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真珠湾の疑惑

もはや言うまでもないが、本日は日米開戦の日である。
というか、この部分しか強調されないのは、やはり真珠湾奇襲のおかげであろう。
既に周知のように、作戦自体はマレー半島上陸の方が早い。
即ち、本来であれば日英開戦のほうが早いのだ。
ところが、公表が真珠湾奇襲のほうが早くなってしまった。
「我が帝国陸海軍は…」という有名な下りだ。
ところで、宣戦布告はなぜ遅れたのかという件については、未だ論争が多い。
曰く「駐米日本大使館は日曜日で休みだった」「ルーズベルトは攻撃を知っていた」などなど。
wikiに載っていない説として、「単に届けるのが遅かった説」があるのはご存知だろうか。
斎藤充功『なぜ開戦通告は遅れたのか』によると、鍵を握っているのは
新庄健吉陸軍主計大佐の葬儀にあると筆者は指摘する。
日本時間12月8日、病死した新庄主計大佐の葬儀のため、多くの参列者が集まった。
その中には、野村・来栖両大使をはじめ、外交・軍人の姿が見られたという。
ところが、葬儀を執り仕切った牧師の説教があまりに長引き、1時間以上の時間オーバーになった。
葬儀の終了後すぐにすっ飛んでいったが、すでに奇襲が行われた後だったという。
筆者は、そこで事実の提示を終えているが、推測として一つの可能性を挙げている。
この牧師の説教は、実は仕組まれたものではなかったか、というものだ。
新庄主計大佐は、スパイとして派遣されており、三井物産の嘱託という身分で
米国内で活動を続けていた。FBIはすでにその正体を見破り、その動向をつぶさに報告している。
それをうまく利用しない手はないということだ。
もちろん、米国が仕組んだものかどうかは推論の域を出ない。


だが、すでに日米は戦闘を行っているのである。
それが支那で有名轟く「フライングタイガース」の存在だ。
あくまで義勇軍という形で、支那において日本軍と戦っていた同部隊は
日本軍と戦うと同時に、国民党軍へ軍事顧問としての役割を担っていた。
内容は同部隊を率いたクレア・リー・シエンノートの日記『シエンノートとフライング・タイガース』に詳しい。
米国は、中立法の縛りがあり、国を挙げて開戦することは当時できなかったが
部隊を支那や英国に送り出したほか、レンドリース法などの際どいことをやっていた。
さらに、ルーズベルト大統領の不審な言動や、ハリー・ホワイトに代表されるソ連のスパイの存在も
陰謀論を際立たせている。この論争は、おそらく収束することはあるまい。
当事者はすでに亡くなっているし、史料も限られているからだ。