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日本第一党東北地方の何でも屋さん。

今宮・天王寺〜幸村最期の地を巡る〜

29日から、大阪に行ってきた。
活動がほぼすべての日程で埋まっていたので2時間ほどしかフリーの時間がなかったが
その中で、行けるところまで行ってみたので
レポートしていきたいと思う。


まず、仙台空港から関西空港までのフライトだが
8:30出発にも関わらず、前日駐車場を予約しようと思ったら
空港周辺の駐車場が満杯という悲惨な状況だった。
仙台空港の周囲は民間の駐車場がいくつかあって、送迎付きなので
いささか離れていても問題ないのである。
その中で予約を受け付けているところもあるわけだが
前日は全滅だったわけだ。
そこで、ちょっと早めに出て(といっても7時頃だったが)
別の駐車場に行ったら、あっさり入れることができた。
とはいえ、見た感じ時節柄混んでいるようだった。
仙台から関空までは1時間ほどで到着する。LCCピーチ・アビエーション
ずいぶんと安く行けるようになった。年末年始なのでこの時期はお高めに設定されているが
それ以外では1万円もしない。なので今年2度も関西に行けるという恩恵に預かっている。
さて、今日は早起きしたこともあり、機内ではすぐに寝落ち。
ピーチでは大阪、京都行きのチケットも割引しているので機内で購入することもできる。
ちなみに僕は特急「ラピート」のチケットを購入。
関空はほぼ和歌山県側にあるので、大阪市街地まで1時間はかかる。それはバスでも電車でも同じで
それがネックといえようか。大都市のゲートウェイ空港ならではの事情である。


最初に向かったのは、今宮戎神社
今宮戎駅のすぐ近くで、寺院にも隣接していてちょっとした門前町のような状態となっている。

典型的な明神鳥居である。
ちなみに、読み方は「えびす」と読み、恵美須町にある。
本神社の祭神は、天照大神事代主命素戔嗚尊月読命、稚日女命で
推古8年、聖徳太子四天王寺建立にあたり、同地西方の守護神として建立されたのが
はじまりと伝わる。聖徳太子自らが市場鎮護の祈願を行ったという。
南北朝時代に一時断絶していたものの、後奈良天皇の御代に綸旨をもって再興
四天王寺との縁があり、戎神社を奉祭し、爾来商工業者の守り神として
崇敬を集めてきたそうだ。

本殿は神明造で、祭神とうまくマッチしている。
拝殿は大きく、特徴的な破風がおもしろい。
年末ということもあって、大晦日の準備で忙しいようだ。
神道辞典」によれば、1月の例祭には100万人もの人でにぎわうのだという。
聖徳太子による建立ということもあり、祭神は天照大神であるし
四天王寺の守護という面でも実に聖徳太子らしいといえる。
関西では、神道と仏教のつながりが深いようで、例えば春日大社興福寺比叡山日枝神社など
枚挙に暇がない。確かに、戎神も仏教由来の七福神の恵比寿、そして伊弉諾伊弉冉の子である蛭子(ヒルコ)と同一視されており
そのあたりも非常に興味深い。


さて、その今宮戎神社からさらに東に向かうことおよそ10分。
ちょっとした丘のようになっているところに鎮座しているのが安居神社だ。

細い路地を入ったところにあって、いささかわかりにくい。
本神社は、実は敷地内で真田幸村が最期を遂げたことで知られ
大河ドラマ真田丸」の放送もあって、一躍「聖地」となった。

本神社の正式名称は「安居天満神社」という。祭神は少彦名神菅原道真
もともとは少彦名神だけであったところ、菅原道真大宰府に左遷される際に
この神社で休息したという伝承から、菅原道真も祀られているのだそうだ。
とはいえ、やはり真田幸村の存在が非常に大きく、拝殿の中にも赤備えの甲冑や
「日本一の兵」という墨書も見ることができた。

右側は「真田幸村戦死跡の地」と刻まれた石碑で
左側は休息をしている幸村の銅像であり、触れることで御利益があるとされている。
大坂夏の陣茶臼山に陣取った真田・毛利勝永勢らは、南側から寄せてきた松平忠直勢らを打ち崩し
そのまままっすぐ徳川家康の本陣に迫った。
家康の切腹も覚悟させたという真田勢の相次ぐ猛攻撃はしかし、陣を立て直した徳川勢の救援により
失速していき、消耗した。
疲れ切った真田幸村は、安居神社で休息していたが
そこへ徳川勢が押し寄せ、ついには打ち取られてしまった。その地がこの安居神社の境内であるということで
多くの観光客が訪れている。

