白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

東日本大震災から10年、新たな復興へ

本日は、東日本大震災から10年である。

僕はたまたま仕事で山形に行っていたので

仕事先で東向きに黙とうを捧げた。

当時はいろいろな人がいろいろな経験をした。

「一人で一冊の本ができる」と言われるほどだ。

それでも、当日皆さんの話を聞くと共通するのは

「その日は雪が降った」

「その夜は星空が綺麗だった」というもの。

3月11日と春先にも拘わらず、当日は雪が降ったのだ。

だから屋外にいた方はとても辛かったに違いない。

f:id:kick:20110311191507j:plain

仙台市若林区で外壁が崩れた店舗

 

もう一つは、星空が綺麗だったというものだが

その日は停電していたから、まちの日が消えて本当に夜空が綺麗だった。

のんきな話ではあるが、何もできないから夜空をボーッと見ていた。

沿岸部に行って、その惨状に言葉を失い、それから10年、復旧、復興を見てきた。

 

「見えない」復興

 

確かに、産業や防災への備えは進化したと思う。

女川町の中心部は大きく変わったし、山元町の市街地整備も見事なものだ。

かさ上げ道路や防潮堤も大幅に拡充されたので、安心感はあると思う。

しかし、目に見えないメンタル面でのケアや、震災で親を亡くした

震災孤児への支援は、民間ベースが大きい。

行政もやっていないということはないのだが、ハード面に比べると

見劣りするのが現状だ。

本日の追悼式典で、畏くも天子様はこう仰せになった。

 被災地ではまだ様々な課題が残っていると思います。

復興が進む中にあっても、新しく築かれた地域社会に新たに人と人との

つながりを培っていく上では課題も多いと聞きます。

家族や友人など親しい人を亡くしたり、あるいは住まいや仕事を失い

地域の人々と離れ離れになったりするなど生活環境が一変し

苦労を重ねている人々のことを思うと心が痛みます。

また、原子力発電所の事故の影響により、人々がいまだに自らの家に

帰還できない地域や、帰還が始まったばかりの地域があり

農林水産業への風評被害の問題も残されています。

高齢者や子供たちを含め、被災された方々の心の傷を癒やし

心身の健康を見守っていくことも大切であると感じます。

 誠に勿体ないお言葉であり、仰せごもっともと恐縮の限りである。

宸襟を安んじ奉るため、我々はかかる問題に挑んでいかなければならない。

10年とは、復興の終わりを指すのではない。

新たなステージへのステップを指すのだ。

それから毎年のように起こる災害への備えも必要になってくる。

即ち「減災」である。台風や大雨など、ここ数年でかなり強力になった。

わが仙台市では「防災都市仙台」を標ぼうしているが

これを「防災国家日本」としていくことが大事だ。

これからの復興は見えないところ、手が届かなかった分野への支援

そして将来を見越した防災の向上こそが求められていると言えよう。

 

 

改めて、死者行方不明者1万8425人の方々

そして避難生活などで亡くなられた「災害関連死」3700人以上の方々に

対し、謹んで深い哀悼の念を捧げます。