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今宮・天王寺〜幸村最期の地を巡る〜

29日から、大阪に行ってきた。
活動がほぼすべての日程で埋まっていたので2時間ほどしかフリーの時間がなかったが
その中で、行けるところまで行ってみたので
レポートしていきたいと思う。


まず、仙台空港から関西空港までのフライトだが
8:30出発にも関わらず、前日駐車場を予約しようと思ったら
空港周辺の駐車場が満杯という悲惨な状況だった。
仙台空港の周囲は民間の駐車場がいくつかあって、送迎付きなので
いささか離れていても問題ないのである。
その中で予約を受け付けているところもあるわけだが
前日は全滅だったわけだ。
そこで、ちょっと早めに出て(といっても7時頃だったが)
別の駐車場に行ったら、あっさり入れることができた。
とはいえ、見た感じ時節柄混んでいるようだった。
仙台から関空までは1時間ほどで到着する。LCCピーチ・アビエーション
ずいぶんと安く行けるようになった。年末年始なのでこの時期はお高めに設定されているが
それ以外では1万円もしない。なので今年2度も関西に行けるという恩恵に預かっている。
さて、今日は早起きしたこともあり、機内ではすぐに寝落ち。
ピーチでは大阪、京都行きのチケットも割引しているので機内で購入することもできる。
ちなみに僕は特急「ラピート」のチケットを購入。
関空はほぼ和歌山県側にあるので、大阪市街地まで1時間はかかる。それはバスでも電車でも同じで
それがネックといえようか。大都市のゲートウェイ空港ならではの事情である。


最初に向かったのは、今宮戎神社
今宮戎駅のすぐ近くで、寺院にも隣接していてちょっとした門前町のような状態となっている。

典型的な明神鳥居である。
ちなみに、読み方は「えびす」と読み、恵美須町にある。
本神社の祭神は、天照大神事代主命素戔嗚尊月読命、稚日女命で
推古8年、聖徳太子四天王寺建立にあたり、同地西方の守護神として建立されたのが
はじまりと伝わる。聖徳太子自らが市場鎮護の祈願を行ったという。
南北朝時代に一時断絶していたものの、後奈良天皇の御代に綸旨をもって再興
四天王寺との縁があり、戎神社を奉祭し、爾来商工業者の守り神として
崇敬を集めてきたそうだ。

本殿は神明造で、祭神とうまくマッチしている。
拝殿は大きく、特徴的な破風がおもしろい。
年末ということもあって、大晦日の準備で忙しいようだ。
神道辞典」によれば、1月の例祭には100万人もの人でにぎわうのだという。
聖徳太子による建立ということもあり、祭神は天照大神であるし
四天王寺の守護という面でも実に聖徳太子らしいといえる。
関西では、神道と仏教のつながりが深いようで、例えば春日大社興福寺比叡山日枝神社など
枚挙に暇がない。確かに、戎神も仏教由来の七福神の恵比寿、そして伊弉諾伊弉冉の子である蛭子(ヒルコ)と同一視されており
そのあたりも非常に興味深い。


さて、その今宮戎神社からさらに東に向かうことおよそ10分。
ちょっとした丘のようになっているところに鎮座しているのが安居神社だ。

細い路地を入ったところにあって、いささかわかりにくい。
本神社は、実は敷地内で真田幸村が最期を遂げたことで知られ
大河ドラマ真田丸」の放送もあって、一躍「聖地」となった。

本神社の正式名称は「安居天満神社」という。祭神は少彦名神菅原道真
もともとは少彦名神だけであったところ、菅原道真大宰府に左遷される際に
この神社で休息したという伝承から、菅原道真も祀られているのだそうだ。
とはいえ、やはり真田幸村の存在が非常に大きく、拝殿の中にも赤備えの甲冑や
「日本一の兵」という墨書も見ることができた。

右側は「真田幸村戦死跡の地」と刻まれた石碑で
左側は休息をしている幸村の銅像であり、触れることで御利益があるとされている。
大坂夏の陣茶臼山に陣取った真田・毛利勝永勢らは、南側から寄せてきた松平忠直勢らを打ち崩し
そのまままっすぐ徳川家康の本陣に迫った。
家康の切腹も覚悟させたという真田勢の相次ぐ猛攻撃はしかし、陣を立て直した徳川勢の救援により
失速していき、消耗した。
疲れ切った真田幸村は、安居神社で休息していたが
そこへ徳川勢が押し寄せ、ついには打ち取られてしまった。その地がこの安居神社の境内であるということで
多くの観光客が訪れている。

絵馬には真田丸のファンによりメッセージや、絵心のある人がイラストを描いて飾っている。
本来は天神社なのだから、学業成就にご利益があるはずだが
真田幸村関連ということもあり、勝負ごとに関するご利益もあると見られているようだ。
社務所では「勝ち守」も頒布されているが、「真田は勝ってはいないだろ…」というツッコミは無粋というものだろうか。
天下人の家康を追い詰めた功績や「日本一の兵」と評される幸村であるから
確かに(勝敗は別にして)勝負に強くはなりそうである。
この形式は、いわゆる「顕彰型神社」であって、「東郷神社」や「乃木神社」などと性質は同じだが
素地となる天満神社は残っているわけだから、顕彰型にカテゴライズしたとしても、ユニークな形といえる。