絵馬には真田丸のファンによりメッセージや、絵心のある人がイラストを描いて飾っている。
本来は天神社なのだから、学業成就にご利益があるはずだが
真田幸村関連ということもあり、勝負ごとに関するご利益もあると見られているようだ。
社務所では「勝ち守」も頒布されているが、「真田は勝ってはいないだろ…」というツッコミは無粋というものだろうか。
天下人の家康を追い詰めた功績や「日本一の兵」と評される幸村であるから
確かに(勝敗は別にして)勝負に強くはなりそうである。
この形式は、いわゆる「顕彰型神社」であって、「東郷神社」や「乃木神社」などと性質は同じだが
素地となる天満神社は残っているわけだから、顕彰型にカテゴライズしたとしても、ユニークな形といえる。

「海賊とよばれた男」に見る出光の「痛快事」

大人気ベストセラー小説「海賊とよばれた男」の劇場版を観に行ってきた!
公開されたときにすぐ観に行きたかったが、仕事が忙しくてなかなか時間が取れず
本日ようやく行けたというわけ。


本作は、百田尚樹氏の「海賊とよばれた男」を原作にしており
石油取り扱い業者の国岡鐵造(岡田准一)率いる国岡商店が
中小企業から出発し、さまざまな障害を乗り越えて一大石油元売り会社に成長するまでを
描いた作品である。
モデルとなっているのは出光興産であることは有名な話だ。
従って、クレジットにも出光興産から資料協力をいただいたことが記載されている。
まず、中小企業が安定した軌道に乗せるための小回りのきく経営。
これが多少の強引さもあって、「海賊」と呼ばれるわけだが
やはり一番困難なのは、大東亜戦争からの復興であろう。
文字通り全てを失い、0からのスタートであるが
「日本人がいる限り必ず立ち上がる」という鐵造の力強い言葉は
確かに社員の心を打ったのである。
日本の企業として、外国のメジャー資本に乗っ取られることは、国岡としては到底容認できないことであった。
そこでメジャーは国岡に対してさまざまな圧力をかけるわけだが、最後の手段で取ったのが
イランからの石油の輸入であった。イランと英国は当時対立の真っ最中であり
イランからの石油を積んだタンカーが拿捕される事件も起きていた。
その半面、イランには大手メジャーの圧力は及んでおらず、国岡が食い込むのはそこしかなかったのである。
これもまた、出光の「日章丸事件」をモチーフにしており
西側各国の圧力をガン無視して、独自の貿易ルートを確立した痛快時であった。
その後、1980年代に米国とイランの対立が強まる中、米国はわが国に対してイランとの石油の取引をやめるよう要求したが
わが国政府はこれを拒否、日・イの間の石油取引は出光が先駆けであったといえる。


さて、本作では岡田准一による鐵造の若い演技から晩年まで幅広い演技を見ることができる。
実に良い演技で、素直に感心した。
百田尚樹氏の作品では、「永遠の0」に続いて2作目になるが、ますます深みが出ていて
岡田准一の好演は本作の屋台骨とさえ言って良い。
また、モデルとなった出光興産は、現在でも独立系元売りとして国内2位(首位はJXホールディングス
の売り上げを誇っている。もちろん、エクソン・モービルロイヤル・ダッチ・シェルなどの世界的な
メジャーには劣るものの、ここまで資本・人的な独立を保っている企業も珍しい。
本作で出光興産に興味が出てきた方は、ぜひ同社の歴史や経営についても学んでみると
新しい発見があるのではないだろうか。

ビブリオマニアで困っていること…

現在、放送中のアニメ「バーナード嬢曰く。」という作品をご存知だろうか。
文学に詳しい方なら、タイトルが「ピグマリオン」で有名な作家バーナード・ショーからとった
ということはすぐにおわかりになろう。
たった3分程度の作品なのだが、何気なく本作を見ていて
すぐに引き込まれてしまった。
読書家あるある、がこの数分の中にいくつも盛り込まれているのだ。
例えば、新しい本を買った時、ページ同士がひっついていて
ぺりぺりと剥がすことがあったり
個人経営の古書店は、やたら専門書を置いていたりと
読書が好きならば、一度は体験されているエピソードが語られているのである。
思えば、「R.O.D」にはじまり「ビブリア古書堂の事件手帖」など
「読書」をテーマにした作品も大分増えてきたように思う。
読書好きな皆様も、そのような作品に触れてみてはいかがだろうか。


