できるか?「イーレ!はせくら」

先日、新しくオープンした「イーレ!はせくら王国」という施設に行ってきた。

場所は柴田郡川崎町にある、支倉地区の支倉小学校跡だ。

この支倉小学校、2012年に廃校となった。

その校舎を、新たな交流・商業施設としてリノベーションしたのが

「イーレ!はせくら王国」だ。施設は、物産コーナー、レストラン

イベント、キッズスペースなど。

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旧支倉小学校をリノベーションした

正直、川崎町の中でも国道286号から離れていることもあり

アクセスは良いとはいえない。

 

実は支倉常長の故郷!

 

では、なぜこの施設を活用しようとしたのだろうか。

この川崎町の支倉地区、実は読んで字のごとく支倉常長の故郷なのである。

支倉常長といえば、伊達政宗の命を受け、ヨーロッパに渡ったことで有名だ。

スペイン王国との通商交渉が主な目的だが、常長ら使節は多くの試練を

乗り越え、アカプルコーセビーリャーマドリードに到着した。

国王・フェリペ3世と謁見した後、バチカンに赴きローマ教皇にも謁見。

ローマ貴族に叙せられた。常長は主君・政宗の書状を無事届けることに成功

カトリックに入信し、ドン・フィリッポ・フランシスコと洗礼名を名乗った。

肝心の通商交渉は物別れに終わり、失意の常長はフィリピンを経て仙台に戻ったが

折り悪く、幕府はキリシタン禁止令を公布しており、副使を務めた

宣教師のルイス・ソテロは火刑に処された。常長も仙台に帰藩しても

幕府を憚って、大々的な歓迎などはされず、後も隠棲に近い状況で帰国後2年で

病死した。しかし、彼がもたらした数々の資料や業績は、後世に高く評価される。

常長が持ち帰ったローマ公民権証や教皇パウロ5世の肖像画といった資料類は

他に類例がなく、2001年に国宝に指定、13年にはユネスコ記憶遺産に認定された。

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洗礼した支倉常長肖像画。スペイン滞在中に描かれたものと伝わる

それだけではなく、スペインには「日本」を意味するハポン姓の住民がおり

使節団の血筋ではないか、といわれていたり

珍しいところでは、常長は日本人で初めてチョコレートを食べたと伝わっている。

そのエピソードから、「イーレ!はせくら王国」ではカカオを使ったカレー

カカオを使った揚げパンなど、町の新たな特産品として売り出し中だ。

見どころはそれだけではない。

この施設の背後には、円福寺があり、そこが支倉家の墓なのである。

常長の領地は仙台市の北西部にある大郷町だったため、そこにも墓がある。

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墓の背後にある4~5メートルはある巨大な板碑が存在感を放つ

この墓は山の斜面に建てられているが

支倉氏の居城である上館城跡でもある。支倉氏はもともと伊達氏譜代の家臣であり

境を巡って砂金(いさご)氏と争っていたという。

譜代の臣ではあったが、中程度の家臣に過ぎなかった。

とはいえ、川崎町は秋保氏や最上氏、粟野氏と勢力を接する場所で

そこに配置されたということは、伊達家の信任が厚かったとも

いえるのではなかろうか。

そのような歴史を経て、近年支倉常長の顕彰の動きが活発となっている。

他の市町村のご他聞に漏れず、川崎町も人口減が著しい。

仙台市に隣接し、かつ東北自動車道が通り、山形市との間に位置している割には

大規模な工業団地がなく、土地区画整理事業も近年はほとんどないためだ。

つまり、整った交通インフラと地の利を生かしきれていないところに

この町の課題がある。

この「イーレ!はせくら」が川崎町を変えるほど交流を生む施設にはならないだろう。

しかし、もし川崎町が変革を求めるならば、交流人口を増加させる拠点の一つとして

機能することは間違いない。

 

イーレ!はせくら王国

https://www.ire-hasekura.com/

ブッダに学ぶ「死生観」

最近、事故や殺人が巷で頻発している。

暴力や憎しみが連鎖を生み、収束を見えることはない。

特に、先日発生した川崎・登戸大量殺傷事件では衝撃を受けた。

先ほどまで元気に歩いていた子どもや大人が、隣にいた人が

急に命を奪われる。これほど理不尽なことはあるまい。

この事件を聞いて、僕は「ブッダならどう説くであろうか…」と考えた。

別に僕は熱心な仏教徒ではないが、死生観に関していえば

最もしっくりくるのが仏教の教えであったからだ。

 

ブッダ最期の言葉「もろもろの事象は必ず過ぎ去る」

 

