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仙台空襲から65年

前述でも述べたとおり、今日は仙台空襲があって65年目にあたる。
そんなわけで、青葉区にある戦災復興記念館では
特別展が開催され、多くの人が訪れていた。

仙台は1945年(昭和20年)の今日、123機のB29によって
突如空襲され、約1000人〜2000人以上が犠牲になった。
仙台には高射砲部隊もあったけれども、まったく太刀打ちできなかった。
それは事前の偵察飛行で周知のことだったが、それを踏まえての
空襲だった。街は瓦礫と化し、死体は道端に放置された。
なぜ仙台か。というのは以前、NHKでもやっていたが
大都市への空襲が一段落した1945年の春から、米軍は地方都市へ
爆撃目標を定めていた。そこで正確な航空写真を撮影し
どうすれば効果的に焦土にできるかというのを検討していたという。
こういう経緯で目標とされた仙台だが、戦後の復興はとてつもない
スピードで展開された。大通りは早急に整備され、建物も
次から次へと再建された。誠に先人の苦労が偲ばれる。
そういった人々の血と汗の上に我々は立っていることを
忘れてはならない。


ちなみに、ちょっと気になる展示があった。
戦後まもなく、仙台駅前の一等地にバラックが立ち
GHQ横流し品をヤミ市で売っていた不届き者がいたという。
それで、それらのバラックを取り壊す行政代執行の様子が
写真で展示されていた。そのバラックを建て、占拠していたのは
誰かまでは書いてなかったが、もしかしたら…。