かくいう僕も、ビブリオマニアすなわち読書マニアと呼んで差し支えないくらい
読書が好きである。書籍はアマゾンで買うことが多くなったが
書店にも通うし、古書店にも行く。
ブックオフにも行くし、個人経営の古書店にも行く。
その結果、我が部屋の本棚は本で溢れかえり、枕元にすら小さい本棚を設置しているくらいだ。
雑誌も複数定期購読しているので、本音をいうと弱り果てている状況。
最近は、新しく買うのをちょっと控えるようにして
今まで集めた本を読み返すことが多くなっている。
または、古書を解読することになろう。
古書店で狙っていた古書を見つけた時の達成感といったらない。
僕はよく、山形の古書店に買い付けに行くのだが
昭和15年に発行された、アドルフ・ヒトラー我が闘争」邦訳版を見つけた時など
天にも昇る心地だった。映画「山本五十六」で「お前たちの読んでいるのは削除されている部分があるぞ!」
と米内光政が叱咤するシーンがあるが、まさにこの本のことかーなどと追体験したりするわけだ。
昭和17年陸軍省発行の「作戦要務令」や「歩兵操典」なども良き買い物をした。
山形の古書店というだけあって、郷土の軍人である石原莞爾中将が組織した東亜連盟の機関誌もあった。
一方仙台の古書店では、仙台城下の古地図などもあって実に地域に合った品揃えなのである。
また、古書の場合、著者のサイン付きの場合もある。ただのサインではなくて
「◯◯様 献呈 △△」
という風に、明らかに◯◯氏の身に何かが起こったために売られたとしか思えないような本もあって
逆にレアっぽさを感じてラッキーと思ったりする。


そのビブリオマニアの末席を汚す人間として、どうしても後悔していることがある。
学生時代、歴史学を専攻していた(正確には考古学)こともあり
本棚を見ると歴史書がやたら目につくのだが、歴史学徒の基準となるのは
歴史教科書でも、新聞でもなく、吉川弘文館の「国史大辞典」である。
国史大辞典は五十音順で巻数が分かれている。
僕は、ご丁寧に「あ行」からずっと買っていった。
しかし、その巨大は広辞苑もかくや、というほどである。
さすがに収納に限界を感じた僕は、今でも交遊のある仲間に相談してみた。
すると仲間の曰く「あんなもん買うものじゃないよ」。
常に必要になるものではないから、図書館で使うべきだというわけだ。
確かに、あんな重くてでかいものを本棚から引っ張り出すだけでも一苦労。
今まで少しずつ買い続けた国史大辞典の列を眺めては、忸怩たる思いに駆られる日々である。


こんなことを書き連ねていると、ついつい古本屋へ足を運びたくなる。
本に親しむ日々…そんな風に暮らしてみたいものだ。

在特会会長代行就任に関する所感

12月1日、在日特権を許さない市民の会在特会)の執行部人事が発令され
本サイトの主筆である菊地内記が会長代行に就任した。
若輩者が諸先輩方を差し置いて、より責任のある立場に引き上げていただいたことは
実に恐縮するばかりでなく、在特会に改革に向けた取り組みを加速させていきたいと
身が引き締まる次第である。
現在の在特会を取り巻く環境は、2年前に八木康洋会長の新体制がスタートしてから
街頭活動ではなく、水面下の政治家などへの働き掛けにシフト。
そのため内外より「てぬるい」とお叱りを頂戴することがあり
何とかそういう声に応えたいと思っていたのである。
が、一方で在特会といえばそれこそ「悪の権化」ようなイメージを持つ方も
少なくなく、これといった実績はないのに悪名だけは高まっていく一方であった。
今期がスタートし、まずはかつてのにぎわいを取り戻すことから始めることが
課題といえる。
数年前の在特会は、資金力が多少はあったため
大規模な運動を展開することが可能であった。
例えば集会を行う場合の会場費や、道路使用許可の証紙費用も出すことができた。
今やその大部分は手弁当である。さすがに続けられない、というのが会員の本音であろう。
まずは往時の活動実績を取り戻し、サステナブル可能な運営を行うことが我々に課された使命である。
具体的には執行部で決定していくことになろうが、私の目標はそれに尽きる。
少なくとも、これ以上会員の皆様の負担を強いることには大きな心苦しさを感じるし
それを軽減できるよう、微力を尽くしてさまざまな施策を試みるつもりだ。
イデアがある方は何の気兼ねなく、ご披瀝賜りたい。


