白雉日報社公式ブログ

日本第一党選挙対策委員会委員長とかいろいろやっています。

令和に蘇った「アマビエ様」とは?

やはり日本人であるなぁ――。

そう思う現象が全国各地で発生した。

即ち、「アマビエ様」祭り(アマビエチャレンジ)である。

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弘化3(1846)年、肥後で出現したという「アマビエ様」を伝える瓦版

アマビエ様とは、江戸時代に肥後(熊本県)で目撃された妖怪である。

脚が三本あり、髪の毛が異様に長く、体は鱗状、口は尖っているのが特徴。

ある日、海上が光っているのを役人が見つけ、検分したところ

海中からアマビエ様が姿を現した。驚く役人に対し

アマビエ様は「これより6年は豊作を与えよう。疫病も起こるであろうから

その際は我の姿の絵を多くの者に見せよ」と言ったという。

それが、令和の現代にあって、急に流行し出した。

即ち、新型コロナウイルスが蔓延している中で、アマビエ様の力を借り

近年まれに見るこの疫病を鎮めようというものだ。

中には絵を描くだけでは飽き足らず、ぬいぐるみなどのグッズ展開にも

乗り出した個人・企業があるほどだ。

 

権力者から庶民まで、神や妖怪を祀った

 

わが国においては、古代より疫病というのは妖怪や悪霊の仕業と考えた。

「悪風」「悪疾」などといい、医者の手当のほかに祈祷も行われた。

例えば「栄華物語」によると、御堂関白・藤原道長が寛仁3年

重病になった。54歳という歳ということもあり

「私は最後のようだ」と諦め、周囲は酷く同様した。

さまざまな祈祷を試した上、道長が剃髪して仏門に入ると

彼の体調は快方に向かい、妖怪たちは酷く残念がったという。

また、源平合戦の際、平家の有力な家臣であった斎藤別当実盛は

木曾義仲との戦いの際、馬が稲に足を取られて落馬し、そのために討たれた。

実盛は「口惜しや、これもまた運か」と不運を嘆き

死後には害虫「ウンカ」となって自分の邪魔をした稲を食べて農民を

困らせる「悪霊」になったという。そこで、近隣の村々特に西日本では

「サネモリさま」というかかしを立て、村々を練り歩き、悪さをする

妖怪たちを引き連れ、それらを村境まで連れていくのだという。

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稲で作ったサネモリ様を稲で作った馬に乗せる(道の駅北浦街道HPより)

これを「サネモリ送り」という。柳田国男は「サネ」には「実る」という

字が含まれており、それを「守る(盛)」神に転じさせたという説を唱えた。

このように地域ごとに「妖怪(神霊)」を祀り、天災や疫病から

守ってもらおうという方法はいくらでもある。

 

宮城県にも伝わる「蛇除け」信仰

 

我が宮城県内でも、例えば県北の栗原市においては

山に入る時には「山吹善平さんのお通りだ」と三度唱えれば

蛇除けになると伝わっている。これは昔、山吹善平という人が毒蛇を

飼っていたが、その毒蛇が誤って善平にかみついてしまい、謝罪して

治療したのだという。同じような話が七ヶ浜町花淵浜にも伝わっている。

この地域に住んでいた花淵善平がある日

人骨に引っかかって取れなくなっていた大蛇を助けた際

お礼に蝮除けのお札をもらったのだという。

昔から、われわれは自然現象や動物などを妖怪や神の使いとして

手厚くお祀りし、ご利益を得てきた。

新型コロナウイルスがわが国のやり方で鎮まるかどうかはわからない。

しかし、人々の拠り所としてこれらのお祀りが掘り起こされ

わが国の文化に再び脚光が当てられる。

日本人らしいやり方だとつくづく思う。

アマビエ様も、突然の「出番」にびっくりしているのかもしれない。

 

