白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

珍名言

「水道はナントカ還元水を付けている」 (松岡利勝農水相。3月5日参院予算委員会で事務所水道費の用途を質問されて) 実際事務所に浄水器は付いていなくて、一本5000円の還元水を飲んでいるそうな。 未だにその内容については語っていません。 税金なのにね。

「私が当選したら、できる限り何もしない」 (レデスデール卿、上院議長選挙立候補に際して) え、何もしないの!? と最初は思いますが、つまるところ「介入を避ける」と 言いたかったんだと思います。君臨すれども統治せず、 この国の原則ですが、しかし凄…

「アメリカ人は飛行機を作ることができない。アメリカ人が得意なのは 冷蔵庫やカミソリの刃を作ることだけだ」 (ナチス空軍元帥・ゲーリングのアメリカ評) 冷蔵庫は合っているかもしれないけど…カミソリの刃?

「災いは得意のうちに生ず、という言葉を胸にこめて頑張る」 (1月30日、武部自民党幹事長) 得意だったのでしょうか。ちょっと調子に乗ってた?

「すべての歌手がレコード大賞を取りたいと思っているわけではない。 私は独自の音楽活動をしたい」 (竹中平蔵総務相、ポスト小泉が取り沙汰されていることについて) 小泉オペラに参加したいのでしょうか。

「時間がないでしょ」 (小泉首相・APECアジア太平洋首脳会議にて、ペルー大統領との会談を断る) 時間がないから首脳会談キャンセル?そりゃないよ!

「知識こそが本当の資本である」 (「経営学の父」ピーター・ドラッカー) 昨日でしたか、お亡くなりになられました。 経営学者として、世界経済に大きな影響を与えた方です。

「過去を忘れるのは難しいが、可能だ」 (2005年11月8日、ブッシュ米大統領) 過去を忘れまくっているジョージ。 何故か説得力があります。

「支那の奥地が広いというなら、太平洋はなお広いではないか」 (昭和天皇・太平洋戦争やむなしとの杉山参謀総長の上奏を受けて) 杉山元帥、支那は三ヶ月で片付くと言っていたのを忘れなかった昭和天皇。 「お前は三ヶ月と言ったじゃないか」とぷんすかぷん…

「沓掛さんに若者の気持ちを知ってもらいたいと思ってX-JAPANのレコード持ってきた」 (2000年、小泉首相。沓掛哲男氏の応援演説) 今は公安委員長となられました沓掛さん。 小泉首相からX-JAPANのCDをプレゼンツされました。 聞いてくれたんでしょうか?

「長岡駅の前で田中の悪口言ってるのは第四次産業だ」 (田中角栄元首相・年代不明・講演会にて) 何だか第四次産業が増えているみたいですね?

「トウモロコシね、ボク好きなんだよ」 (2000年、小泉首相) ゴーヤのこともトウモロコシと勘違いしちゃう小泉首相。 そんなに好きなの?トウモロコシ。

「次の首脳会談は東京で行いましょう」 (1945年、スターリン) 東京はおろか、北海道さえもソ連軍進駐できず。

「チベット攻撃を準備しているとは結構なことだ。チベット人は征服せねばならない」 (1950年、スターリン・ソ中首脳会談で) あーあ、ゴーサイン出しちゃってどうすんの・・・。

「こっぴどくやられた。惨敗だった」 (1942年、スティルウェル米陸軍中将) 痛みに耐えてよく頑張った!

「今、何をするべきか私が一番わかっている時に、何故指揮権を誰かと共有しな ければならないのか」 (1940年、チャーチル・首相と国防相を兼任した時の言葉) この自信はどこから出るんでしょうか。 因みに彼は戦時中に何回びっくりしたかわからないほど 驚…

「祝祭日を増やそうというものであれば、もちろん賛成だ」 (田中角栄・野党の対案を評して)私も大賛成です!

「欧州の天地は複雑怪奇なり」 (1939年、平沼騏一郎首相退陣の際に) 流石にドイツの外交というかヒトラーのワンマンぶりに ついていけなくなった平沼騏一郎さん。 実は同盟国のイタリア・ムッソリーニもびっくり。 その時イタリア海軍の半分以上の戦艦が修…

「何を言うか、戦犯でも大将は大将である!」 (1946年、荒木貞夫元陸相が米軍兵士に「もうこいつは大将じゃない」と言われて) 今回は八の字ヒゲが素敵なこの方。 まぁ現役武官制ではあるんですけど。 あなた、退役してませんでしたっけ?

「有人宇宙船と人工衛星は異質のものだ」 (10月10日、中国と比べて日本の衛星は失敗しているが?という言葉を受けて) 異質のものですね。

「馬鹿野郎!」 (1943年、田中新一大本営作戦部長・補給軽視の東条首相に向かって) ガダルカナル島作戦で補給が半分しか認められなかったため 田中部長怒り心頭。ついつい東条総理に禁断の5文字発言。 更迭と相成りました。

「学者は何のためという目前の利害だけを問題にして研究をしているのではない」 (昭和天皇・侍従に何のために研究をするのか問われて) 生物学で実績を残された昭和天皇の言葉。 何と説得力があることでしょう。

「賭けに負けた。死ぬしかない」 (1945年3月、フランスのファシズム作家・ドリュ=ラ=シェル最期の言葉) 日本もNYタイムズ紙に「負け犬に賭けた」と書かれました。

「我が国にとって良いことはGMにとっても良いことだ。逆も然りである。違いはない」 (1953年、国防長官となったチャールズ・ウィルソン元GM社長の言葉) まぁ結局GM(ゼネラル・モータース) にとって悪いことが起きちゃったわけですけど やはり合衆…

「固くなかった。結構旨かった」 (森元首相・6日、懇談の席でチーズが出たことについて) 同じフランスの高級チーズ「ミモレット」ですが どうやら固くなかったみたいですね。良かったね。

「私の手は血まみれです」 (1945年 オッペンハイマー、戦争終結の英雄として讃えられた時の言葉) マンハッタン計画の責任者。原爆の父ともいうべき人ですが 広島・長崎への投下を機に、反核主義者に転身。 核廃絶に尽力されました。

「独立は我々が勝ち取ったもので、他国から貰ったものではない」 (1948年、ベングリオン首相) 思い切り国連分割案で貰ったものですけど。

「人生いろいろ、会社もいろいろ」 (2004年、小泉首相) 説明責任は自己責任じゃないよ!

「どうか真珠湾を忘れてくれまいか。こちらは原爆を忘れよう」 (1945年、東久邇稔彦王が米国民に向けて言った言葉) 当然猛反発に遭いました。 忘れちゃまずいでしょ!

「家を富まさんと欲せば、国を富ませ」 (斉の田鮪が子の田章に言った言葉) まぁ意味を説明するまでもないですね。国の借金1014兆円。 自分が金持ちになりたきゃ、国を金持ちにしなさいよと。 どっかの国会議員とか自治体議員に聞かせてやりたいですね。