起請文とは…実は法律の改正願いだった?
先日、「起請文」について少々調べる必要があって、手元の書籍を当たってみた。
起請文とは、簡単にいうと神仏への約束事を明記した文章を指す。
しかし、そもそもなぜ起請文というのか。天下のwikipediaも詳細は触れてくれない。
奈良時代の法律用語で、官庁が法律の改正を願い出ることをいう。
それが平安時代になると寺院の制規をいうようになり
平安時代末期に、「起請祭文」といって神仏へ誓約する形式が完成した。
起請文には二つの段から成っており
前段は「敬白起請文之事」と端書して、確約する内容を書き
後段には神仏名を挙げて違約した場合は罰が下ることを書く。
とはいえ、時代の変化とともにその様式も多様化した。
神道辞典には
中世以降の社会不安は起請文の要求を盛んならしめ
その形式も多様となり、神文の神名は確約強化のため増加する傾向と
なったけれども、信頼性は却って希薄となった。
とある。
神々に「盟う」のは古代支那も
少々ズレるが、同盟など国家や人の間の約束事を「盟う」というが
古代支那(春秋時代)の風習で、祭壇で生贄を殺し、その血を互いに飲むことで
盟約が交わされたことを天地神明に宣言したのである。
中原の諸侯が集まって会議が行われる時、その呼びかけ人となった君主が
生贄となる「牛の耳」を取ることから、「牛耳を取る」→「牛耳る」に転化した。
諸侯会議を主催した君主は、最も力があるということで
後世「春秋の五覇」に数えられたりもした。
古代支那の文化はわが国にも息づいている。
私も、この一年の目標を起請文にしたためて、寺社仏閣に奉納すれば
ちょっとは覚悟も出てくるものだろうか、と考えている今日この頃である。