感染続く新型コロナウィルス。挙国一致で拡大阻止を

世界中で猛威を振るい続けている新型コロナウィルス。

国内においても、2月25日にわが国政府が「対策基本方針」を決定し

その発表に従って、イベントの中止や延期が相次いでいる。

今や訪日外国人観光客(インバウンド)の需要は期待できない。

わが国政府は、被害を受けた宿泊業者への支援や、終息後も出てくるであろう

風評被害への対策についても講じる必要がある。

とはいえ、そのためには新たな予算措置が必要である。

国会では未だに桜を見る会問題をやっている。

平時では、「まーたバカやってんな」と呆れるくらいで終わるのだが

この非常事態で何をやっているのか。挙国一致で新たな感染の阻止や

検査体制の充実を図るべきである。

 

イランでは保健次官が感染

 

恐らくは、感染した人の中では最も高官になるのではないか。

イランの保健省で24日に行われた記者会見。イラジ・ハリルチ保健省次官が

終始汗を拭き、時折せき込む様子が映し出された。


イラン保健次官、記者会見でしきりに汗を……新型ウイルス感染が翌日判明

実はハリルチ次官、その後に検査を行ったところ陽性となったのである。

現在、同次官は隔離され、療養しているが、軽症のようである。

政府高官でさえこうだ。

わが国でも、厚生労働省内閣府職員の感染が確認されており

政府職員であっても常にリスクにさらされているのが現状だ。

確かに、感染しても重症化するのは20%に過ぎないが

基礎疾患が悪化して危険な状況になる場合もあるし

これから何らかの変異を遂げないとは言えない。

 

思い切った対応策が必要

 

呆れかえるのは、口では「自粛を」だの「延期を」だの言っている永田町の

お歴々が、自分のパーティーとなると盛大に行う点だ。

羊頭狗肉とはこのことだろう。こんなことで封じ込めができるとは

到底思えない。思い切って、最小限の人員以外はテレワークにするといった

試みを「義務化」してはどうか。それくらいの施策を行わないと

どうやら、わが国では「無理をしてしまう」ようである。

 

塹壕戦の地獄を描く「1917 命をかけた伝令」

「1917 命をかけた伝令」という作品がある。


映画『1917 命をかけた伝令』本編映像

さっそく観に行ってきたのだが、非常に興味深い内容であったので

記していきたい。

1917年、時は第一次世界大戦である。1914年から始まった世界大戦は

終わりの見えない泥沼にはまり込み、各国ともに疲弊していた。

舞台は、西部戦線つまり英仏と独が対峙した戦線である。

スコフィールドとブレイクの2人の若い英軍兵士は、司令部に呼び出され

重要な任務を命じられる。

前線の1600人の部隊が退却した独軍を追撃する予定だったが

独軍の退却は罠であり、追撃を中止させなければならない。

そこで、2人には前線の部隊に伝令を命じられる。

しかし司令部と前線の間には独軍がおり、命をかけた伝令に出るのだった。

 

第一次大戦の地獄「塹壕戦」

 

このあたりの事情は、そもそもの戦略から説明する必要がある。

世界大戦が始まった当初、戦場は近世の雰囲気を残す楽観的なものだった。

しかし、機関銃が登場し、航空機や毒ガスなどの新兵器が投入されると

互いに犠牲を最小限に抑えつつ、相手の陣地に迫るために塹壕を掘った。

塹壕に籠っては、長期間対峙する「塹壕戦」である。

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1916年仏・ソンムの戦い時の英軍の塹壕Wikipediaより)

常に弾丸が飛び交い、砲弾が絶え間なく着弾する中でプレッシャーに耐え切れず

戦争神経症や、水はけの悪い通路には水がたまり、長く足をつけているため

水虫に悩まされることになる。

攻勢を仕掛けて陣地突破を図る試みは両軍の間で何度も繰り広げられている。

しかし、当然塹壕側のほうが有利なわけで、攻勢のたびに何万という将兵

被害を出して失敗に終わるのが常であった。

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英軍のマーク1戦車。登場時には独軍に大きなショックを与えた(wikipediaより)

