白雉日報社公式ブログ

日本第一党選挙対策委員会委員長とかいろいろやっています。

暑さで思い出す昭和帝のエピソード

本日はゴールデンウィーク最終日ということで

明日仕事かよ…と憂鬱な方もいらっしゃるのではないだろうか。

僕は、休日ではあったが、それでも外回りの仕事を一件入れて

仕事モードに慣れさせることにした。

僕の友人も、とりあえず出社はして、体を慣れさせるようにしたようだ。

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気温が凄まじいことに…なお夜には17℃に下がったもよう

それで、お隣の県に行っていたんだが

外が暑くて、仕事先でも「暑いですねー」が挨拶代わりとなっていた。

さて帰ろうと、車内の気温計を見てビックリ。

もう夏であったか…。どおりで半そででもいいわけだ。

 

涼しい夏に昭和帝が苦言のエピソード

 

僕は、暑がりではあるが涼しい夏というのは逆にどうなのか、と思っている。

昭和帝の御代、侍従職が何となく天子様(昭和帝)に対して

「今年の夏は涼しく、大変結構でございます」と話した。

ちょっとした雑談のつもりで出た言葉であろう。

しかし、その軽い気持ちを鋭く咎められたのが天子様である。

「今の言葉を農家の者が聞いたら、悲しむであろう」と

ご叱責になった*1。夏は暑くないと、コメがうまく育たず

収穫量に影響する。それをおわかりだったのである。

天子様は、「東北の農業は夏にかかっている」と

農業について大変ご心配になった。

それで東北の夏に行幸啓が多かったのである。

それで僕は、季節について文句を言うのを止めた。

こっちがいろいろと工夫すれば済む話である。

東北の農業は、これからに掛かっている。

今年も多くのおいしい農作物が大勢の人の食卓に上るよう

ぜひ、関係各所には頑張っていただきたいものである。

*1:文芸春秋「大いなる昭和」

偉大なる平成から新たなる令和への承継


退位礼正殿の儀

 

畏くも天皇陛下におかせられては

ご退位の礼正殿の儀をお務め遊ばした。

安倍晋三内閣総理大臣より

天皇陛下におかせられましては、皇室典範の定められるところにより

本日をもちましてご退位されます。平成の30年。

『内平らかに、外成る』この思いのもと、天皇陛下と歩みを進めてきました。

この間、天皇陛下は国の安寧と国民の幸せを願われ

一つ一つのご公務を心を込めてお務めになり

日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たしてこられました。

わが国は平和と繁栄を享受する一方で、相次ぐ大きな自然災害など

多くの幾多の困難にも直面しました。そのような時、天皇陛下

皇后陛下とご一緒に国民に寄り添い、被災者の身近で励まされ

国民に明日への勇気と希望を与えてくださいました。

本日ここに、ご退位の日を迎え、これまでの年月を顧み

いかなる時も国民と苦楽を共にされた天皇陛下の御心に思いを致し

深い敬愛と感謝の念を今一度新たにする次第であります。

私達はこれまでの天皇陛下の歩みを胸に刻みながら、平和で希望に満ち溢れ

誇りある日本の輝かしい未来を創り上げていくため、さらに

最善の努力を尽くして参ります。

天皇・皇后両陛下には、末永くお健やかであられますことを願って止ません」

と国民を代表して上奏した。

 

天子様のお言葉ありがたく

 

天皇陛下におかせられては、安倍総理大臣の言にお答えし

今日をもち、天皇としての務めを終えることになりました。

ただ今、国民を代表して、安倍内閣総理大臣の述べられた言葉に

深く謝意を表します。

即位から30年、これまでの天皇としての務めを

国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは

幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ

支えてくれた国民に心から感謝します。

明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを

皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを

祈ります。

とお言葉を述べられた。

 

上皇上皇后陛下は赤坂御所にお住まいに

 

