白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

通夜に出席して説法を聞く

最近、じめっとした天気が続くがいかがお過ごしだろうか。
僕の周りでは、風邪が流行っていて非常に難儀している
人が多い。ぜひ暖かくして、気をつけてもらいたい。
(という言葉が通じるのは東北のみで、関東以西はかなり暑い
という報告を受けているが)
先日、僕の友人のご尊父が逝去された。
最近はそれほど話すこともなかったが、昔は川に鯉捕りに
連れていってもらったことがあり、あんな小さい川に
いろいろな生き物がいる!おもしろい!と感動したものだ。
寡黙で、職人気質な方だったが、だからこそ頼りになる人だった。


さて、通夜に列席した友人一同は、とても神妙な面持ちで
故人のご冥福を祈った。
通夜は真宗大谷派の本義に従って行われたが
その中で道師は一つの言葉を用いてあいさつした。
それは、真宗中興の祖といわれる蓮如上人の手紙によるもので
「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終
まぼろしのごとくなる一期なり。さればいまだ万歳の人身をうけたりといふことをきかず、一生過ぎやすし。
いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや、われや先、人や先、今日とも知らず、明日ともしらず
おくれさきだつ人はもとのしづくすえの露よりもしげしといへり。
さればあしたには紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちに閉ぢ、ひとつの息ながくたえぬれば
紅顔むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは
六親眷族あつまりてなげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず。
さてしもあるべきことならねばとて野外におくりて夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。
あはれといふもなかなかおろかなり。
されば人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく
後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。」
というものである。
朝、若々しい者でも、夕方には白骨になっている。
親族が集まって嘆き悲しんだところで、どうなるだろうか。
という、諸行無常を説いたものである。この教え自体は、仏教の宗派すべてに共通していて
いわゆる「執着」を捨てるべきであるという仏教の基本理念を説いたものだ。
道師の説明では、「人はいつ死ぬかわからない。だからこそ、1日1日を大切に生きることが
大切なのではないでしょうか」というものだった。
しかしまぁ、それも執着なんじゃね?なんて突っ込みは野暮というものだ。
ライフスタイルは人の自由。振り返ってみて「いい人生だったなぁ」と
思えれば、僕はそれで満足だ。後は次世代が気がかりではあるが…。