そこで誕生したのが装甲と大砲を備えた戦車である。

英国の海軍大臣であるチャーチルが開発したため、「陸上戦艦」という

ものだったが、陣地突破に特化した戦車の存在は第二次世界大戦まで

英国における戦車ドクトリンとなる。

戦車は非常に強力で、独軍に大きなショックを与えたが

独軍もまた戦車を投入したし、戦車は重武装ゆえの鈍足で

重砲の的になりやすいという短所もあった。

塹壕戦では、互いに縦に長い線のような戦線を構築しており

前線、第二線…といった帯状に展開していた。

前線と後方の間には、ノーマンズランド(無人地帯)という空白が存在し

敵の残党がいたりした。掃討は後方部隊の役割であったが

映画では、そもそも後方部隊も大きな被害を被っていたため

後方から前線に向かう中では、残党に苦労する描写もみられる。

航空機の存在もまた大きい。大規模な爆撃機はなかったが

(爆弾があっても乗組員が投げ落とす程度)

空中戦は繰り広げられ、「レッド・バロン」ことリヒトホーフェン男爵や

後のナチス・ドイツのナンバー2になるゲーリングも名パイロットで有名である。

(映画「レッド・バロン」も名作なのでぜひ見てほしい)

作中では、英軍が制空権では優勢であった描写があるのだが

「あれ、それなら前線に通信筒を落とせばいいんじゃね?」

と思ったが、実際はそんな余裕はなかったのかもしれない。

 

戦場のリアルを見ても武器を取れるか?

 

本作は、余計なところはまったくない。攻撃開始前に前線へ向かう。それだけだ。

主人公補正でいろいろ都合が良いところはあるにしても

ダイ・ハード」なみに酷い目に遭いながら、あきらめずに前に進む。

合間に擱座したマーク1戦車や、空中戦、銃撃戦があるため

ミリタリーファンにはオススメしたい。

それにしても、死体の描写が結構グロい。これを見てなお

戦場に赴く勇気があるか、試されている気もする。

ぜひ、皆さんにも問いかけたい。本作を見てもあなたは戦場に赴けるか。

 

劇場版「メイドインアビス」-深き魂の黎明-が始まった!

劇場版「メイドインアビス」-深き魂の黎明-を観てきた。

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メイドインアビス公式サイトより


メイドインアビスとは、つくしあきひと氏によるコミックが原作。

地下深くに空いた大穴「アビス」。その周囲には探掘家が集まり

まちができていた。

その孤児院で育った元気な女の子「リコ」(CV:富田美優)は

ある時、アビスの淵でロボットの「レグ」(CV:伊瀬茉莉也)と出会う。

そんな時、行方不明となっていたリコの母親「ライザ」(CV:坂本真綾)から

とみられる手紙がリコに届けられる。そこには「アビスの底で待つ」とあった。

リコはレグとアビスの底を目指して冒険を開始。

レグの人並外れた能力と、いろいろな人の助けを得て、深界を行く二人。

途中でリコは猛毒により死にかけるも、フワフワの動物の姿をした

ナナチ(CV:井澤詩織)に救ってもらう。

ナナチは深界からの負荷で人体が変化してしまう「成れ果て」だった。

しかし、ナナチと住んでいるミーティは自我を失い、形すら保てずに不死となっていた。

ナナチはレグの必殺技である「火葬砲」こそがミーティを苦しみから解放する手段と

して、レグの火葬砲をミーティに使い、ナナチを加えた3人の旅が始まった。

 

冒険への憧れを引き出してくれる作品

 

