白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

今日はですねー。きっくin山形だったわけですよー。
というのはですね、学校にも用事があったし、久々に病院だったんですねー。
眠れん、何とか汁!と強く要求しましたら、先生が凄まじく良い笑顔で
「じゃあ眠ってもらいましょう」
と仰ったものだから、さあ大変であります。
非常に何というか・・・いいね!


学校に向かうと、建築ゼミ+1名が竪穴式住居を作ってました。
今年の学祭でも何もしないんでしょうか・・・ちょっと寂しいです。
思い起こせば2年前、我々は土葺住居を作るために
朝は夜明けから、夜はスコの先が見えなくなるまで頑張ったものです。
お陰でかなりいいものができたんではないかと思ってます。
あれも確か建築の人々主導でやったんだよな・・・・。


仙台に帰る途中、何を思ったのか私
高速を使わずに笹谷峠を登り始めました。
そう、有耶無耶関跡を見たかったのです。
恐らく最後のチャンスだろうと思いつつ車でGO!
笹谷峠は道がU字です。やばいです。
U字っつーかNTTでした。でも何やらいろいろな石造物がいっぱいです。
有耶無耶関は、登山道を30分ほど徒歩で行ったところにありました。
その行程たるや、背丈ほどある草が生い茂っていて、ほとんど獣道
だったのですが、途中にでかい石碑があったり(仙人大権現 願主明海とありました)
地蔵がたくさんあったり(6体の地蔵尊があるようです)
供養碑があったり(北越吉田の能登屋さんの建立で、ニ百萬供養 とありました)
何とも異界の雰囲気を醸し出しておったのです。
石造物をやってる人には何とも興奮冷めやらぬものかと思いますが
私は案の定道に迷って、正に迷いの森大脱出作戦を敢行中だったので
それどころではありませんでした。
有耶無耶関はありました。「あった」というのが正しいでしょう。
説明版は新しかったのですが、標柱がでかいです。
多分老木一本丸々使ったのだろうと思うくらいでかかったです。
正に有耶無耶にされた気分ですが、本来の意味はこうです。
『封内風土記』によりますと
笹谷峠には昔から一番鳥(神鳥)が住んでいて、出羽三山詣での人々で
関所が賑わった時、鬼が出て旅人を取って食うことを繰り返していたそうです。
そこで、一番鳥は鬼が出た時には旅人に「有耶」と鳴いて知らせ、
そうでない時は「無耶」と鳴いて難を知らせたのだそうです。
そんな説話が残っている笹谷峠・・・何とも面白い世界です。