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金沢城と神社

金沢最終日である。昨日のホテルは
ビジネスホテルだったんだけど、大浴場がついていて
夜中に入ったりしたんだぜ。
なかなか快適だった。ただ、エアコンの操作がよくわからなかったり
電源が遠かったりして、設備面で難はあったけど。


さて、今日は午前が金沢市内である。
定番といえば定番だが、兼六園に行った。
日本三名園の一つで、日曜日ということもあり
観光客がたくさん。外国人も多かったよ。

こんな感じで、日本庭園の奥深さを感じることができる。
めっちゃ広いんだが、人が多くてね。
ゆっくりできなかったのが心残りである。

こうしておばちゃんたちが手入れをしている。
何分、広い敷地内なのでかなり根気のいる作業だが
芝刈り機を使ったりは当然できないので、やむを得ないのだろう。
お疲れさまです。



兼六園の隣に、金沢神社という神社がある。
当社では、神社のカテゴリがあるのでそちらでご紹介することに
なると思うが、隣接して金城霊沢という場所がある。

中は井戸があって、水がこんこんと湧き出ている。
当たり前だが、とても透明度が高くて井戸の奥まで見える。
昔、この井戸で砂金を洗っていたのがこの名前の起源で
「金沢」の名前の由来になっている。
そんな安直な・・・と思ったが、宮城の白石市の由来も
確か白い石があったからだと思えば、地名の付け方なんて
案外そんなもんなのだろう。



金沢といえば、加賀百万石の城下町!
そんなわけで、金沢城跡は外せない。
ま、城下町じゃなくても外せないけど。
金沢城は、もともと尾山御坊とよばれ、一向宗の拠点だったが
佐久間盛政が攻め落とし、金沢城に改名した。
その後、前田利家が入り、加賀藩の居城となったのである。
金沢城は、石垣が大きく巡らされており、時代によって
増築が重ねられたため石垣の時期にバラツキがある。

いもり堀。金沢城の特徴は石垣と堀である。
とても幅のある堀で、兼六園との間には百間堀もあり
(現在は道路)城の規模もさることながら、防御施設の
壮大さには目を見張る。これも平山城という特性でもあろうか。
ただし、この規模の城を維持し得たのは100万石という大大名で
あったからで、例えば山形城などは最上氏時代は57万石で
立派な平城ではあったものの、同氏転封後はだんだんと廃れていく。

これは石川門の続櫓。ただいま整備工事中だが
実は1995年から2014年までの大規模な整備事業だ。
第一段階は終了し、金沢城復元計画に基づいた二段階目の工事を
行っているという。


この後はずっと神社に行っていたので
それは別の項に譲る。
実はこの時、もの凄く疲れていて
ファジーさに拍車がかかっていたのである。
また6時間かけて帰るんだぜ・・・信じられないぜ・・・。
ま、帰ってきてから書いているのでそんなことないが。


全体的に、とても勉強になったし
聖地がいかに地域振興に役立っているかについても
少しだが触れることができた。
金沢は仙台より人口が少ないのに、とても活気があって
中心市街地もにぎやかだ。仙台とはまるで違う
都市ビジョンを見ることができて、大収穫といえるだろう。