といっても、もちろん単純に大騒ぎすればいいというわけではない。
前会長時代は、ある意味で目立つことが最重要という認識があった。
「我々は既存の保守団体ができないことをやっている」と
今でもその自負はあるが、それを勝手に解釈して「何をしてもいい」と
思い込んだ人が出てきたこともまた事実である。
すなわち、「朝鮮人なら何をしても良い」「在日なんていなくなればいい」といった具合だ。
私が支部長を務める宮城支部は、設立以来穏健路線を採用するという柱を堅持してきたため
活動内容に何ら恥じるものはない。
が、何でもかんでも在日認定し、それをほぼ無差別に攻撃する存在が出てきたことは反省しなければならない。
はっきり申し上げる。そういった輩は会から出ていっていただくし
今後共闘することにも反対する。
我々はあくまで入管特例法をはじめとする在日特権の廃止を目的としているのであって
朝鮮人支那人を無分別に攻撃する団体ではなかったはずである。
それが我慢できない人々は今すぐ退会の手続きをお願いする。


一方、いわゆるヘイトスピーチというものに関しては
表現の自由を最大限に擁護する立場から、一方的な定義づけに反対する。
もし、今後の我々による言論活動がヘイトスピーチであるとするならば
不敬罪も復活されるべきだし、「日本死ね」もまた日本国民に対するヘイトスピーチであると
認めるべきである。しかし、そうしていくとさまざまな言論が統制されるのは火を見るより明らかだ。
ゆえに、いわゆるヘイトスピーチに関して処罰を設けることには断固反対する。


私の行動の指針は、私淑する晏子が元になっている。
晏子は本名を晏嬰といい、春秋戦国時代の斉の政治家である。
彼は派閥をつくらず、誰にでも腰を低く接し、いかに粗暴な君主でも諌めることを止めなかった。
広く賢人と交わり、庶民のために尽くしたため、下々からは大きく慕われ
晏子薨去する時には、君主である景公が「これからは誰が私を諌めてくれるのだ」と大いに悲しんだ。
かの有名な歴史家の司馬遷が「晏子の御者になりたい」と評するほどの名宰相なのである。
何か行動に迷った時(晏子ならどうしたであろうか)と考え、現在に至っている。
実は私は支那の歴史が大好きであり、そこから人生哲学を学ぶことが多い。
在特会の中でもあなたは変わっていますね」とよく言われる。
恐らく他人とは違う道の選び方をしているためであろうと、内心苦笑している。
まだまだ経験も浅い未熟者である。ぜひ、大勢の方のご指導を賜りたい。

全国の提督待望!「劇場版 艦これ」が上映を開始!

全国の提督が待望した「劇場版 艦これ」が本日公開初日を迎えた。
予告編はこちら

本作では、アニメ「艦これ」の後の物語となっている。
舞台は南太平洋のソロモン諸島連合艦隊は、ショートランド泊地まで進出していた。
重巡洋艦鳥海を旗艦とする第8艦隊は、哨戒中に敵艦隊と交戦。
その際、不思議な声を聞く。
偵察の結果、その声の発生源はアイアンボトム・サウンド鉄底海峡)であることがわかった。
そんな中、敵泊地を破壊した際、沈んだと思われたあの艦娘が戻ってくるのだが…。