劇場版では、3人の旅が進む描写とともに

ナナチとミーティを成れ果てにした「黎明卿ボンドルド」に出会う。

メイドインアビス」では散々言われることだが

「なぜ命を危険にさらしてまで冒険を続けるのか」という問いについて

「母との約束」「自分が何者か探す」などそれぞれの理由があるわけだが

やはり「未知への憧れ」ではないだろうか。

特に劇場版では、「冒険への憧れ」が顕著に表現されている。

まぶしいほど美しい背景、憧憬を抱かせるBGM、深界に住む

さまざまな生態の恐ろしい生物。全てが調和して、ワクワクさせる作品となっている。

内容が内容だけに、グロいシーンも多いため、残念ながら18禁作品となった。

本当に素晴らしいの一言。冒険への憧れをここまで引き上げてくれる作品はそうそうない。

もちろん、良いことだけではない。トラブルやケガ、仲間割れや他の探掘家との対立など

生々しかったり、怒りを覚えるシーンもある。しかし、それらを克服する方法もまた

なるほど!と思わせるものだ。素直に製作陣に喝采を送りたい。

少しでも未知への興味がある方々には胸を張ってオススメできる、そんな作品だ。


劇場版「メイドインアビス 深き魂の黎明」本予告

起請文とは…実は法律の改正願いだった?

先日、「起請文」について少々調べる必要があって、手元の書籍を当たってみた。

起請文とは、簡単にいうと神仏への約束事を明記した文章を指す。

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武術を究めることを誓った起請文(江戸後期か、個人蔵)


しかし、そもそもなぜ起請文というのか。天下のwikipediaも詳細は触れてくれない。

神社新報社神道辞典』によれば、起請文の「起請」とは

奈良時代の法律用語で、官庁が法律の改正を願い出ることをいう。

それが平安時代になると寺院の制規をいうようになり

平安時代末期に、「起請祭文」といって神仏へ誓約する形式が完成した。

起請文には二つの段から成っており

前段は「敬白起請文之事」と端書して、確約する内容を書き

後段には神仏名を挙げて違約した場合は罰が下ることを書く。

とはいえ、時代の変化とともにその様式も多様化した。

神道辞典には

 中世以降の社会不安は起請文の要求を盛んならしめ

 その形式も多様となり、神文の神名は確約強化のため増加する傾向と

 なったけれども、信頼性は却って希薄となった。

 とある。

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神名の数が凄い数になっている起請文の一部(江戸後期、個人蔵)

神々に「盟う」のは古代支那

 

少々ズレるが、同盟など国家や人の間の約束事を「盟う」というが

古代支那春秋時代)の風習で、祭壇で生贄を殺し、その血を互いに飲むことで

盟約が交わされたことを天地神明に宣言したのである。

中原の諸侯が集まって会議が行われる時、その呼びかけ人となった君主が

生贄となる「牛の耳」を取ることから、「牛耳を取る」→「牛耳る」に転化した。

諸侯会議を主催した君主は、最も力があるということで

後世「春秋の五覇」に数えられたりもした。

現在、盟約とは無縁といって良いほど傍若無人中共であるが

古代支那の文化はわが国にも息づいている。

私も、この一年の目標を起請文にしたためて、寺社仏閣に奉納すれば

ちょっとは覚悟も出てくるものだろうか、と考えている今日この頃である。

今年こそ悲願の勝利へ

あっという間に令和2年を迎えた。

つい先日まで平成31年だと言っていたような気がするほど

時が過ぎるのは誠に無常の響きがする。

令和2年は、さまざまな意味で勝負の年といえるだろう。

まずは我が日本第一党では、現在複数の地方選挙への候補者擁立を予定している。

政治団体というものは、そもそも議会において政策を戦わせることが

本筋である。そういう意味では、まずは選挙において有権者から支持を得

議席をいただくことから始めなければならない。

鉄壁とさえ言える既存政党の隙間を縫って、議席を獲得するのは

イデオロギー政党を目指すわが党にとっては極めて高い壁だ。

だが、困難は重々承知。既存政党と戦って勝つことこそ

わが党らしいやり方である。反日左翼に毎日のように叩かれている我々は

困難を恐れない。困難に挑むことは慣れっこである。

消費税増税やIR汚職疑惑によって、現政権はもはや国民の信頼を失った。

我々は国民の怒りに応えなければいけない。

不退転の覚悟で、選挙に、政治に取り組むことをお約束する。

 

