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第四十三号潜水艦沈没事故の様子

藤田昌雄氏による「写真で見る海軍糧食史」に
第四十三号潜水艦沈没事故の様子が書いてあった。
で、これは実に興味深い事故であるので、メモ的な感覚で書いていきたい。


第四十三号潜水艦は、大正13年(1924)3月19日に佐世保湾を試験航行中
8時53分、巡洋艦龍田と衝突して沈没、48人の乗組員が殉職した事故である。
潜水艦には、沈没した際に装着してある浮標ブイが浮上し
「潜水艦此処に沈没せり。すぐに近くの役場または巡査に知らせて鎮守府に電報たのむ」
と刻まれたプレートがついているほか、電話機も備わっていて
沈没艦と地上との通話ができるようになっていた。
海軍では、クレーン船の猿橋丸を現地に急行した。
一方、艦内では浸水が始まっていたため、機関室に隣接する電動機室に18人が退避していた。
16時20分、生存者の先任と思しき小川機関大尉と地上の救援隊との通話が始まった。
「衝突したようですから、発令所に命を聞きましたが、何らの応答が
 ありませぬから発動機を停止しました。機械室の者は衝突の音響を聞いて
 発動機室に退去いたしました。二次電池の爆発と思わるる音を聞いて暗くなり
 艦が左に50度くらい傾斜しました。水がどんどん浸入してきます」

このように小川大尉より事故発生状況と現在の状況の報告があった。
事態は一刻の予断も許さない。


16時37分には「呼吸が苦しくなって山に登るようです」

と報告してきている。
だが、救出作業は難航したようだ。


16時45分「空気清浄機が6個ありますから、3人で2個の割に分配して
     交代でこれを吸っております。演習の前に買ってもらった
     懐中電灯が2個ありますが、これもだんだん弱くなりました。
     両舷電動機が浸かりました」


17時10分「主水缶の排水の用意はしてあるけれども、発令所の元弁が
     開いていないから、これを開いてください。
     小川機関大尉より司令へ。兵員は静かによく命を奉じて
     努力しております。静かに泰然として各自の配置に就いて
     おりますから、司令から御上によく解るようくれぐれも
     お願いいたします。
     今足が海水に浸って暗い中に働いておりますから
     少しでも早く救援の処置を執ってください。空気が悪くなって
     呼吸がだいぶ苦しくなりました」


18時40分「今日中に揚がる見込みがありますか、只今何時ですか。
     呼吸が苦しいから今気蓄機の空気をじりじり出しています」


19時30分には万歳三唱が聞こえ、大部分の生存者は殉職したものと考えられる。
残ったのは穴見兵曹長ら数名と推察されている。
電話の応対は以後、穴見兵曹長に切り替わる。


20時00分「しっかり頼みます。上は暗くて大変でしょう。みな遺書を書いて
    持っておりますから、もう何も言うことはありません。
    どんどん海水が増して胸まで来ております。炭酸ガスが高まって苦しい。
    もう2,3人しか残っていません」


20時10分「一身上に関しては、何も言うことはない。すでに決心しているから
     皆様願わくば国家のために最善の努力を頼む」


20時38分「ただ天命を待つ」


通話途絶。


潜水艦が引き揚げられたのは、沈没から一ヶ月が経過した4月18日で
翌日には遺体の収容が行われた。