初日は大勢の人が映画館を訪れた


初日ということもあって、上映後には東京で舞台挨拶も行われた。全国の映画館ではライブビューイングも実施。
赤城役などの藤田咲さんが司会を務め、加賀役などの井口裕香さん、吹雪役などの上坂すみれさん
長門役などの佐倉綾音さん、金剛役などの東山奈央さん、瑞鶴役などの野水伊織さん
睦月役などの日高里菜さん、夕立役などのタニベユミさん、古鷹役などの大坪由佳さん、衣笠役の中島愛さん
が登壇した。
舞台挨拶では、アフレコ時のエピソードが紹介され
上坂さんが海からの声を録った時、上坂さんの周りにマイクが置かれ
「一人輪形陣だった」と披露したほか
佐倉さんが軽巡洋艦「那珂」のアドリブを入れたものの「全カットされた」と吐露。
しかし「二水戦の3人がいなくなった時かすかに『那珂ちゃんもー』って聞こえるんです!」と
知られざるエピソードも。
今回アニメ初参加となった中島愛さんは舞台挨拶に慣れていないようで「自分もお客さんになってました」
と恥ずかしそう。
そこで藤田さんが「衣笠はいいカットインをしてくれるんですよ」とフォロー。…と思いきや
「最初に改になったのも衣笠が…」と熱が入り始めたところで佐倉さんに制止される場面もあった。
そう、藤田さんは「さっきぃ提督」として有名なのだ。
なので「アフレコの時、絵はまだラフ画だったんですけど、タニベっちと『あれはこうだよね』と話していた」ほど。
一方、本作で最多の兼ね役となった東山奈央さんは「あと一人(で10人)だったのに!」と悔しそう。
「アニメは榛名で始まって、劇場版では鳥海で始まったので嬉しい」とのこと。
ところで、藤田さんが好きなシーンで「瑞鶴が木の枝に座っていたところ」を挙げていたが
そこへ佐倉さんが「猿とアレは高いところが好きですよね」とコメントし、一時騒然。
「愛すべきアレだから!愛すべきアレだから!」とまったくフォローになっていないフォロー。
最後にそれぞれコメントを述べていたが、中島さんが「次はゴーヤも出たいでち!」とキャラ声で述べたほか
東山さんも摩耶の声でコメントを述べ、ますますさっきぃ提督は「尺とか関係なくなるから!」と興奮した様子。
最後まで藤田さんの独壇場だったが、笑いの堪えない舞台挨拶となった。


本作品は、さっそくアニメ版同様、賛否両論が相次いでいるようだが
戦闘シーンはとてもよく動いていたし、新しいキャラも出ていたので
喜んだ提督もいたようだ。
それに、史実もちょいちょい入れてきている。舞台挨拶でも話題に出ていたが
比叡が探照灯を照らしたため、集中攻撃を受けたのは第三次ソロモン海戦の時と同じである。
本海戦においては、比叡と霧島が米軍と交戦。霧島はサウスダコタと初めて戦艦同士の砲戦を行い
サウスダコタを大破させたものの、霧島はあえなく沈没してしまう。もちろん、作中でそこまでは描かれていない。
劇場版艦これでは、吹雪の内面的な物語と、睦月・如月の絆を描いている。
その点、日高さんの演技は実に涙を誘うものであったし、素晴らしかった。
惜しむらくは砲撃戦の最中にゆったり会話をしていたり、吹雪の物語がいささか急であったことだ。
が、それ以外は満点ともいえる。
艦娘の魅力を十分に引き出した、優秀な作品と評価したい。

提督必見!?呉を描いた「この世界の片隅に」が上映中


映画「この世界の片隅に」を観てきた。
本作は昭和8年、広島県広島市で幼少期を過ごした、すず(CV:のん)が
呉市の北條周作のもとに嫁ぎ、厳しい戦争の時代をたくましく生き抜く姿を描いた
ヒューマンドラマ。戦時中の「銃後」をリアルに描き
当時の様子をすずの視点から我々に伝えてくれる。
本作での魅力はやはりすずの生き方であろう。
いつもボーッとしていて、おっとりしていながら
一生懸命物事に取り組む姿は、戦時中であっても変わらない。
物資不足の中にあって、工夫を凝らしながら困難な日々を乗り越えていく様は
現代では考えられないことだらけだ。
もちろん、周囲の人間関係も重要なスパイスだ。嫁ぎ先の北條家は周作が軍属で
思いやりのある芯の強い若者。義父と義母も優しくすずを迎え入れ
すずの成長に一役買っている。
あの夏、すずはどのように受け止めたのであろうか。


さて、呉市といえば大日本帝国海軍の根拠地である。
その軍艦の姿も作中では描かれている。軽空母「飛鷹」「隼鷹」
重巡洋艦「利根」、すずの幼馴染・水原哲が乗り組む重巡洋艦「青葉」
そして世界最大の戦艦「大和」。最後のほうには戦艦「榛名」も描かれていた。
軍艦好きにも、魅力的な作品となっているであろう。


