室町幕府の官制とは?
どれくらいおられるだろうか。
目下、十兵衛が幕府の奉公衆として出世の第一歩を
踏み出したところ、政所執事の摂津晴門と対立しているところである。
室町幕府の官製というのは、ある程度幕臣の役割が決まっていた。
主なものを挙げてみよう。
〇将軍
職掌:将軍を補佐する。
〇政所執事 京極氏・二階堂氏→伊勢氏→摂津氏(今ここ)
職掌:財政を司る。
〇評定衆 中原氏、三善氏ら24人
職掌:政事を議論し、吏務を行う。故実に詳しい人物が選ばれた。
〇引付頭人 吉良氏・石橋氏、摂津氏・二階堂氏
職掌:訴訟のことを司った。足利一門を正頭といい、それ以外を権頭と称した。
〇問注所執事 町野氏、大田氏
職掌:記録、証券のことを司り、詐欺などの訴訟も手掛けた。
〇侍所所司 赤松氏、一色氏、山名氏、京極氏
朝廷や幕府を警護し、京の治安維持を行う。
このほか、各奉行や地方においては探題という長官がいて
各地の大名をまとめていた。いずれも足利一門や有力守護がなるのがしきたりで
奥州探題:大崎氏(斯波氏、足利一門)
関東管領:上杉氏(足利氏被官)
中国探題:大内氏(有力守護)
九州探題:渋川氏(足利一門)
と、ある程度は決まっていたが、いずれも時代によって変遷がある。
とって代わられたし、奥州探題もまた、伊達晴宗が就任しており
大崎氏の没落が顕著となった。
そのようなわけで、摂津氏というのはもともと引付衆であったのだが
晴門の時に、伊勢氏から代わったようである。
この要因は、伊勢貞為が、足利義昭と敵対していた義栄に仕えたことと
義昭上洛に合わせて貞興に跡を継がせているが、貞興が幼少であったことが
大きい。
きらりと光った公家の活躍
ちなみに、この時の関白は二条晴良であるが、すぐに一条兼冬が就任し
それから近衛前久が就任。1554年から68年までの14年間務めることになる。
吉田兼見、勧修寺晴豊といった公家衆は、日記形式で当時の政局の様子を
記しており、第一級の史料として重宝されている。
幕府側もそうであるが、朝廷特に公家衆が光っているのも
この時代の特徴である。これが秀吉・家康が天下を取り
公家の抑え込みに入ると、一気に朝廷側の存在感が希薄になってしまうのである。