白雉日報社公式ブログ

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今も残る、競馬の本来の目的とは

先日はNHKマイルカップということで

ツイッターでも大盛り上がり。春のG1シーズンは

宝塚記念まで熱い戦いが繰り広げられる。

人気スマホゲーム「ウマ娘 プリティダービー」も連動イベントを

実施しており、競馬ファンが急増しているということだ。

 

国策に沿った近代競馬

 

そんな中、「パチンコパチスロも競馬と同じ」とかいう書き込みが

見られる。はっきり言って両者はギャンブルという共通項があるだけで

本質は全く違う。誤解があるといけないので、この際そもそも競馬は

国益に沿った目的でスタートしたことを明記しておこう。

競馬がわが国で始まったのは、江戸時代後期に外国人の居留地で行われたのが

初めてである。その後、神社の祭礼で競馬を開催することはあったが

制度化されたものではなかった。

明治42年(1909)年になると、日清・日露戦争を経て

競馬法特別委員会が衆議院に設置された。

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近代競馬発祥の地・根岸競馬場(公益財団法人馬事文化財団HPより)

その会議の中で、委員の関口安太郎代議士と政府委員との間のやり取りがある。

文語体であり、しかも回りくどい言い方であるから、意訳してお知らせする。

関口 馬匹改良になぜ競馬が必要なのか、よくわからないんだけど。

   私も金を払って馬匹改良をすることはわかっている。

   ただ、競馬に必要な馬を標準とするのか、それとも競馬の収益金で

   馬匹改良に使うのか。 政府としてどのように重きを置いているのか。

政府委員 政府は8年計画で全国の馬匹の血統を統一するという方針です。

     そこで種牡馬を立派なものとするために競馬は必要なのです。

 当時、馬は農業や運送などの労働力として重宝されていただけでなく

軍馬としても徴用されていた。ただ、当時のわが国の馬の品種は外国のそれと

比べてさほど優れていたわけではなく

日露戦争では兵百人の命よりも軍馬一頭が大切にされていた。これはわが国の

 品種改良が遅れていたためである」という指摘も衆議院請願委員で指摘されている。

それで国が主催する競馬がスタートして、馬の品種改良を進めていたのであるが

大東亜戦争後、国の方針は大きく変わる。

昭和22(1947)年の貴族院地方競馬改正特別委員会ではその趣旨が語られている。

四条隆慶侯爵 農耕の上には馬の増産が必要になっています。従来、馬といえば

       軍馬と考えられていたんですが、もう軍馬は関係なしに

       田を耕したり、物を運んだりする手段として馬を奨励したい。

       そのために地方競馬を盛んにして、国民の注意を向けたい。

もう軍馬としての使命はなくなったけれども、労働力として増産する必要があって

その奨励のために競馬が必要だというのであった。

以上の国の要請に従って、わが国の競馬というのは推移してきた。

 

現在でも優遇がある内国産馬奨励制度

 

競馬で血統が重視されたり、調教師の地位が高いのは、ひとえに

馬匹改良という視点である。国内の重賞を農水省はじめ国が主催するのは

「国内の畜産振興」という大目的があるからである。

その経緯があって、国内の競馬では、いわゆる外国産馬の出走には制限があった。

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日本ダービーに出走できなかったマルゼンスキー日本中央競馬会HPより)

1974年に米国から持ち込まれたマルゼンスキーは、デビューから快進撃

スーパーカー」と呼ばれ8戦全勝とまさに敵なしであった。

ところが、持ち込み馬(母馬が海外で受胎し、日本で出産した)である同馬は

東京優駿日本ダービー)に出走することができなかった。

これは国内における「生産」のプロセスを飛ばしたために引っかかったのであった。

現在の価値基準から考えれば「走らせてやればいいじゃん」と思いがちだが

あくまで畜産の振興という競馬本来の目的を考えれば、理解できるのではないか。

そのため、競馬の収益金というのは10%は国庫または自治体の収入になるのだが

農業・畜産の振興に充てられるのである。

また、内国産馬の場合、レースに出れば奨励金が支給されるので

賞金額的には有利である。

例えば、天皇賞春を一着で優勝した場合、本賞金は1億5000万円だが

内国産馬奨励賞が350万円も支給されるのだ。

オープン戦でも、一着の本賞金は2100万円だが、内国産馬奨励賞は200万円で

結構な額である。わが国の競馬は、外国産馬にも広く門戸が開かれてはいるが

内国産馬に対する報酬も大きい。

ひとえに生産者の並々ならぬ苦労を思えば当然といえるだろう。

「そもそも馬は労働力として使わなくね?」という声もありそうである。

確かに、オートメーション化が進み、馬が労働力として使われる光景は

少なくなった。とはいえ、例えば電気が使えなくなった場合や

燃料がなくなった場合、必要になるのは馬である。

我々と馬との関わりはそう簡単に途絶えるものではないのだ。

競馬とは、パチンコやパチスロなどとはそもそもの目的が全く違うことを

ぜひご理解いただき、程よく嗜んでいただきたいものである。