白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

東京・秋葉原で惨劇は起こった。
8日午後0時35分頃、一台のトラックが買い物客で賑わう
東京・秋葉原歩行者天国に赤信号を無視して突入
歩行者を次々とはね、トラックから降りてきた男が
奇声を上げながら隠し持っていたサバイバルナイフで周囲の人を無差別に
刺していった。倒れていた人にも馬乗りになり、何回も刺した。
日本のアニメ文化の聖地は一瞬にして地獄絵図と化した。
男はすぐに駆けつけた警官によって取り押さえられたが
死者7人、重軽傷者11人を出す大惨事となった。
男は自称暴力団員、派遣社員の加藤智大容疑者(25)
アルコール、薬物反応はなく、大人しく取り調べに応じ
「人生に疲れた。人を殺すために秋葉原に来た」と話している。


またしても残忍な事件が起こってしまった。
奇しくも池田小通り魔事件から7年を迎えたが
このような事件が終わる見通しはない。
テレビ番組や新聞などで現代の犯罪性やオタクについて
また何やかんやと言われるのだろうと思うのだが
じゃあ昔とどう違うのよ?と考えてみよう。
勘違いしてはいけないのは、昔も今も残忍な殺人事件はいくらでも
起こっているという点だ。帝銀事件みたいのが起こると思うと
銀行に行きたくもなくなるし、ジラード事件が起こると米軍基地に近づきたくなくなる。
では、当時の事件で人生に疲れた若者はどういった人々をターゲットにしたのか。
そう、偉い人々だ。
例えば1960年、当時の社会党委員長の浅沼稲次郎が講演の最中に右翼の少年に
よって殺害された。
また1961年、中央公論社の嶋中社長宅に右翼少年が侵入、女中ら2人を刺した。
当時、戦前のモラルや価値観を否定し、反体制を気取った若者のことを
アプレゲールと呼び、永山則夫や日大ギャングは
英雄とも目されていた。当然今では考えられないことだ。
そして注目すべきことがある。
今と違い、当時は犯罪的な学生運動や労働運動も盛んであったことだ。
例えば1948年の東宝争議。東宝従業員組合が20人解雇に抗議して
ストライキを実施、米軍によって包囲される結末となった
「空には飛行機陸には戦車、来なかったのは軍艦ばかり」といわれる。
さらに1952年血のメーデー、1953年内灘闘争、1959年三池争議
1960年安保闘争、1960年山谷暴動、1968年成田闘争、1969年東大安田講堂事件
1970年よど号ハイジャック事件、1972年あさま山荘事件などだ。
今ではこういった運動はすっかりなくなった。
自分の生活が嫌だ。社会おかしいぞ、というのが声を大にして言えなくなった。
労働運動をやる人は特殊な人だと思われる。ますます自分の中に閉じこもる。
もっと政治家どもは若者の政治参加を推進すべきではないだろうか。
それがガス抜きにもなるし、皆で組織が個人の暴走の抑止力にもなるだろう。