白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

今日は、晴れたけど雨が降ってきたり
ちょっと安定しない日でした。
その割には気温が30前後だったので、蒸し暑い日でしたね。
昨日は十五夜中秋の名月を拝むことができました。
羽田着の飛行機からは、着陸態勢に入った飛行機から見事な
名月を見ることができたそうです。
恐らく地上から離れると綺麗に見えるのでしょうね。
それで今日は、十六夜(いざよい)です。月は残念ながら見えません。
でも私は験担ぎなので、満月は見たくないなと思って。
満月の日には交通事故が多いのです。一説では、満月が人間の闘争心
に影響を及ぼすのだとかいわれています。


さて、本日は彼岸の入りです。従って、私も当家の墓参りに
出かけました。こういうものは早いに越したことはないのです。
墓参りに行って初めて、クロスのネックレスをしたままだということに
気づきました。やばい・・・これじゃ罰当たりこの上なしじゃんか・・・
と思ったのですが、日本は無宗教国家です。まぁいいかと思って
却ってどしどし前面に出していきました。
例え姿形はそうでも、祖先信仰というのは日本人の固定観念です。
一族が同じ墓に入る思想も、大体古墳時代に定着したと考えて良いでしょう。
古墳は1人の埋葬者が入るのが普通ですが、横穴群を見てみますと
一つの穴に1人、とはいっても山全体を一つの古墳と考えれば
その横穴は一族と同じ墓、というわけです。
同じように、群集墳はほとんど土饅頭のようなものもありますが
私は横穴群と群集墳とでは思想的に相違があると考えています。
ただし、古墳自体を権威財と考えるならば(というよりそれが通説ですが)
現在の墓石というものには記念碑の意味も含まれていると考えるのが普通です。
山形のとある地域には、顕彰碑が、それこそ一家に一個あるといった具合で
何でこんなに墓石が?と思ったりしました。
また、古く続く家には、1人につき1つ墓石があるのです。
或いは仏舎利の意味があるのかもしれませんね。いわゆるストゥーパですが
それでも疑問が残ることもあります。仏舎利ならば高さや豪華さを競うのです。
それに、遺骨は本来残してはならない。執着を断つためです。
なので、チベットでは鳥葬といって、遺体を野ざらしにするのです。
すると鳥や動物が食べにやってくる。死者の犠牲によって他者を助けるものです。
中国では、道教文化が混じるのでお墓があります。ただし、墓石のような
立派なものは作りません。亀甲墓のようなものはあると聞いたことがあります。
これは沖縄に伝わる広いお墓ですね。
韓国のは聞いたことがないのですが、儒教文化が徹底しているので
よほど祖先崇拝が進行しているのは間違いないと思います。
お墓参りをしていて、そのようなことを考えていました。
でも、私もその墓に入るのだと思うと、非常に感慨深くなって
墓を洗う手にも力が入ります。