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自然災害と皇帝

最近、よく多いと感じるのが、天災である。
北海道から九州まで、激しい雨が降ったかと思えば
高知県では深刻な水不足になっているという。
早明浦ダム高知県)では18日に貯水率が32%に低下
第3次取水制限を実施した。最大で50%の取水率を削減することになるという。


古代、支那では天災があればそれはその君主の政治が悪いと天帝からの
お仕置きだととらえる向きがあった。
それは春秋・戦国時代あたりが最後といって良い。
各国には巫官がおり、彼らが天との交信を図ったり、儀式を執り行ったのだが
どれほどの効果があったのかは定かではない。
なぜこの時代が最後といえるのかというと、この時、君主の唯一にして最高位は「王」であった。
天下を主宰するのは王であり、夏・殷王朝の君主は王であった。
殷を倒し、成り代わったのが周である。従って、その周辺の国家は周王の臣下ということになるのだ。
例えば、鄭は小国ではあるが、名家であることと初期周王朝へ功績により、公の爵位を授けられている。
一方、大国であっても、晋は侯であり、東国の斉は伯である。
さらに南方の楚に至っては、子の爵位にすぎない。
この扱いに不服の楚は、自ら殷王室の末裔であると名乗り、王を自称した。
そのため、歴代の楚の君主には王がつく。
時代を経るごとに、各国は力を強め、周王の権威はほとんどなくなっていくのだが
特に楚の場合は、呪詛の類や迷信についてはかなり浸透していたようである。
それは南方の文化の一つともいえるが、中原からみると気味が悪く思えることだろう。
戦国時代になると、王を自称する国が続出したため、周はやがて滅びる運命になるのだが
決定的な出来事が、「皇帝」の登場である。秦の始皇帝のことであるが
これはどういうことかというと、「我こそが天である」というに等しい。
それは、戦乱の中で勝ち取ったものであり、今更神ですなんていわれても誰も信じないが
「天の代行者=天子」という概念ができたのは、始皇帝が天下を平定したためである。


一方、わが国では真偽はともかくとして、天孫降臨から国譲りといった
ストーリーがあり、皇統につながるわけである。
従って、わが国では神道儀礼は何の違和感もなく受け入れられているし
それがコミュニティー形成の場であり、まちおこしにも活用されているのは
わが国だけではないだろうか。
もちろん、今更政治が悪いから天災が起きると信じる人はいないが
「とりあえず気が済むし、やらないよりはいいよね」的なノリで
やってきて、それが何百年続いているお祭りが全国にあるのだから驚くばかり。
ただそれが自然への畏怖につながり、防災意識の向上にもつながるとなれば
日本は防災国家としてさらなる成長を続けるだろう。