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上皇陛下の御称号に関する一つの話題

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先日、君臣の発展を神宮にお参り申し上げ奉った

 

本年は天子様がご譲位遊ばし

元号が制定される年である。5月1日の東宮殿下のご即位に際し

臣下としてなお一層の忠勤に励む所存である。

 

上皇陛下の御称号について

 

さて、天子様がご譲位遊ばし、上皇陛下に御成り遊ばす。

いわゆる「天皇退位特例法」によれば

「前条の規定により、退位した天皇上皇となる」とあるからだ。

天子様は天皇陛下である。しかしてご譲位遊ばした後に「上皇」とお呼びするのは何故か。

もともとは「太上天皇」や「太行天皇」とお呼びした。それが略されて

太上皇」または「上皇」とお呼びすることとなったわけである。

意味としては、『史記』に「太上は無上なり。皇は徳、帝より大なり。

故にその父を尊び太上皇と号す」とあるのが答えと言えよう。

また、わが国においては「オリイのミカド」とお呼びしたり

「院」とお呼びしたことも多い。例えば「後鳥羽院」「後白河院」と

お呼びしたのである。百人一首でも知られていよう。

「仙洞」とお呼びすることもあるが、お住まいになる場所を指したのである。

皇太子殿下を東宮殿下とお呼びするのは、内裏の東側にお住まいになって

おられたのと同じように、お住まいになる仙洞御所が上皇陛下を示すように

なったのである。

治天の君」とお呼びすることもあるが、この時は「院政」を行い遊ばす時で

白河上皇に始まったとされている。

 

天子様へますますの忠勤を誓う

 

さて、天皇陛下を今や天子様とお呼びすることに何ら疑問のある人はおるまいが

そもそも、「天子」という言葉は『礼記』『書経』など枚挙に暇がない。

その他にも「万乗」「聖上」「至尊」といった支那的表現や

「スメラミコト」「スメラギ」「日御子」といった和風表現

「御門」「禁裏」など、お住まいになるところでお呼びすることがある。

折口信夫大嘗祭の本義』や河内春人『日本古代君主号の研究』などでも

その変遷などについて述べられているから、ご参考いただきたい。

また『漢書』には「上は天子と自ら謂うなり」とあって、よく時代劇で

将軍のことを「上様」というが、これは誤りで「上」と申せば天子様のことを言った。

(もちろん時代の権力者が違えば、意味が変わることもあり得るわけだが)

権力者でいえば、近代の君臣の関係を表す一つの例を出したい。

帝国議会において、貴族院の佐々木惣一議員がこのようなことを言っている

上に聖天子あり、下に愛國先覺の國民あり、又事務的に精勵の當局あり、斯くの如く上下一致して長年月の努力の結果、漸くにして成立しましたる所の帝國憲法が、其の發布以來今日に至る迄幾十年、是が如何に大いに我が國の國家の發展、我が社會の進歩に役立つたかは、茲に喋々する迄もありませぬ

上に天子様がおわして、下に愛国でかつ賢明なる国民がおる。そして勤勉なる当局が

いて、そのように上下が一致して長年の努力の結果成立した帝国憲法

わが国家や社会の進歩にいかに大いに役立ったかは、ここに断定するまでもない

という意味である。

誠にわが意を得たりの思いである。

この際において帝国憲法の是非を論ずるのは避けるが、しかしてわが国の

あり方は、根源のところで不変なのである。