ところで、ブッダは自身の今わの際にどんな言葉を残したのか。

彼は旅の途中、病を得てクシナガラにおいて重篤化し

最後の説法を行って、静かに入滅した。

最後、弟子に向けて述べた言葉は

「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させなさい」

である*1

ブッダはあらゆる執着を捨てることを義務づけた。従って、ブッダ死後

仏像や経典はほとんどが残されなかった。

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ギリシャやシリアなどの影響を受けたガンダーラ

現在残っている経典は、ブッダ亡きあと、弟子たちが集まって

ブッダの言葉を集めたものである。アーナンダ、シャーリープトラなど

十大弟子といわれている人々が仏教教団を率いた。

人の死についてブッダはどう考えたか

 

形あるものは全てが滅する。それは般若心経の「色即是空」である。

全ては空なのである。その一方で「空即是色」も誕生した。

空から色が生まれる、というものである。

これは一種の輪廻の考え方ともいえそうだが、失うことばかりではない

ことを考えれば、救いの言葉といえようか。

人はいずれ死を迎える。しかし、子どもの死についてブッダはどう考えたのであろうか。

ブッダ死後、インドでは異民族による征服やイスラム教徒の勃興などがあり

仏教は衰退していった。その時、彼らは何を精神のよりどころとしていた

のであろうか。

今後も勉強を続け、その都度まとめていきたい。

 

*1:中村元訳「ブッダ最後の旅」

暑さで思い出す昭和帝のエピソード

本日はゴールデンウィーク最終日ということで

明日仕事かよ…と憂鬱な方もいらっしゃるのではないだろうか。

僕は、休日ではあったが、それでも外回りの仕事を一件入れて

仕事モードに慣れさせることにした。

僕の友人も、とりあえず出社はして、体を慣れさせるようにしたようだ。

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気温が凄まじいことに…なお夜には17℃に下がったもよう

それで、お隣の県に行っていたんだが

外が暑くて、仕事先でも「暑いですねー」が挨拶代わりとなっていた。

さて帰ろうと、車内の気温計を見てビックリ。

もう夏であったか…。どおりで半そででもいいわけだ。

 

涼しい夏に昭和帝が苦言のエピソード

 

僕は、暑がりではあるが涼しい夏というのは逆にどうなのか、と思っている。

昭和帝の御代、侍従職が何となく天子様(昭和帝)に対して

「今年の夏は涼しく、大変結構でございます」と話した。

ちょっとした雑談のつもりで出た言葉であろう。

しかし、その軽い気持ちを鋭く咎められたのが天子様である。

「今の言葉を農家の者が聞いたら、悲しむであろう」と

ご叱責になった*1。夏は暑くないと、コメがうまく育たず

収穫量に影響する。それをおわかりだったのである。

天子様は、「東北の農業は夏にかかっている」と

農業について大変ご心配になった。

それで東北の夏に行幸啓が多かったのである。

それで僕は、季節について文句を言うのを止めた。

こっちがいろいろと工夫すれば済む話である。

東北の農業は、これからに掛かっている。

今年も多くのおいしい農作物が大勢の人の食卓に上るよう

ぜひ、関係各所には頑張っていただきたいものである。

*1:文芸春秋「大いなる昭和」

偉大なる平成から新たなる令和への承継


退位礼正殿の儀

 

畏くも天皇陛下におかせられては

ご退位の礼正殿の儀をお務め遊ばした。

安倍晋三内閣総理大臣より

天皇陛下におかせられましては、皇室典範の定められるところにより

本日をもちましてご退位されます。平成の30年。

『内平らかに、外成る』この思いのもと、天皇陛下と歩みを進めてきました。

この間、天皇陛下は国の安寧と国民の幸せを願われ

一つ一つのご公務を心を込めてお務めになり

日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たしてこられました。

わが国は平和と繁栄を享受する一方で、相次ぐ大きな自然災害など

多くの幾多の困難にも直面しました。そのような時、天皇陛下

皇后陛下とご一緒に国民に寄り添い、被災者の身近で励まされ

国民に明日への勇気と希望を与えてくださいました。

本日ここに、ご退位の日を迎え、これまでの年月を顧み

いかなる時も国民と苦楽を共にされた天皇陛下の御心に思いを致し

深い敬愛と感謝の念を今一度新たにする次第であります。

私達はこれまでの天皇陛下の歩みを胸に刻みながら、平和で希望に満ち溢れ

誇りある日本の輝かしい未来を創り上げていくため、さらに

最善の努力を尽くして参ります。

天皇・皇后両陛下には、末永くお健やかであられますことを願って止ません」

と国民を代表して上奏した。

 

天子様のお言葉ありがたく

 

天皇陛下におかせられては、安倍総理大臣の言にお答えし

今日をもち、天皇としての務めを終えることになりました。

ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に

深く謝意を表します。

即位から30年、これまでの天皇としての務めを

国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは

幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ

支えてくれた国民に心から感謝します。

明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを

皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを

祈ります。

とお言葉を述べられた。

 

