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三笠宮殿下薨去、仙台でも哀悼

寒暖の差が激しい今日この頃、いかがお過ごしだろうか。
だんだんと秋が深まってきた本日
畏れ多くも、先帝陛下の弟宮であらせられる三笠宮崇仁親王殿下が薨去遊ばした。

仙台市内の公共施設でも半旗が掲げられた(泉区文化創造センター「イズミティ21」)
親王殿下は、大正天皇の第四皇子として1915(大正4)年にお生まれ遊ばした。
学習院初等・中等科をご卒業後、陸軍士官学校へご入学。
陸軍騎兵学校、陸軍大学校をご卒業後、陸軍大尉にご任官。
大東亜戦争では、支那派遣軍参謀として従軍なさった。
航空総軍参謀、陸軍少佐の際に終戦をお迎えになった。
戦後は、考古学に深い造詣をお持ちになり、東京大学文学部で歴史学をご専攻。
1979(昭和54)年、中近東文化センターを設立され、オリエント文化研究の第一人者としても知られた。
中近東の研究に長く従事遊ばしたこともあって、日・トルコ親善に大きくご貢献され
それは現在の日土関係にも生き続けている。


昨年には100歳をお超え遊ばし賜い、心臓の病気により
車イスでご公務に臨まれることが続き、一般参賀では車イスからお立ちになり
国民にお手を振られるなど、ご回復の傾向が見られたものの
うっ血性心不全により、本日8時34分、東京の聖路加病院で薨去遊ばした。



親王殿下はリベラルなお人柄から、歴史・政治的にもご自由にご発言されることがあり
批判が上がったことも事実である。
とはいえ、それは裏を返すと君臣一如やノブレス・オブリージュという見方ではなく
御自ら国民の中にお入りになられた結果なのである。
それは国民の皇室への敬慕の念をますます厚くし「開かれた皇室」を
内外に示すこととなったのである。


改めて、三笠宮親王殿下のご遺徳と優れたご実績を
お偲びし、衷心よりご冥福をお祈り申し上げ奉ります。


白雉日報社
主筆 菊地 内記