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あきつ丸の乗組員は海軍?陸軍?

大東亜戦争といえば、太平洋を戦場にしていたこともあって
独ソ戦などと比べても、海軍にスポットが当たりがちである。
島しょ戦を展開するに当たって重要なのは、制海権だからだ。
帝国海軍といえば、世界で2位の規模を誇り、緒戦では米国・英国どころか
それらの連合艦隊に対しても圧倒したことでも知られる。


ところで、あまり知られていないことだが、帝国陸軍も軍艦を運用していたことは
ご存知だろうか。大発や小発といった上陸舟艇のことではなく
現在の強襲揚陸艦の先駆けともいえる上陸舟艇母艦「神州丸」や「あきつ丸」である。

Wikipediaより、昭和19年改装後のあきつ丸)


あきつ丸は昭和17年竣工した陸軍の軍艦で、排水量はおよそ9000トン
全長は150メートルにも達した。大発を最大27隻搭載可能で
飛行甲板を備えており、航空機の発着艦も可能という、極めて多機能な軍艦であった。
これまで、敵地への上陸というのは将兵が輸送船に乗り込み
目的地まで海軍に護衛してもらうことがセオリーだった。
軍歌「歩兵の本領」で「しばし守れや海の人」とあるのは、このことを指す。
しかし、わが国はシーレーンを軽視したがため、海軍の護衛艦だけでは
敵潜水艦などに狙われる輸送船をカバーすることはできなかった。加えて、陸海軍の連携は乱れに乱れ
陸軍では独自で輸送船と護衛艦の機能を担う軍艦の必要性に迫られたのである。
あきつ丸は、蘭印作戦に従事、陸軍の快進撃の一翼を担ったが
その後はもっぱら輸送任務に従事し、昭和19年11月五島列島沖において敵潜水艦により撃沈された。


主な艦歴と概要は以上のとおりだが、気になるのは乗員であろう。
乗員は海軍なのか、陸軍なのか、というところは非常に気になった。
そこで調べてみると、あきつ丸や神州丸といった軍艦は、平時においては
上部構造を設置し、商船として運用されていたようである。
両艦ともに所属は日本海運とされ、他の商船と同様、戦時となれば
乗組員はそのまま軍属として勤務する。つまり、乗組員は平時では民間企業の社員だが
戦時となれば軍人に准ずる扱いを受けており、そのために企業は補助金を支給されていたのである。
しかし、軍属だといっても敵は容赦などしてくれない。
あきつ丸だけでなく、多くの商船が輸送船として徴用され、多くが乗員とともに沈んだ。
トラック島では、今でも多くの船が沈んでおり、それらは引き上げられずに漁礁となっていることから
ダイビングスポットとしても知られている。
総力戦を表す一つのケースが、このあきつ丸を始めとする商船群の悲劇であるといえよう。