1日より、いよいよ令和が始まる。

東宮殿下におかせられては、天子にご即位され

剣璽等承継の儀は10:30~

即位後朝見の儀は11:10~

を予定。一般参賀は4日10時より1時間ごとに行われる。

なお、即位礼正殿の儀が行われる10月22日も国民の祝日となる。

また、上皇と御成りになった陛下は、赤坂御所にお住まいになり

「仙洞御所(せんとうごしょ)」と称する。「仙洞」とは

上皇陛下を仙人にたとえて称されたのが最初で

菅家文草嵯峨院譜に

老鶴もとより、仙洞の駕 

 とある。略して「仙院」ともいい

お住まいになる場所をそのまま「院」とも称したのである。

もちろん、譲位遊ばしたといはいえ、全くご公務がなくなるわけではなく

親しく国民へお言葉を賜る時はあるであろう。

そのため、上皇上皇后陛下に伺候する「上皇職」が置かれる。

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嵯峨院がお住まいとなった大覚寺。(出所 https://www.daikakuji.or.jp/

本来、この職は「院司(院庁)」と呼ばれた。嵯峨天皇がご譲位になって

嵯峨院にお住まいになったことをきっかけに、伺候する役人が必要というので

設置されたのが始めである。

なお、さらに次代の天子は、現在の皇孫殿下でいらっしゃるから

秋篠宮親王殿下は皇嗣と御成り遊ばし、その間、皇太子殿下は

空位になるわけであるから、東宮職は停止となる。

このように、代替わりをするというのは、国民はもちろん

行政や政府も大きく動くのである。

これもまた、新時代への準備であり、必要不可欠である。

しばらくはご即位の関連行事が控えている。

我々もまた、天子様へのますますの忠勤が求められるであろうし

私自身、そのつもりである。

この先はまったく未知の時代であり、深山幽谷を歩むがごとしだ。

しかし、天子様を奉じてこの新しい時代を切り開くことに

何の躊躇があろうや。一億が一丸となって知恵を出し合い、協力すれば

この先の大きな課題や困難もきっと乗り越えられる。

今こそ、本当の日本人の力を世界に見せてやろうではないか。

ソサエティー5.0が目の前に

もう間もなく、我々は平成の御代に別れを告げ

令和の時代を迎えることとなる。

平成の御代、この世界はかつてない変革の時代を突き進んできた。

ソサエティー5.0という時代が目の前にやってきている。

https://www.gov-online.go.jp/cam/s5/

5.0とはどういうことかというと、人間の文明・生活レベルの発達をいう。

1.0は狩猟社会

2.0は農耕社会

3.0は工業社会

4.0は情報化社会

そして情報化社会をさらに進めた5.0が「超スマート社会」である。

これは、AIやIoTが私たちの生活に浸透し、全てがビッグデータを活用して

あらゆるものが自動化し、それらが学習することで生産性を向上させ

社会問題解決に導くというものである。

わが国は、超少子高齢化を迎え、すでに人口減少社会に突入している。

大きな経済成長はもはや見込めない時代となっている。

そこで、一人あたりの負担を減らし、その分数をこなすことで

人手不足となっても、生産性の減少を抑止することができる理屈である。

例えば、荷物の配達にドローンを使用する、自動運転技術の発達

介護用ロボット、キャッシュレス決済などが挙げられよう。

しかし、イノベーションは必ず反動が出る。

例えばドローン技術の場合、国土交通省が測量などへの活用を推進しているが

資格認定機関の基準や、安全性などに課題が残されている。

キャッシュレス決済の場合、クレジットカード非保有者や中小企業への負担なども

考える必要がある。

 

携帯電話の進化も平成で

 

とはいえ、これらの課題解決は意外と早いかもしれない。

何せ、そもそも平成の初期は、携帯電話といえば背中に背負う衛星電話だった。

それが、トランシーバーくらいの大きさになり、PHSによりメールも打てるようになって

携帯電話が普及すると、携帯でネットができるようになり

ワンセグでテレビも見られるようになった。

スマホの誕生により、携帯電話は全てのデータが集積するツールとなった。

この進化が、この30年の間に起きたのであるから

今後30年でどうなるのか見当もつかないというのが本音であろう。

 

