白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

今日は、本当だったら福島に行ってるはずなんだけど
友人に不幸があって行けず終いです。
しかし、今回のことは人の死について考える機会を与えてくれました。
人が死ぬるとは、どういうものでしょう。
お棺の中をご覧なさい。なんと安らかな、まるで眠っているようでは
ありませんか。「おい、寝坊するな、起きろ」といえばハッとして
目が覚めてくれそうでしょう。本当にそうなら、何と幸せなことでしたろうか。
しかしそうはならなかったのです。この体は抜け殻だったのです。
嗚呼、本当に君は逝ってしまったのか。もう目を開くことはないのか。
何と早く、何と勿体無いことであったろうか。
神職の方は、こう言っていたのです「神様の仲間入りを果たした」と。
悲嘆のうちに神様になれるとは、とんでもない神様じゃないですか。
そんなものなら神はいらぬ。悲しみの裏に神は要らぬ。
私は強く願ったのです。私よりは彼の方が可能性が残っているはず
どうか私を、と。でも残酷なことに神でも仏でもいいが
そんな私の願いを彼等は棄却したのです。嗚呼、苦しいことです。
でも私は死んだことがありません。もしかしたら、彼の方が余程
苦しんだやもしれぬのです。世人は死ぬるは易いといいますが
死ぬることは、どうにも苦しい気がするのです。苦しみぬいて初めて
安らかな顔になるのかもしれません。わからぬことではあります。
私には、心に平安がありません。だからこういうことが言えるのかも
しれません。しかし、この彼を置いて時間は進んでいくのです。
諸行無常とはいいますが、これも残酷なことです。
彼に執着していても仕方ないと、世人はいうでしょう。しかしそれでも
心は置いていきたいのです。昔のあらゆる場所に心を置いていきたいのです。
彼も心を置いていったに違いありません。だから彼の心を読み取って
いこうと思うのです。人の死とは真に心の旅の終焉でありました。