東亜連盟の「朝鮮問題」
東亜連盟協会という組織をご存知だろうか。
陸軍切っての秀才とうたわれた石原莞爾中将を指導者とした
民族主義団体である。
石原は山形の庄内地方出身であったため
今でも庄内地方に行けば、石原関係の古書は手に入る。
東亜連盟が発行していた機関誌「東亜連盟」の昭和16年12月8日発行号に
朝鮮民族問題について掲載されていたので、書き起こしてみよう。
大正中期の民族自決主義運動によっても救われず、昭和初頭の共産主義運動にも
遂に絶望せざるを得なかった朝鮮民族が、その自己の根底に横わる「独立的感情」を懐疑し
反省し、真の意味での民族的発展は、日本国家を構成する一民族として
最も正しく勇敢に生き抜くにあると考えるに至ったことは
満州建国によってもたらされた大いなる収穫の一つである。
ウィルソンの民族自決主義提唱以来、一民族一国家主義は全世界を風靡したのであるが
他面より多くの国家より多くの民族の結集を余儀なからしめる、急速なる人類文明の潮流の前には
小国は単に独立の美名を保持しつつ、常に大国の愛犬的地位に甘んぜざるを得なかったのである。
民族共和主義は力を以て他民族を強厭的に支配せんとするものにあらず
強者対弱者の愛護的感情を以て他民族を指導せんとするものにもあらず
伝統に生きる民族的自負心を相互に尊重しつつ同時にまた大いなる目標の下に相互に反省しつつ
民族的全能力を発揮せんとするのである。
吾人の朝鮮問題に関する見解について、世上幾多の論議の存することは、つとに聞知するところであるが
その批判おおむね一知半解の見解に過ぎず、あるいはことさらに東亜連盟運動を妨害せんとするものか
あるいは自ら確たる対策を持つことなく、しかも飛躍的大計展開の頭脳も肚も責任感もなく
右顧左眄する神経衰弱的発言に過ぎない。
吾人は縷々朝鮮問題につき吾人の意見を正しからざるとする人に対し、吾人の見解を開陳するの機会を
持つものであるが、そのほとんど全部のものが「それなら自分も賛成だ」と答えるを常とする。
吾人の論述するところはことごとく「東亜連盟建設要綱」中の「国内における民族問題」の解説に外ならぬ
を考える時、実に現今のごとく、自己の先入観をもってほしいままに人を憶測し、これを批判し
恬として恥じざるものの多きについては、衷心よりこれを悲しまざるを得ないのである。
吾人の所論を子細に検討しての批判ならば、吾人は合掌の心をもってこれを聞き
もし誤りあらば即刻これを改訂するのにやぶさかなるものではない。
ひとり朝鮮問題に限らず、東亜連盟論に関する批判の大半は、吾人の所論を知らずして無責任になされるのである。
満州建国における民族共和主義によって、忠良なる日本国民として生きることと
朝鮮民族としての誇りをもって生きてゆくことがいささかの矛盾もなく統一されるのだと
いうことを悟り、翻然としてここに20余年にわたる「独立的感情」を清算、常時まだ目覚めざるものの
冷笑を浴びつつ勇躍新しき路を突進した半島先覚者の胸中を思う時、吾人は感激の涙を禁じ得ないのである。
独立論には独立論のよって生ずる根拠がある。これを解消せしめるためには彼等をして
解消を妥当なりと考えせしめるところの根拠がなければならぬ。
朝鮮民族の脳裏に永くこびりついて離れなかった独立論をして、再び逆行せざる終焉を可能ならしめるためには
彼等自身の体験的自覚と思想的飛躍とに待たなければならぬ。
民族協和主義及びこれに基づく東亜連盟論のみが、独立論を初めて発展的解消せしめるのであり
この外にはもはや何等の対策なしと断ぜざるを得ないのである。
この思想的体験的飛躍ありてこそ、いわゆる内鮮一体論も真に揺るがざる現実的地盤を得るものと言わねばならぬ。
東亜連盟結成の四条件は、独立国家間に適用されるべきものであり、もしこれを国内民族たる
日本、朝鮮両民族間にも適用し、従って朝鮮の政治は独立たるべしと考えるものあらば
甚だしき曲解である。自己主張と自己放棄とは協力における二つの面であり
この二要素の配分如何は、個より群へ、群より全への時代精神を通して
個々の歴史的関係の理に求めなければならぬ。
内地人の朝鮮に関する知識は極めて乏しいものであるが、朝鮮民族の日本文化に対する認識は
更に乏しきことを思う。
吾人はこの際半島同胞に対して、日本の歴史の底に流れゆく一個の潮流を虚心に凝視されんことを望むこと
切なるものである。
大いなる時代の変遷は世界観の大いなる飛躍を要求する。
しこうして新しき世界観は、遺憾ながら鉄火の試練の下に練磨されつつ
その世界観としての地位を獲得することが一般である。
朝鮮問題は断じてすでに解決された問題にあらずして、ある程度の摩擦を冒しても
一刻も速やかに解決しなければならぬ今日の問題である。
朝鮮民族の最高最善のものを覚醒せしめんとする努力において日本民族の至高至善のものが
発揮されるのである。南方への進出の声高き今日、合邦三十年に及ぶ朝鮮の現状に対して
吾人は心より反省、朝鮮民族の民族的信頼を得ることについて、万般の努力すべき急務を感ぜざるを得ないのである。
以上