上皇上皇后陛下は赤坂御所にお住まいに

 

1日より、いよいよ令和が始まる。

東宮殿下におかせられては、天子にご即位され

剣璽等承継の儀は10:30~

即位後朝見の儀は11:10~

を予定。一般参賀は4日10時より1時間ごとに行われる。

なお、即位礼正殿の儀が行われる10月22日も国民の祝日となる。

また、上皇と御成りになった陛下は、赤坂御所にお住まいになり

「仙洞御所(せんとうごしょ)」と称する。「仙洞」とは

上皇陛下を仙人にたとえて称されたのが最初で

菅家文草嵯峨院譜に

老鶴もとより、仙洞の駕 

 とある。略して「仙院」ともいい

お住まいになる場所をそのまま「院」とも称したのである。

もちろん、譲位遊ばしたといはいえ、全くご公務がなくなるわけではなく

親しく国民へお言葉を賜る時はあるであろう。

そのため、上皇上皇后陛下に伺候する「上皇職」が置かれる。

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嵯峨院がお住まいとなった大覚寺。(出所 https://www.daikakuji.or.jp/

本来、この職は「院司(院庁)」と呼ばれた。嵯峨天皇がご譲位になって

嵯峨院にお住まいになったことをきっかけに、伺候する役人が必要というので

設置されたのが始めである。

なお、さらに次代の天子は、現在の皇孫殿下でいらっしゃるから

秋篠宮親王殿下は皇嗣と御成り遊ばし、その間、皇太子殿下は

空位になるわけであるから、東宮職は停止となる。

このように、代替わりをするというのは、国民はもちろん

行政や政府も大きく動くのである。

これもまた、新時代への準備であり、必要不可欠である。

しばらくはご即位の関連行事が控えている。

我々もまた、天子様へのますますの忠勤が求められるであろうし

私自身、そのつもりである。

この先はまったく未知の時代であり、深山幽谷を歩むがごとしだ。

しかし、天子様を奉じてこの新しい時代を切り開くことに

何の躊躇があろうや。一億が一丸となって知恵を出し合い、協力すれば

この先の大きな課題や困難もきっと乗り越えられる。

今こそ、本当の日本人の力を世界に見せてやろうではないか。

ソサエティー5.0が目の前に

もう間もなく、我々は平成の御代に別れを告げ

令和の時代を迎えることとなる。

平成の御代、この世界はかつてない変革の時代を突き進んできた。

ソサエティー5.0という時代が目の前にやってきている。

https://www.gov-online.go.jp/cam/s5/

5.0とはどういうことかというと、人間の文明・生活レベルの発達をいう。

1.0は狩猟社会

2.0は農耕社会

3.0は工業社会

4.0は情報化社会

そして情報化社会をさらに進めた5.0が「超スマート社会」である。

これは、AIやIoTが私たちの生活に浸透し、全てがビッグデータを活用して

あらゆるものが自動化し、それらが学習することで生産性を向上させ

社会問題解決に導くというものである。

わが国は、超少子高齢化を迎え、すでに人口減少社会に突入している。

大きな経済成長はもはや見込めない時代となっている。

そこで、一人あたりの負担を減らし、その分数をこなすことで

人手不足となっても、生産性の減少を抑止することができる理屈である。

例えば、荷物の配達にドローンを使用する、自動運転技術の発達

介護用ロボット、キャッシュレス決済などが挙げられよう。

しかし、イノベーションは必ず反動が出る。

例えばドローン技術の場合、国土交通省が測量などへの活用を推進しているが

資格認定機関の基準や、安全性などに課題が残されている。

キャッシュレス決済の場合、クレジットカード非保有者や中小企業への負担なども

考える必要がある。

 

携帯電話の進化も平成で

 

とはいえ、これらの課題解決は意外と早いかもしれない。

何せ、そもそも平成の初期は、携帯電話といえば背中に背負う衛星電話だった。

それが、トランシーバーくらいの大きさになり、PHSによりメールも打てるようになって

携帯電話が普及すると、携帯でネットができるようになり

ワンセグでテレビも見られるようになった。

スマホの誕生により、携帯電話は全てのデータが集積するツールとなった。

この進化が、この30年の間に起きたのであるから

今後30年でどうなるのか見当もつかないというのが本音であろう。

 

新時代、恐れず進め

 

しかし、わが国が文明開化から西洋化の道を歩む時

エルウィン・ベルツが指摘したように、変わってはならない伝統や習慣、文化は

存在する。これらを守りつつ、いかに時代の要請に応えるかが

我々の使命といえる。

もしかしたら、一周回って紋付き袴が見直される時代が来たりするのかもしれない。

先行き不透明で不安もあるが、恐れず進もうではないか。

悪いこともあるだろうが、間違いなく総合的に見れば良い時代と思えるはずである。