新時代、恐れず進め

 

しかし、わが国が文明開化から西洋化の道を歩む時

エルウィン・ベルツが指摘したように、変わってはならない伝統や習慣、文化は

存在する。これらを守りつつ、いかに時代の要請に応えるかが

我々の使命といえる。

もしかしたら、一周回って紋付き袴が見直される時代が来たりするのかもしれない。

先行き不透明で不安もあるが、恐れず進もうではないか。

悪いこともあるだろうが、間違いなく総合的に見れば良い時代と思えるはずである。

 

渋沢栄一と若手官僚集団「民部省改正掛」の改革力

9日、財務省および日本銀行が紙幣の刷新を発表した。

2024年度から発行を開始するという。

気になるのは、その肖像が誰になったのかだろう。

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日本銀行HPより

まず、1万円の肖像は渋沢栄一東京証券取引所の設立を始め

500もの企業を設立し、言わずと知れたわが国の経済の父である。

5千円の肖像は津田梅子。津田塾大学の創設者にして

女子の高等教育の尽力した人である。

1千円は北里柴三郎。細菌学者で、北里大学の創設者。

ペスト菌を発見し、血清による治療方法を確立するなど

多くの人命を救った。

なお、これらの選定基準は明らかとなっていないが

ネット上では「誰?」という声があるものの、おおむね納得という形のようだ。

北里柴三郎のほうが凄い人だろ」という声もみられるものの

庶民に馴染みの深い紙幣といえば千円札である。我々が目にしやすい人=凄い人

と思えば、納得できるのではないか。

 

出自や身分を超えた若手集団「改正掛」

 

僕が渋沢栄一が一万円の肖像に選ばれたことを知って喜んだのは

何も実業家だからという理由だけではない。

渋沢は、幕臣でありながら、明治初期に日本の未来へ道筋をつけた人なのである。

明治維新後、わが国は近代国家への道を歩むことになった。

しかし、幕臣である人材は不当な差別を受けており

薩長が幅を利かす政府内で、珍しく渋沢は出世

コースの途上にあった。

明治2年、渋沢は大蔵省租税正として様々な改革に着手していたが

役人はいつも忙しく動き回り、定時になるとさっさと帰る始末で

改革は遅々として進まなかった。

そこで「出自や組織にとらわれず、自由に将来を話し合う機会が欲しい」と

渋沢が大隈重信に直訴し、あっさり「民部省改正掛」の設立が認められた。

明治3年2月時点のメンバーは以下の通り(武田知弘「経済改革としての明治維新」)。

大隈重信(佐賀、民部大輔兼大蔵大輔)

坂本政均(幕臣、民部少丞兼大蔵少丞)

玉乃世履(岩国、大蔵少丞兼民部少丞)

渋沢栄一幕臣、租税正)

肥田浜五郎(幕臣、土木権正)

前島密幕臣民部省出仕)

古沢滋(土佐、民部省出仕)

江口高廉(佐賀、民部大録兼大蔵大録)

長岡敦美(土佐、民部少録兼大蔵少録)

佐藤政養(幕臣民部省出仕)

杉浦譲(幕臣民部省出仕)

吉武功成(蓮池、土木権大佑)

橋本重賢(彦根、監督兼大佑)

という顔ぶれで、「朝敵」とされた幕臣が多くを占めていた。

長州の伊藤博文井上馨、土佐の陸奥宗光らも顔を出し

自由闊達な議論が繰り広げられたようだ。

 

若手官僚が夢見た日本

 

武田知弘「経済改革としての明治維新」によると

渋沢によると

「血気盛んな人たちが、自分が研究したり、見聞きしたことを

集まって議論するのだから、時には喧嘩と間違われるような

議論もあった。でもみな気心を知った者ばかりなので

遠慮会釈のない書生づきあいをし、思い切った討論ができたので

じつに愉快だった」

と述懐している。例え戊辰戦争で敵同士だったとしても

若手官僚の間には関係ない。新生日本をつくるため

知恵を出し合い、議論をして未来の青写真を語り合ったのである。

渋沢の生き生きとした姿が見えるような文章ではないか。

左派の作家・塩見鮮一郎ですらも著書「解放令の明治維新 賤称廃止をめぐって」

の中で

この才気煥発な男はアイデアの枯渇することを知らない。

…維新の日本にとって、かけがえのない人物である。

と高く評価している。

 

