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先帝陛下のご遺徳を思う

さて、今日は昭和の日である。
すなわち、先帝陛下の御誕辰日である。
恐れ多くも、先帝陛下におかせられては
実に偉大な君主であられた。確かに昭和というと戦争があり
わが国にとって未曾有の試練の時期であったわけだが
しかしながら、先帝陛下をお偲び申し上げ奉る意味でも
御言葉をいくつか御掲載申し上げ、陛下の御人柄をご理解いただきたい。


○「皆が着ておらぬから」
昭和3年12月15日、当時の天皇陛下昭和天皇)の御即位の大礼も無事終わり
国民も喪を開けて、昭和の時代にようやく入った時期である。
天皇陛下の御即位奉祝行事の中に、関東各県から男女8万人が代々木練兵場に集まり
分列式と奉祝歌奉唱があった。
しかし、生憎当日は荒天で、大雨が降りしきる中であった。
侍従らは、当然陛下がお風邪を召しては大変と、天幕と防水マントを用意したのだが
いざ、分列式が始まると、陛下は天幕にお入りにならず
防水マントも脱ぎ捨ててしまった。
その理由を侍従がお尋ねしたら
「皆が着ておらぬから」とのことであった。
分列式に集まった人々は、まさか傘をさしたりマントを着たりして分列式を
やるわけにいかず、雨に打たれながら粛々と奉祝行事を進めていった。
その姿に御心を打たれたのだろう。似たようなエピソードがいくつかあるからも
陛下は常に国民とありたいとの御心であった。


○「わたしの時計は10円50銭の国産品だが、よく合うよ」
昭和の初め頃、愛知県の時計工場をご視察遊ばした時の話である。
コーヒーを随員とお楽しみになりながら、自然と時計の話を
なされていた時
随員の一人が金時計を取り出して
「陛下、これは外国製でございますが、なかなかよく合います。
国産のものはまだ不正確で、到底外国製には及びません」といった。
すると、陛下は無造作にご自身のポケットから時計をお取り遊ばして
「わたしの時計は10円50銭の国産品だが、よく合うよ」と仰せになった。
この時計は、銀座のシチズンの時計で、国産品と外国製品との比較のために
陛下が時計の値段を覚えておいでだった。


○「金はあるだろうか」
皇室財産というと、極めて莫大なものであると思われがちである。
実際、戦前で日本における大富豪は皇室という言葉もあるくらいだった。
しかし、その財産は決して浪費されることはなかったのである。
例えば、ある地方が水害に遭った時、数百万円をお手許金から下賜された。
戦前の数百万円だから、相当な金額であるが、その下賜は速やかに実行された。
ところが、陛下の御使用になる仏和辞典がボロボロでいかにも引きにくそうで
あったのを見た侍従が
「私が新しい辞典を買って参りましょうか」と願い出た。
すると「金はあるだろうか」という御返事が返ってきた。
「ございますとも」と、書店に仏和辞書を注文したところ
値段は20円たらずだった。国民のためにはいくらでもお支払いになるが
ご自身のこととなると、至って質素であられるのだった。
ちなみに、この侍従とは木下侍従次長である。


以上のことからわかるように、先帝陛下は
贅沢もなさらず、勤勉であらせられ、あらゆることにご興味をお持ちで
平和をご愛好であらせられた。立憲君主制であったにしても
かくのごとき賢帝に恵まれたことは、幸せであると言うべきであろう。
そうであるからこそ、戦後国民は変わらず陛下をお慕い申し上げ
復興に向けて精一杯努力し、経済大国と成しえたのである。
残念ながら、日教組教育によって国民は自信と誇りを失い
経済的にも政治的にも下降の一途を辿っているわけだが
今こそ、先帝陛下のご遺徳を思い、日本国民といての誇りを
取り戻すべきである。