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ミッドウェーは「局所的大敗」

昭和17年(1942)の今日は、ミッドウェー海戦が終了した日である。
帝国海軍は、この戦いで、2つの計画を企図していた。
すなわち
1、米国機動部隊の殲滅
2、ミッドウェー島の占領
である。帝国海軍としては、実は明確な戦争遂行計画は用意しておらず
ミッドウェー島攻略後は、ハワイ占領、米国西海岸上陸・・・といった
漠然とした案しか策定されていなかったのである。
とはいえ、ミッドウェーは太平洋戦線における重要な中継基地であり
ハワイを押さえるためには、失敗は許されない戦いなのであった。
そもそも、帝国海軍は米国と短期決戦により戦争継続を断念させるのが大前提としてあったため
占領した南方からの物資をもとに持久戦に持ち込むことを主張していた陸軍とは真逆の立場である。


事の顛末は防衛庁が戦後研究・発行した「戦史叢書」に詳しく書かれているので割愛するが
ハイライトといえば、ミッドウェー空襲と敵機動部隊、どっちを取るか、というタイミングであろう。
星亮一「山口多聞」によれば、偵察機により敵機動部隊を発見した報を受けた
第2航空戦隊(飛龍、蒼龍基幹)の山口多聞司令官は、ミッドウェー空爆のために
攻撃隊に装着していた爆装をそのまま飛び立たせるべく、第1航空戦隊(赤城、加賀基幹)も含めた
第1航空艦隊に意見具申している。
通常、敵艦隊を攻撃するためには、魚雷を装備する必要があるのだが
全ての攻撃機を爆弾から魚雷に変えるだけでも時間と労力がかかる。
その間に敵から攻撃されてしまっては元も子もない。
爆弾であってもダメージを与えることはできるので、それで構わないというわけだ。
しかし、山口司令官の意見具申に、第1航空艦隊からは何の反応もなかったという。
第1航空艦隊の司令官は南雲忠一中将であるが、この時、航空参謀を務めていたのは源田実大佐であった。
水雷屋の南雲中将と違い、航空戦力の重要性を力説していた源田大佐は
主要な海戦で主導的役割を果たしていたが、この時彼は病床にあり、指揮が取れないでいた。

回避行動をとる飛龍(wikipediaより)


第1航空戦隊では、結局慌てて爆装から雷装に変換する作業が行われ
加えて、ミッドウェー島を攻撃していた攻撃隊が着艦するタイミングであり、大きな混乱が起こっていた。
そこに、米軍機動部隊の攻撃隊が襲いかかったのである。
しかし、赤城は右へ左へ見事な操艦により、なかなか命中弾がない。
そうこうしている間に、直掩機の活躍もあって米軍の攻撃機は次々と撃墜されていく。
何とか攻撃はしのげそうだと安堵しかけた時
まさに真上から猛然と急降下してくる攻撃機の一団がいた。
これが名高い「ドーントレス(SBD)急降下爆撃機」である。
艦隊これくしょんー艦これー」で赤城が「真上?直上!?」という台詞はこのことを言う。
さすがの赤城も、真上から投下される爆弾は避けようがなく、あえなく被弾。
加賀と蒼龍も被弾、炎上し、結局沈没してしまうのである。
一方、飛龍は一隻だけ離れた場所にいたため、まだ攻撃を受けていなかった。
そこで山口少将は「これより指揮を取る」と反撃を開始。ヨークタウンに対して攻撃を行い
これを大破、炎上させたものの、ヨークタウンはあっという間に火災を鎮火し、自力航行も可能であった。
攻撃側はこのヨークタウンを発見したが、別の空母であると誤認し、再び攻撃を開始。
これをまた大破させた。最初の一隻を撃沈と判断した山口少将は、米機動部隊は3隻と情報を得ていたため
あと1隻攻撃すれば、敵機動部隊を全滅させることができると踏んだ。
ところが、わずか1隻での反撃もここまでである。攻撃隊はすでに満身創痍であり
爆弾も残り少ない。さらには、敵の攻撃が激しく、ついに飛龍も被弾。
山口少将は、総員退艦を命じると、加来止男艦長とともに艦と運命を共にした。
幕僚たちは必死に山口少将の退艦を説得したが、翻意はかなわず
「せめて形見を」と言った士官に
自ら被っていた帽子を取り、与えたという。
艦隊旗艦には、司令官が座乗していることを示す「将官旗」が掲げられ
戦闘艦であることを示す「軍艦旗」が掲げられる。
これにより、軍艦は戦闘に移る資格が与えられるのである。
従って、総員退艦時に飛龍から軍艦旗が降ろされた際、この空母は軍艦ではなくなったのだ。
大破炎上していた赤城も、駆逐隊により雷撃処分された。
赤城にとって不幸中の幸いだったのは、炎上はしていたがなかなか沈没しなかったため
乗組員が脱出する時間をつくる猶予があったことである。
結局、赤城は1600人ほどのうち、戦没したのはおよそ220人と
他の艦と比べて人的被害は少なく済んだ。


一方、赤城から軽巡洋艦長良に移乗した南雲中将は
水雷屋の血が騒いだのか、「これから敵討ちだ!」と夜襲を命じたという。
しかし、敵空母は未だ健在であり、さらに制空権は敵側に握られている。
結局、連合艦隊司令長官山本五十六大将は、ミッドウェー攻略中止を命じ
帝国海軍は4隻の正規空母を失う大敗北を喫した。
米海軍は3隻のうち1隻を喪失したが、同国の優れたダメージコントロール
帝国海軍に大きな課題を残した。


さて、ミッドウェー海戦大東亜戦争の運命を決した戦いであったといわれている。
しかし、米海軍は空母の大量生産体制に入っていたため
戦局を大きく変えることができたかどうかは疑問点が残る。
例えミッドウェー海戦に勝利し、ミッドウェー島を攻略することができたとしても
次のハワイ攻略、米豪遮断作戦など、難局は次々と残っていたわけで
これらを無傷で成功させることが出来る可能性は極めて低い。
一方米国は、既にわが国が米本土に上陸する可能性を見据えて
その対策を行っていた*1ことを考えれば、ミッドウェーは大規模な局所的大敗であったと
判断するのが妥当であろう。

*1:西海岸上陸後の防衛ラインまで設定していた。