今こそ若手のパワー結集を

 

この民部省改正掛は、大久保利通の警戒を買い、わずか2年で

解散の憂き目をみるが

この間にまとめられた提言で、国立銀行設立や鉄道計画、郵便制度など

わが国には欠かせないインフラが実現を見ることになった。

渋沢は、明治初期に辛酸を舐めた旧幕府側の中でも

特に若手リーダーとして活躍した。壮年から晩年の功績も大きいし

注目もそちらに集まりがちである。

しかし、僕は幕臣である渋沢が薩長や土佐の若手と熱く議論する姿にこそ感銘を受けた。

同時に、これこそが今のわが国に求められている情熱なのではないかと

実感する。今の目まぐるしく変化する社会に、若手のアイデアこそ

求められているのではないだろうか。

考古学は「極左集団」か?

2月15日の虎ノ門ニュースにおいて

竹田恒泰氏が「歴史学と考古学は極左集団なんです」と発言した。

その理由を問われた竹田氏は

「皇室の歴史を否定したくて歴史学者になった人が多いんです」

と話した。考古学についても

「神話を否定したくて考古学者になったって明言している人も多い」

と断定した。

竹田氏は保守派の論客であるが、僕自身が考古学徒であった立場から

まったく的外れで、極めて残念に映ったと言わざるを得ない。

 

真っ先に学ぶのは文化財保護

 

考古学を専攻する上で真っ先に学ぶことは何か。

文化財保護法」である。これは考古学の憲法と言って良い。

第一条にはこうある。

この法律は、文化財を保存し、且つ、その活用を図り、もって

国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献

することを目的とする。 

 わが国の文化の向上を図ると、しっかり明記されているのである。

そもそも歴史というのは、歴史書がそのまま歴史になるわけではない。

なぜなら、歴史書の著者は当然人である。人である以上、事実誤認が

生じてしまうのはやむを得ない。

実際、わが国の正史である六国史同士の中でも複数の矛盾が指摘されている。

従って、考古学的アプローチによる「裏付け」が必要なのである。

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仙台城での発掘調査説明会の様子。これにより石垣の復元に裏付けがとれた

例えば、陸奥国の政庁である多賀城は、戦乱でもって焼失している。

これは「続日本紀宝亀11年3月の記事にあるためだが

発掘調査によって、それが裏付けられただけでなく、火災の範囲も特定できた。

つまり歴史学と考古学は両輪といって良いのである。

もちろん、ある一定の人が政治思想でもって歴史を恣意的に解釈するケースもあり

考古学においても旧石器捏造事件が起きたりと、必ずしもクリーンであるとは

言わない。

しかし、極端な政治思想を持った人は考古学には向いていないのでは

ないだろうか。それほど「科学的な視点」が重要になるからだ。

もし荒唐無稽な説を発表しようものなら、学会で袋叩きになるであろう。

日本考古学協会はそこまで落ちぶれていないと信じている。

 

考古学は「科学的裏付け」が重要

 

ただし、一つ注意しなければいけないのは、考古学というのはそもそも

神話というものを妄信しない。それが正しいのか裏付けがないからである。

考古学者は神職ではない。事実を研究する職業である。

竹田氏の「皇室の歴史」というのが何を指しているのか不明だが

天皇陵の発掘調査に対するものかと推測される。

確かに、天皇陵に土足で立ち入り、発掘のための穴

(トレンチという溝状であっても)を掘るのは不敬である、という意見が

多いのは理解できる。それについては僕も思想的には賛同する。

一方、考古学的調査によって、天皇陵が明らかになった例もある。

牽牛子塚古墳(奈良県明日香村)は、宮内庁から天皇陵の指定を受けていないが

発掘調査の遺構・遺物から被葬者は斉明天皇が有力とされている*1

考古学が「神話を創り、現実に証明した」という成果であろう。

この成果があって、同古墳は重要文化財の指定を受けた。

 

