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社稷とは何か

今日は…くもり…かな。多分。
で、結構涼しかった。というか
かなり寒かったよね…。
やっぱ10月から「暖かい」「冷える」表記は確定。


何ともお恥ずかしい話なんですが…。
実は今日、目が覚めたら夕方っていうか夜…でした。ははは…。
うーん、昨日帰宅して、そのまま眠ってしまったんで
寝たのは1時くらいなんだけど、一回起きたのは7時くらいだった。
で、ブログ書いて、何かまだ昨日の疲れが…ってまた寝たんだけど
次に起きたのが18時くらいでした・・・。
15時間睡眠?いや、途中で1時間くらい書いてたから14時間睡眠。
普段の寝不足が一気に解消されたってやつですかね。


そうそう、昨日の件の続きだが
神社のご朱印を集めるのが大好きなやつがいて
「俺が神社で作法を全部マスターするのは変なふうに見られるかも」
といっていた。普段からリベラル思想の持ち主だからねぇ。
政教分離、保守=神道、こんなふうに考えるんだろう。
個人的には、俺は保守派に入ると思うので、神道の素晴らしさは
世界でも類を見ないものだと思っているが。
しかし実際、国家というのは実際に神道や仏教、政治思想という次元の
ものではなく、社稷によるものだ。
社稷とは何かっていうと、定義は難しい。社も稷も土地の神のことを
指すが、社稷自体は神ではない。つまり国家という根本が社稷なのである。
これを言い出したのは晏子
斉の宰相をしていた時、景公が「あなたは何をしてくれる臣か」と聞いた。
晏子は「私は社稷の臣です」と応えた。
つまり社稷とは国家の根本原理に他ならないのであって
それならば君主でさえ社稷に従わねばならない。
では、その根本原理とは何だというと、わからない。
国民の総意かもしれないし、領土かもしれないし、憲法かもしれない。
それらを全部含んだものかもしれない。
一方で、欧米や中近東では、神の名のもとに人が革命を起こしたりする。
彼らに国家には国民や神よりも深いところに社稷があると思いますか?
と聞くと失笑されてしまうと思うがしかし、中国やわが国では
社稷という存在は最近まで認識されていたのである。