米国VSイラン、開戦回避に尽力せよ

 

今一つ、きな臭い話が世界中を賑わせている。

4日、イラク駐留米軍がイランの精鋭部隊のスレイマニ司令官を殺害した。

スレイマニ司令官は最近のイラク駐留米軍への攻撃に関与していたとされ

さらなる攻撃を画策していたという。

イランの最高権威であるハメネイ師は「厳しい報復が待ち受けている」と述べ

武力攻撃の可能性にも言及した。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200103/k10012234571000.html

ネット上では、すわ第三次世界大戦か、という論説が飛び交っている。

冗談ではない、と言いたい。もし米国とイランが戦いとなった場合

原油価格は高騰し、タンカーの護衛のため派遣される自衛隊が戦闘に巻き込まれる

可能性も否定できない。

もちろん、この戦争が長引けば東京オリンピック開催も危うくなる。

さらに、イランと親密な関係である北朝鮮がどう動くかも気になる。

つまり、米イラン両国で戦端が開かれても、わが国は得るものがない。

わが国はタンカーの護衛以外で戦闘すべきではないし、何より

米国の利益のために自衛隊を危険にさらすなんてのは御免蒙りたい。

むしろ安倍晋三首相は和平の仲介を申し出てはどうだろうか。

わが国のイニシアチブのもと、両国の和解を取り持てば

イランにおけるわが国の地位も向上するであろう。

もちろんこれは僕の意見であって、所属する党を代表するものではない。

いずれにせよ、戦争は一回始まると取り返しがつかない。

関係各国は和平への道を模索すべきであろう。

 

人生「図らずも」が多い

僕の周りで最近よく「図らずも」という出来事が起こる。

例えば、以前から少額ではあるが投資をちょこちょこやっていて

前々から目を付けていたのが大塚家具であった。

そう、内紛が起こった上に大赤字を出して、しかもスポンサーが見つからず

崖っぷちの企業である。

僕が見た時、大塚家具の株価は170円程度だったから

単元で買うと2万円もしないで買える。

これは倒産したら悔しいがさほどではなく、化ける時は最高じゃないかと考えていた。

それが何と、つい昨日ヤマダ電機が買収に乗り出したからびっくらこいた。

今や280円。実に100円もの上昇となって、二度びっくりした。

https://diamond.jp/articles/-/223294

 

君忠を貫くことで親孝行もできたサトウハチロー

 

このように、図らずも…ということが世の中にはある。

僕が、「これは凄い」と思ったのが、作詞家のサトウハチロー氏のエピソードである。

サトウ氏は、子どもの時に父親の佐藤紅玉氏に

「君に忠、親に孝」と言われたが

「俺は学校も落第するくらいだからとても二つはできない。どっちかにしてくれ」

と言い返した。そこで紅玉氏は

「一つだけなら君忠だ」ということになったそうである。

つまり、臣民として忠誠を誓うというわけだ。

戦後、サトウ氏は「リンゴの唄」で大ヒット。一躍時の人となる。

昭和24年、仏文学者の辰野隆氏と漫談家徳川夢声氏と3人で

昭和天皇に拝謁し、その時に頂いた恩賜のタバコを紅玉氏に

プレゼントしたのだそうだ。

この時の文章が『文芸春秋で読む戦後70年』に収録されている。

今度煙草を戴いて、それを親父にやったら、すぐに有難がって

神棚に上げましてね、早速一本すって嬉しそうな顔をしてるんですよ。

願下げにしたほうの親に孝も出来た気がしてね

たいへんいい気もちでしたよ。 

 まさかサトウ氏も、陛下に拝謁する機会があるとは思わなかったであろう。

人生このように「図らずも」という事態が多い。

巡り合わせといったり、縁といったり、人それぞれであるが

軸足を置いて、それにまい進すれば、きっと良い巡り合わせが

やってくるであろう。