白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

今日は晴れ。暖かい。
冬晴れの割に、なんとも暖かい過ごしやすい日でござったな。
変な夢を見た。
何故か学校の連中で何かのイラストを書いて、それを私がまとめて撮影する役目だった。
Y代、Y子、H野、S木君だったかな、メリ子もいたかな。人選はわからん。
何故か撮影は携帯で撮っていた。私のデジカメはあまりにブレやすいので。


今日、「特ダネ!」で宅急便の梱包についてやっていた。
その中で特殊な梱包について梱包材を使用した日本酒の入った一升瓶
を床に落として割れない、ということをやろうしたのだが
ドン、ガシャン!
あーあ、割れちゃった。
素人なので・・・と言っていたけど、梱包材は素人云々じゃないと思うんだが。



さて、今日はHermit氏、k坂氏と会談に及ぶ。
というか、大衆団交。世に言う「オタク・マニア論争」である。


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「オタク・マニア論争」はきっく書記長に、オタク疑惑が浮上した、党内の思想的対立である。
第163革命中央委員会において、k坂指導部委員の指摘によると
「きっく書記長はこれまでの言動に対して自己批判し、総括すべきである」
とあり、これにHermit中央委員が同調したことから表面化した。
 きっく書記長は疑惑を否定するも、Hermit氏との会話に問題点が明示されており
全面的な否定は不可能であり、「オタクではないが、マニアであることは認めざるを得ない」
との声明を発表した。
 だがk坂氏はあくまでオタクであることは明白であり、マニアという曖昧な表現で事態の収拾を
図ろうと考えるのは革命精神の欠如であり「甚だしくブルジョワ的である」と批判した。
中央委員会において、これだけの批判が巻き起こるのは異例のことであり
社会民主主義帝国主義」を標榜するきっく体制の揺らぎは避けられないものとなった。
好敵手でありながら、権力中枢の支えであったH間書記が失脚し、またHermit氏の日和見により
党内改革の嵐が吹き荒れたと見るのが妥当である。
この問題は、きっく書記長が邪神の像を賞賛したことに端を発し、偶像に対する崇拝を
行ったことも原因の1つといえる(桑谷・能登問題)。
 そもそも、きっく書記長は一貫した現実主義者であり、思想取締局上層部を一斉粛清し
N岡山形支部第一書記を無期活動停止処分とするなど強権的指導者であった。
 また、「帝国主義の担い手」ことタカ首相とは盟友的存在であり、山形支部における
N岡第一書記の処分もタカ首相との合意によるものであることが明らかとなっている。
 ところで、タカ首相はバンドマンという側面もあり、きっく書記長は彼の音楽的趣向に
少なからず影響を受けているが、その中には同人及びアニメソングも含まれていたため
「世の中には認められずに眠っている名曲がたくさんあるのだ」(第120革命的文化小委員会議長演説)
と考えるに至った。これまでメジャーのみ、且つ流行のアーティストにも飽きが来ていると
感じたきっく書記長は、あらゆる音楽に対して門戸を開くようになっていった。
 このようにして次第にリベラル的要素を含み、強権的な志向は鳴りを潜めるようになっていくのである。
 きっく書記長は、いわゆる「2006年テーゼ」を発表、その中でk坂委員の「実権派」との共闘を
図り、Hermit氏日和見の原因である「ラジオを聴くこと」の厳守を確約し、事態は沈静化した。
以来、きっく書記長は「おしゃ木」を聴くこととなり「尚更オタクと呼ばれるかもしれない」と
危惧していたが、一方でそれによってHermit委員の支持を得ることが可能となり
きっく政権崩壊の危機は避けられる公算が高くなった。


その後、きっく書記長はk委員との電話会談において、「マニアですらない」と翻意した。
その理由は未だ勉強不足で、マニアと称されるのはおこがましい限りとしている。
対してk氏は追及せず、形式上はきっく書記長はマニアではない合意が形成された。


関連項目
・2006年の事件
帝国主義
シスタープリンセス



(この「オタク・マニア論争」はきっく帝国主義民主共和国に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者は求めていません。)