文化財破壊から守る「歴史の番人」

 

いかに重要な遺跡であろうとも、我々は次々と開発行為により

遺跡を破壊する。その前に発掘調査を行い、どういう遺跡であったか記録し

必要であれば国や地方自治体が文化財に指定して保護するのである。

もちろん調査の間は工事ができず、工事業者とのトラブルも多い。

しかし、そうしなければわが国の歴史は闇に葬られてしまう。

昔は、工事業者が暴力団を使って文化財担当者を脅すケースもあった。

僕が学生の頃は、その手のトラブルが多い自治体の文化財担当者がいかつい人で

この人も大概だな、と思ったものの

「こっちも負けてられねえんだ」と話していて、頼もしく映ったものだ。

(なお、その方から後日、発掘調査報告書がダンボール単位で送られてきた)

わが国の歴史を破壊したい人がそこまで体を張るわけがない。

そう考えると「歴史の番人」こそが考古学なのである。

竹田氏は「皇室の歴史を否定する」と発言したが、そうではない。

むしろ、神話に裏付けを行い、学術的にも証明したい

という純粋な重大事業なのである。

 

新元号に「令和」そもそも元号とは?

4月1日、菅義偉内閣官房長官より、新元号が発表された。

元号は「令和(れいわ)」である。出典は万葉集

 于時、初春月、氣淑風、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。

 というのが原文である。「令月」とは何事も行うに良い時という意味で

「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という意味を込めていると

安倍晋三内閣総理大臣より解説があった。

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令和の揮毫を掲げる菅義偉官房長官

国民は、さほど抵抗感もなく受け入れたという感じであろうか。

「令」という字に「法令」といったイメージがあり、それに対して

懸念を示している人がいた程度である。

外電は「Order and Hermony」と報じている。「令」の表現に苦労したさまが

見てとれるようだ。

これまでの漢籍ではなく、国書からの出典というのは極めて稀。

また「令」という字が含まれた年号は初である。

なかなか考えたな、というのが第一印象であった。

さて、わが国がこの元号の理想通りに歩むことができるのか、一人一人に掛かっている。

 

そもそも元号の意味とは?

 

この新元号発表のタイミングで「そもそも元号が必要なのか」という論も出ている。

大部分は「元号はあっても良いが、西暦に統一してほしい」というものだ。

現実的な話をすれば、どちらかに統一するのが手っ取り早いといえる。

では、そもそもこの元号はどのような考えで建元されたのだろうか。

わが国初の元号は「大化」である。大化の改新が起こり、新しい国づくり

に取り組まれ始めたのを背景に、中央集権化と国民の掌握を目的としたものと

されている。

今回のように、天子様がお替りになる「代始改元」はまた目的があり

年号の本義は、その天皇の治世に寄せる期待を表しており

一例をあげると、大化や大宝と同じく、聖武天皇の即位とともに

定められた天平は天下泰平を祈念して名付けられたものである

(米田雄介「歴代天皇年号事典」) 

 とある。改元の手続きは、まず勅命を受けた大臣が文章博士元号案を

考えさせる(これを「勘申」という)。漢籍の中から二文字の佳字を選んで

典拠とともに提出する。それを大臣や参議らが集まり、審議するのである。

文章博士は大学寮に属したが、官僚とは少し違う扱いで、古典に通じた

人物が選ばれた。その下には、文章得業生、文章生がいて、それぞれ

礼記」や「史記」から試問し、合格したものが所属することができた。

これを現代に置き換えると、元号の懇談会が大臣や参議に当たるであろうか。

(現代では誰が考えたのかは公表されないため、「文章博士」はシークレットとなる)

つまり、元号というのはその時代の理想が込められたものなのである。

従って、「不便だ」の一言で無くして良いほど軽いものではない。

 

元号とは、これまでわが国を支えてきた先人の思いが詰まったものであり

新しい元号は、これからわが国が目指す国の形なのだ。

そう考えれば、簡単に無くそうとは思えないのではないだろうか。

江戸大名300家それぞれに物語がある!

