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キリスト教の祈り

今日は晴れ、やや暖かい。
多くの学校では、今日が卒業式というところが多い。
卒業式…旅立ちであると同時に、新たなスタートでもある。
生徒さんの立派な姿を見ていると
こっちまで嬉しくなってしまうね。
人生これから、いろいろ失敗して凹むこともあるが
なんだかんだで何とかなるものである。
失敗をして大きくなっていってほしい!


俺の経験では、学校の卒業式というのは
特色がかなり出るものである。
まぁ当然だけど。
例えば、キリスト教のミッション系であれば
礼拝式で行われるから、賛美歌だったり祈祷だったりで
とても厳かな中で行われるのだ。
そんな祈祷についてだけど、はてさて様式というのは決まっているのか?
と疑問に思ったので、手元にある新約聖書で調べてみた。
なぜ新約聖書を持っているのか?
いや、それどころか正法眼蔵、御書、金剛経の類もあるよ。
コーランだけは持ってない。まぁそれはそれとして。


「マタイによる福音書」6.9-13によれば祈りの言葉はこうだ。
「天におられるわたしたちの父よ
 御名が崇められますように。
 御国が来ますように。
 御心が行われますように、天におけるように地の上にも。
 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
 わたしたちの負い目を赦してください、
 わたしたちも自分に負い目がある人を赦しましたように。
 わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。」
これは訳の仕方で違うようだ。「負い目」が「罪」だったり
「必要な糧」が「力」だったり。
カトリックプロテスタントでも祈りのやり方は違うようだ。