交流人口増加に寄与できるか?「イーレ!はせくら」
先日、新しくオープンした「イーレ!はせくら王国」という施設に行ってきた。
場所は柴田郡川崎町にある、支倉地区の支倉小学校跡だ。
この支倉小学校、2012年に廃校となった。
その校舎を、新たな交流・商業施設としてリノベーションしたのが
「イーレ!はせくら王国」だ。施設は、物産コーナー、レストラン
イベント、キッズスペースなど。
正直、川崎町の中でも国道286号から離れていることもあり
アクセスは良いとはいえない。
実は支倉常長の故郷!
では、なぜこの施設を活用しようとしたのだろうか。
この川崎町の支倉地区、実は読んで字のごとく支倉常長の故郷なのである。
支倉常長といえば、伊達政宗の命を受け、ヨーロッパに渡ったことで有名だ。
スペイン王国との通商交渉が主な目的だが、常長ら使節は多くの試練を
国王・フェリペ3世と謁見した後、バチカンに赴きローマ教皇にも謁見。
ローマ貴族に叙せられた。常長は主君・政宗の書状を無事届けることに成功
カトリックに入信し、ドン・フィリッポ・フランシスコと洗礼名を名乗った。
肝心の通商交渉は物別れに終わり、失意の常長はフィリピンを経て仙台に戻ったが
折り悪く、幕府はキリシタン禁止令を公布しており、副使を務めた
宣教師のルイス・ソテロは火刑に処された。常長も仙台に帰藩しても
幕府を憚って、大々的な歓迎などはされず、後も隠棲に近い状況で帰国後2年で
病死した。しかし、彼がもたらした数々の資料や業績は、後世に高く評価される。
常長が持ち帰ったローマ公民権証や教皇・パウロ5世の肖像画といった資料類は
他に類例がなく、2001年に国宝に指定、13年にはユネスコ記憶遺産に認定された。
それだけではなく、スペインには「日本」を意味するハポン姓の住民がおり
使節団の血筋ではないか、といわれていたり
珍しいところでは、常長は日本人で初めてチョコレートを食べたと伝わっている。
そのエピソードから、「イーレ!はせくら王国」ではカカオを使ったカレー
カカオを使った揚げパンなど、町の新たな特産品として売り出し中だ。
見どころはそれだけではない。
この施設の背後には、円福寺があり、そこが支倉家の墓なのである。
常長の領地は仙台市の北西部にある大郷町だったため、そこにも墓がある。
この墓は山の斜面に建てられているが
支倉氏の居城である上館城跡でもある。支倉氏はもともと伊達氏譜代の家臣であり
境を巡って砂金(いさご)氏と争っていたという。
譜代の臣ではあったが、中程度の家臣に過ぎなかった。
とはいえ、川崎町は秋保氏や最上氏、粟野氏と勢力を接する場所で
そこに配置されたということは、伊達家の信任が厚かったとも
いえるのではなかろうか。
そのような歴史を経て、近年支倉常長の顕彰の動きが活発となっている。
他の市町村のご他聞に漏れず、川崎町も人口減が著しい。
仙台市に隣接し、かつ東北自動車道が通り、山形市との間に位置している割には
大規模な工業団地がなく、土地区画整理事業も近年はほとんどないためだ。
つまり、整った交通インフラと地の利を生かしきれていないところに
この町の課題がある。
この「イーレ!はせくら」が川崎町を変えるほど交流を生む施設にはならないだろう。
しかし、もし川崎町が変革を求めるならば、交流人口を増加させる拠点の一つとして
機能することは間違いない。
イーレ!はせくら王国