ところで、すずは絵を描くのが好きで、綺麗な呉軍港の見える自宅の庭で
スケッチをしていると、憲兵に叱られるシーンがある。
「これだから軍人は横暴だ!」と思われる方が大勢かと思う。
だが、これにはしっかりとした理由がある。呉はれっきとした要塞であり
「要塞地帯法」によって厳重に機密が守られていた。
撮影はもちろん、模写も禁止なのである。
「要塞地帯」であるから、その周辺の地形や建造物も模写してはいけない。
例えば海軍省が発行した写真であっても、要塞地帯が写っているものはNGであり
どうしても、という場合でも要塞地帯の部分は削除されるほど厳重だった。
地形がわかってしまうと、どこからが攻めやすいだとか、どの部分の守りが薄いだとかが
わかってしまうかもしれないからである。
実際、帝国海軍は真珠湾の見える場所から湾の様子を逐一偵察しており
軍艦の数や、どの方向から攻撃するべきか、情報を集めていた。
真珠湾攻撃は、情報戦でもあったわけだ。


それにしても、呉軍港空襲は軍港ゆえだとして
終戦直前の無差別空襲は鬼畜以外の何であろう。
もちろん、本土をまともに守れない軍部にも責任はあるのだが
米軍の戦闘機が逃げまどう一般市民を機銃掃射するガンカメラの映像は
実に生々しい記憶とともに現在に伝わっている。
(本土空襲・ガンカメラの映像はこちら
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22750279 )
日本軍はまったく歯が立たないじゃないか!と現在では言われているが
(実際そうだったのだが)
東京都杉並区久我山に配備されていた五式十五センチ高射砲は、対B29用に開発されたことで有名だ。
完成したのはわずか2門。だが、8月2日の空襲では、悠々と侵入してくるB29の編隊に対してこの高射砲が火を噴き
この日2機を撃墜したといわれている。そのため、B29は久我山を避けて通過するようになり
結局はそれで終わったのであるが、対高高度爆撃機への対策を行っていれば…と悔やまれるところだ。
戦争とはいつ何時、どのような理由で起こるかわかったものではない。
幸いなことにわが国は島国であることから、どのような備えをすれば良いか
選択肢は絞られている。
国土を防衛するためには、いかなる手段も惜しんではならない。
それが先の大戦の悲劇を繰り返さないために必要である。

けいおん!の聖地、豊郷町の現状と課題

さて、実は10月28〜30日、京都・滋賀に行ってきた。
これは、極めて親しい友人と「けいおん!豊郷小学校に行きたいすねー」
「いいね!いつ行く?」
というノリで日程を設定し、本当にサッと行ってきたものである。

豊郷駅はアニメ絵であふれている
豊郷に行くためには、京都から近江八幡近江鉄道に乗り換えるか
彦根から乗り換えるか、である。
いずれにせよ乗り換えは必要なので、便利であるとは言い難い。





車道への飛び出し注意を呼び掛ける看板なのだが
正式な名称がわからず、「飛び出し君」と呼んでいたのだが
後で調べたところ、「飛び出し坊や」というらしい。
豊郷町では、けいおん!のキャラクターの飛び出し坊やがあるわけだが
実は京都の出町胗商店街では「たまこまーけっと」バージョンもあったのである。




豊郷駅前のパン屋さんはこのようになっていた。
アニメ放送から6年が経っているということもあり
けいおん!ファンの客足は減少しているものの
根強いファンによる訪問は続いており、遠いところでは海外から来る人もいるそうである。



商店街の看板には、けいおん!のフォントで「とよさと!」とある。
これがまちなかまで続いている。
こういう細かいところまでこだわっているのはおもしろい。




けいおん!のキャラたちが通っている桜が丘高校は旧豊郷小学校
豊郷小学校は1937年、丸紅の専務取締役だった古川鉄治郎が出資し
高名な建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によって建てられたもの。
新校舎建設に伴い、この旧校舎は解体される運命にあったが
地元住民により、保存運動が展開され、訴訟にまで発展
解体推進を掲げた町長がリコールされたことでも全国的に有名になった。
住民による反対運動により、町長も解体工事の中止を発表し保存が決定した。
2013年には国の有形文化財として登録され、貴重な建築技術を今に伝えている。
それがアニメの聖地だというのだから世の中わからないものである。




アニメのオープニングでも使用された銅像のシーン。
古川鉄治郎氏の胸像である。
初代校長かな?と思い、それほど真剣に見ていなかったのだが
この方が丸紅と伊藤忠の役員を歴任した人物であり
とてつもない篤志家であるというので、今更自分の勉強不足を恥じる次第。
しかし改めて見ると、オープニングシーンで軽音部のメンバーで拝んでいたのも納得である。




