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日本第一党選挙対策委員会委員長とかいろいろやっています。

真珠湾奇襲の日

1941年の今日は、アメリカ合衆国ハワイ州にある真珠湾に対して
日本機動部隊の艦載機による奇襲攻撃が行われた日である。
これについては、評価もさまざまで、一定の評価に落ち着くことは
なかろうと思われるが、この出来事は後の歴史と比較しても極めて重要である。
成功なのか失敗なのかっていう意味でも議論は多い。
例えば、戦艦4隻をはじめ、多くの艦船を撃沈したのは当然大戦果だけども
第三次攻撃が行われず、地上施設に対する攻撃が行われなかったということで
石油タンクを攻撃していれば、真珠湾から半年は作戦行動ができなかったであろうと
いう見方がある。それに、実は上陸部隊も派遣していたが、実際にこれらの部隊は
帰りにウェーク島を攻撃し、手痛い打撃をこうむった。
また、アメリカ軍は日本の機動部隊の位置を掴めていなかったし
航空母艦真珠湾から離れていたのだから、そこで撤収したのは間違いだったというのは
今だから言えることだろう。


当然、戦争状態となったからには、御上より開戦の詔勅が布告される。
御上、すなわち昭和天皇が平和をお望みであられたことは最早常識の域だが
では、重臣らはどうだったか。
昭和天皇独白録』によれば、11月29日に重臣と閣僚の懇談会があり
各々意見を述べたということである。それは以下の通りであった。


近衛文麿:外交ではすでに平和の途がなくなった。それでも何とかして
     平和が求められないだろうか。
平沼騏一郎:開戦となると、思想が混乱するから、面白くない。
米内光政:石油の問題を取り上げて戦争するのは面白くない。
     然らばといって、如何にして戦争を終結するかということについて
     確たる意見もない。
岡田啓介:米内と同意。
広田弘毅:戦争をしたほうがいいと言ったり、皇族内閣を推薦するなど
     外交官出身の彼には思いもかけない意見を述べた。
阿部信行:(開戦は)やむを得ぬ。
林銑十郎:戦争謳歌論。


米内の「ジリ貧」発言があったのは、この時である。
つまるところ、この時期開戦やむを得ぬという流れになっていた。


海軍では、『聖断』を期待していたフシもあり
嶋田繁太郎海相永野修身軍令部総長、沢本頼雄次官が11月に会談を行った。
その模様を沢本次官が記録していたのだが
永野総長「本日之(開戦)を阻止せんとするも殆ど不可能なり、来る所に来たと思わる」
嶋田海相「最後に聖断に依るのみ」
と話していて、結局御上に任せるということになっている。


結局この戦争での政府高官の思惑は
「やりたくないけど仕方ない」の一言に尽きた。