最近、江戸時代の知られていないエピソードを映画化するケースが多い。

これまでは、「忠臣蔵」や「徳川吉宗」といった有名な出来事や人物が

繰り返しドラマ化、映画化されてきた。幕末で言えば「新選組」「坂本龍馬」など

が有名であろうか。

陪臣にスポットが当たるように

そのような中で、はっきり言ってまったく知られていないような人々や出来事に

スポットを当てられることが多くなった。

わが仙台藩でいえば、伊達騒動において「逆臣」の汚名を着せられていた

原田甲斐を再評価した山本周五郎の「樅の木は残った」が有名だ。

原田氏といえば伊達氏譜代の重臣だが、陪臣ともなると一気に知名度は下がる。

最近では、衰退する宿場町を復活させようと、商人たちが力を合わせる

殿、利息でござる!」で羽生結弦選手が伊達重村役を演じて一躍有名となった。

そのほかにも、「武士の家計簿」「超高速!参勤交代」など、さほど有名ではない

人々が取り上げられた作品が次々と生み出されている。

その火付け役は、歴史学者磯田道史氏だ。「無私の日本人」「武士の家計簿」など

「誰だよこいつ」という細かいところを掘り下げたのは見事としか言いようがない。

膨大な労力を費やしたのではないだろうか。

もちろん、その人を記録するためには、日記なり文書が残っている必要がある。

世に出回っているものならともかく

そのまちにしか伝わっていないものなら

余計にそれを掘り起こすのが大変なのである。

武士の通信簿?「土芥寇讎記(どかいしゅういき)」

さて、江戸時代の大名を知る上では「武鑑」などで網羅されているのでおもしろいのだが

「土芥寇讎記(どかいしゅういき)」という書物はあまりしられていない。

著作者や年代もはっきりとわかってはいない。従って史料としての信ぴょう性に

疑わしい部分は多いものの、これの何がおもしろいのかというと

大名の行状が描かれている点である。

例えば、「水戸中納言光圀卿」の欄を見てみよう。「水戸黄門」こと「徳川光圀

である。同書によると「其ノ身を正シ、道ヲ以ッテ政道ヲ行ウ」「行跡明ラカ

道ヲ執行アリ」などとべた褒めと言って良い。

一方越前福井藩の「松平兵部大輔源昌親」の欄を見てみよう。

「大悪ノ無道人」「奸謀・邪欲・吝嗇」と、これでもかとボロクソだ。

ちなみに吝嗇とは「ケチ、みみっちい」といった意味である。

わが仙台藩は、「松平陸奥守藤原綱村」つまり4代藩主伊達綱村の時代である。

その欄を見ると「家民哀憐之心深キ」「士民ヲ愛シ」と評価は高い。

備考に「女色アリ」とあり、3代綱宗のことを少し引きずっている様子が伺える。

一方、意味不明な部分もある。

摂津瓜生藩2万石、安倍摂津守安倍信友の欄を見ると

「善将をあえて評価して名を汚したくないから評価せず」とあり

どういうことか勘繰りたくなる。祖先は徳川氏に属し、数々の戦で功労があったから

そのことだろうか。

信濃高島藩3万石の諏訪因幡守源忠晴はあまり知られていないが自身が医学を学んだようで

「医学は君主の学ではない」とバッサリである。

どうやら同書、幕府の人間が評価したという説もあり、「武士の通信簿」というもののようだ。

江戸時代は非常に人間臭い描写が興味深い。だからこそ、物語として生きるのだろう。

歴史上の人物といえど、大名家だけで300藩、旗本8000騎と呼ばれる。

陪臣を含めると膨大な武士階級が存在する。

それぞれに物語があると思うと、おもしろい想像ができそうではないか。