これは平沢唯が部員勧誘の武器として仕入れてきた「ケロ」である。
なんと実物があった。
多分これはサトウ製薬の「ケロちゃん」が元ネタじゃないかと思ったのだが…。
さて、このケロに迎えられいざ部室に入る。







本当に部室になっているのである。びっくりした。
まるで本当に軽音部メンバーが集まっているかのようである。
小物までよく再現されていて、とても面白い。
この時、高校生がたくさんいたのも相まって雰囲気が良く出ていた。
にしても、高校生がたくさんいるのはどういうことだろうか。
で、近くにいた女子高校生に聞いてみたら、軽音楽の大会があるとのことで
県内の高校生が集まっているのだそうだ。
けいおん!の聖地は、なんと軽音楽の聖地になっていた。




おや、これは第二期5話で登場した…。
で、引いてみると





こうなるわけです。
作中では、このギミックが仕掛けられているのは部室ではなく
教室の澪の席なのであるが、教室は入室できなくなっているので
部室に置いてあるのだろう。




このヨーロッパの紙は、劇場版で登場したもの。
卒業旅行の行き先を決めるのに、唯がズルをした罰として
貼られた。





別棟では、物販・休憩コーナーやグッズなどの展示が行われていて
ここの部分だけは豊郷町観光協会の運営である。
観光協会ではより具体的な話を聞くことができた。
現在では、多い時で来校者は200人に上るそうだ。
軽音楽の大会は、今年で6回目。けいおん!に合わせて始まったもの。
県内から集まるというのは実に画期的である。
これによって、この日だけでも若者を中心とした交流人口が増えるわけだし
それを観に来る人もいよう。アニメからリアルへとうまくシフトできた成功例である。


実は、これまで気になっていたところがあった。
展示されている小道具はもちろん、パネルなどはCマークがない、つまりライセンスを得ていないのである。
つまり、無許可ということになる。コンテンツ産業はこのあたりはかなりシビアであると聞くが
観光協会によれば、「あくまでファンが自主的にやっていることであり、二次創作の部類に入る」とのこと。
つまり同人誌や歌い手などと同じく、運営サイドは黙認という形をとっている。
京都アニメーションさんとは相互不干渉の形をとっています。ですので、観光協会でも
大きく宣伝したりはしませんし、販売するグッズはTBSのライセンスを取っています」と担当者は語る。
確かに販売されているものにはTBSのCマークが入っている。
この手法は、ガールズ&パンツァーで成功を収めた茨城県大洗町とまるで逆である。
大洗町では、OARAIクリエイティブマネジメントがライセンシーを一手に引き受け
パネルをはじめとする展示物はバンダイビジュアルの許可を得ている。それ以外のものは基本的にNGである。
(ファンが作成したものを展示しているところもあるにはあるが)
これは、粗雑な模造品の氾濫を抑え、かつ一定以上のクオリティを維持するのに有効だが
その一方で、許可が出るまでは商品なり、小物類を提供することができないというデメリットが存在した。
が、豊郷町ではそういったものが存在しない。有志による活動であるから
基本的に手作りであり、もちろん公式の絵と違う。
公式の絵を求める人にとってはそこでギャップが生じるわけだが、単に作品を追体験したいというのであれば
まったく問題は存在しない。
もちろん、これは性善説を前提としているためで、二次創作はリスクが高いことは事実である。
しかし、豊郷小学校に限っては、十分クオリティは維持できているようだし
ファンも十分わきまえているようである。


しかし、大きな課題として駅前の商店街には飲食店はもちろん、店舗の数が少ないことが挙げられる。
本来であれば、豊郷小学校を核として地元商店街に回遊する仕組みをつくることは大事だ。
放送が始まった当初は、店舗ごとにキャラクターを配置したほか、スタンプラリーを実施するなど
したようだが、今となっては寂れた商店街に戻ってしまったようである。
「もともと、豊郷は観光地ではないので、仕方ないのですが」と話していたが
それにしても商店街の店舗の少なさはどうにかならないものか。
辛うじて、豊郷小学校の前に喫茶店が一つあるが、もっと多彩な店舗が欲しいところである。
そうでなければ、豊郷小学校は点としての拠点で終わってしまうであろう。
イベントの時限定で飲食店を行うのも方法としてアリだろう。
とにかく、商店街活性化のためには、安定した回遊の仕掛けづくりが必要である。