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WoT、ベルリン市街戦に合わせてガレージも変更!

世界中で人気の大規模オンライン戦車バトルゲーム「World of Tanks
を起動したところ、見慣れないガレージ(ホーム画面)と音楽に変わっていた。

何だか廃墟とブランデンブルク門らしき建物。
そしてその頭上に翻る米、英、仏、ソの国旗。
さらに遠くから聞こえる「ウラー!(万歳!)」という歓声。
そう、今日はベルリン攻防戦が収束に向かった日。
即ち、ヒトラーが自殺し、ベルリンのドイツ軍が降伏した日なのだ。


ナチス・ドイツは、1941年夏に始まったバルバロッサ作戦の発動後
ソ連軍を次々と粉砕していった。
特に、電撃戦の生みの親ハインツ・グデーリアン、中央軍集団司令官のフェードア・フォン・ボックらが
獅子奮迅の活躍を見せ、一時はモスクワまで30キロメートルの距離までスターリンを追い詰めた。
冬将軍の到来でモスクワ攻略が失敗に終わると、ソ連軍はそれまで温存していた予備兵力や
日本軍に備えていた極東軍を投入して大規模な反撃を実施。
包囲していたレニングラードは陥落せず、スターリングラードでは約8万人のドイツ軍が降伏するなど
だんだんと枢軸国も負けがこむようになる。
1944年には完全に戦前の領土まで押し戻され、西部戦線はノルマンディー上陸作戦で
ドイツ軍の防衛網が突破され、あっさりパリ解放を許してしまう。
1945年4月になると、ドイツの首都ベルリンがソ連により包囲され、世界でも類を見ない大規模な市街戦「ベルリンの戦い」が始まった。
この時、ドイツ国防軍武装親衛隊はもちろん、国民突撃隊と呼ばれる市民による即席の軍隊も組織された。
これら即席の軍隊は、満足な軍服も武器も与えられず
腕章を巻き、無反動砲「パンツァーファウスト」を携えながら、果敢にソ連に攻撃を行った。
帝国議事堂に赤旗が翻ったのは、翌日2日のことである。
既にヒトラーゲッベルスはこの世になく、防衛総司令官であるヘルムート・ヴァイトリング上級大将により
ベルリンの降伏が宣言された。


ベルリンのドイツ軍、と書いたのはナチス・ドイツ自体は戦争を継続中であった。
ヒトラーの死後、海軍総司令官であったカール・デーニッツは後継に指名され
ベルリンの北にあるフレンスブルクで新政権を樹立したのである。
もちろん、ヒトラー亡き今、デーニッツはすでに戦争継続の意思はなく
連合国との間で和平会談を行い、戦火に巻き込まれている国民の保護を優先した。
ナチス・ドイツが降伏したのは5月8日であり、欧州戦線最後の戦いは
ベルリンから遠く離れたチェコスロバキアプラハに残存していた
中央軍集団らとソ連との戦いであった。ナチス・ドイツの戦いは
皮肉にも、ヒトラーが最初に領土的野心を示したチェコスロバキアで終わったのである。