白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

今日は晴れ。やや暖かい。
せっかくうちの犬と遊んでやろうとしたら
あいつは、こんな時に限ってぐーぐー寝ておった。
だけど、何だか起こすのが気の毒で仕方なく放っておいた。
気持ちよく寝てる時に、ほんの気まぐれで起こされるほど
頭に来ることはない。犬だって同じだろ。


ところで、もう少しでFP技能士の試験申し込みが始まる。
ネットからも申し込みが可能だなんて、何と便利な世の中だ。
と思いつつ、試験日なんぞ来なくていいのに・・・。


さて、「信長の棺」がありましたね。
バッチリ見ました。いや、抜け穴だなんて、何とも面白い説ですね。
しかしこの場合、証拠がない。
せめて穴でも見つかればいいのにね。
それから、近衛前久が黒幕の1人のようになっていたが
私はむしろ、観修寺晴豊が怪しいと睨んでいる。
同人の著による『観修寺晴豊日記』によれば
信長が朝廷の儀礼に口を出してきたことについて文句を連ねているし
明智光秀が討たれた小栗栖は観修寺晴豊の領地だったからね。
とまぁ、こんなことを用いて、「本能寺の変の黒幕は朝廷」説を
もがよしに対して討論を申し込んだことがある。論破されたけどな。
そう、こんなことだけでは証拠になりえない。
しかも正親町天皇は信長と懇意だった。右大臣就任もその1つ。
近衛前久も、信長によって京都に戻るまで石山本願寺にいたわけで、反信長に属していれば
本願寺との調停に乗り出すわけもなく、当然甲州征伐に同行するわけもないって寸法。
勿論、それなら光秀が変後に朝廷から京都守護に任じられたのもおかしいし
信孝が前久に追討令を出したことや、吉田兼見に対する事情聴取もある。怪しい。
だけど、それは光秀に対する厚遇に対しての処置かもしれない。
朝廷黒幕説も、ちょっと影が薄い。
では秀吉はどうか。
これは何とも言えない。急いで帰ってきたからといって
それだけで疑うことはできない。光秀挙兵を知っていたなら
毛利と戦うことをするのか。例え戦うにしても、小競り合いやっておしまいで
いいような気もする。城攻めは時間がかかるからね。
そんじゃ家康は?
いやいや、家康は「神君伊賀越え」で命からがら逃走したくらいだ。
黒幕なら、逃走する必要はないだろうし、コソコソと山を越える必要もない。
むしろ、全員(少数だったけど)で盛大に逃げた方がパフォーマンスになるぞ。
何で逃げたかっていうと、次は自分かもって思ったからだろ。
仮に知ってたとしたら、その前に逃げるわな。
遺体は?
どこだろうね。黒こげになったのが何体もあるってんなら
一体どうやって判別すべきだろうかね。奥にあるのか?
まさか歯の治療跡とか、そんな判別方法はないだろ。
探してるうちに「もうどうでもいいや、ないない」
それでよかった・・・わけがない。生きてたらピンチだ。
でも考えてみると、WTC同時多発テロでも、行方不明者がいっぱいいたな。
つまり瓦礫に埋まってしまって、見つからないってこともあるんじゃ?
いくら光秀でも、瓦礫を全部さらって、土の中まで全部掘ってみたわけじゃないだろ。

まぁあくまで推測です。