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日本第一党選挙対策委員会委員長とかいろいろやっています。

「生き残って再起を図る」という流儀

いささか遅くなってしまったが

9月21日は1600年、関ヶ原の合戦で敗走した

石田三成が捕縛された日である。

 関ヶ原から敗走した後、三成は居城の佐和山城に向かい

最後の籠城戦を挑むつもりであったとみられるが

さすがに追撃の手から逃れることはできなかった。

最後は交友のあった田中吉政隊に発見され、捕縛されたが

その扱いは酷いものではなかったという。

かように総大将が戦に負けた時、死んで詫びるべしというのが

一般常識とみられている。

だが、関ヶ原の合戦においては実はそんなことはない。

主だった西軍の諸大名で、自害したのは大谷吉継くらいで

宇喜多秀家小西行長も、戦場で自害してはいない。

その場では敗北しても、生き延びて再起を図るという考えは当時

主流とは言わないが、受け入れられていたと考えられる。

 

あえて生き残り再起を図る、という流儀

 

時代は下り、大東亜戦争においては

帝国軍人たるもの、潔く死ぬことが美徳とされた。

これは陸軍に限らず、海軍にも共通していた。

つまり天皇陛下からお預かりした軍艦を沈めてしまう時は

その責任を負って、艦と運命を共にするという考えが主流であった。

例えばミッドウェー海戦で沈没した空母四隻の艦長は赤城の青木泰二郎艦長以外

全員が艦と運命を共にしている。

その他、枚挙にいとまがないほど、海軍もまた

潔く死すことが当たり前とされた。

(なお、これは他国でも見られる慣習である)

一方、そんな考えに真っ向から抵抗した提督もいる。

駆逐艦「夕立」といえば、人気ブラウザゲーム「艦これ」でも主役級の

扱いを受けているため、ご存知の方も多いだろう。

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第三次ソロモン海戦では巡洋艦一隻撃沈、複数を損傷させる活躍を残した

1942年11月、第三次ソロモン海戦において夕立は、帝国海軍の第10戦隊から離れ

単艦で米艦隊に突撃。驚いた米艦隊は滅茶苦茶に砲撃し、米艦隊と第10戦隊に

挟まれた形の夕立は敵味方から砲撃を受け、さらに夜間ということもあって

互いに混乱の中で戦闘を行った。同士討ちは当たり前という状況で

夕立もまた、味方艦からとみられる砲撃で大破、航行不能となった。

艦長の吉川潔中佐は、あくまで夕立を救おうと、ハンモックを帆に使うなど

したが、結局は艦は放棄された。

その際、艦長として艦を運命を共にしないのかと聞かれた吉川中佐は

「いちいち艦と運命を共にしていたら、戦争をする者がいなくなるぞ」と

述べて脱出した。これは別に命を惜しんだのではない。

部下を置いて戦場から真っ先に逃げ出したり、自分は安全なところにいて

将兵を戦場に追いやったりしたわけでもない。

あくまで、人が助かっていれば次があるという流儀の現れである。

吉川中佐はその後、駆逐艦大波の艦長となったが、1943年のセント・ジョージ岬沖海戦で撃沈され、戦死した。

戦に臨む将兵の意志はさまざまな考えがあろう。

だが、生き残って再起を図るという考え方も一つの流儀である。

これが石田三成と吉川潔中佐の共通点といえよう。

死を覚悟しながら生きる。この心構えこそ、現代に生きる我々には必要なのではないだろうか。