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熱海土石流、メガソーラー犯人説で見えてきたもう一つの「破壊」

静岡県熱海市伊豆山地区で発生した土砂崩れ。

黒い土砂が車を飲み込み、家屋を破壊していく衝撃的な

映像をご覧になった方も多いと思う。

複数の報道によると、死亡者は3人に上り、現在の安否不明者は80人で

土石流による被害を受けたのは370軒に上るという。

www3.nhk.or.jp

 

それにしても、なぜこのような土砂災害が発生したのか。

指摘されているのが、崩落現場にある盛り土と、そこから南西すぐの

場所にある太陽光発電施設だ。もしこの場所が、山林のままであれば

これほど大規模な土砂崩れは発生しなかったのではないか、という声が

多数挙げられているのである。

これについては、元環境相を務めた国会議員も指摘し

さらに静岡県川勝平太知事も調査・検証する考えを示している。

もちろん、因果関係についてはまだ不明のままだし

メガソーラーの事業者についても、デマが飛び交っているようである。

性急な結論を出すのではなく、「原因として考えられるのではないか」と

問題提起し、災害との関連性を調査してもらうことが大切である。

 

御神体を侵したメガソーラー事業

 

ところで、この土砂崩れ発生地点は、伊豆山神社の本宮から100メートルほどの位置だ。

つまり、伊豆山神社御神体たる伊豆山にメガソーラーが建設されているのである。

何と罰当たりな…と絶句してしまった。

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伊豆山神社の社殿

元来、わが国は山や川、海といった人間の力の及ばぬ自然の力に対して畏敬の念を持ち

崇め奉ってきた。

国文学者・本居宣長は「古事記伝」において神についてこう記している。

 さて凡そ迦微(カミ)とは、古の御典等に見えたる天地の諸の神たちを始めて

其を祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云はず、鳥獣木草のたぐひ

海山など、其のほか何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳のありて、かしこき物を

迦微とは云なり。すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功しきことなどの

優れたるのみを云に非ず、悪きも奇しきものなども、よにすぐれてかしこきをば

神と云なり。

 この伊豆山神社は、古くは仁徳天皇の御代から勅願所として崇敬を

集めてきており、役行者の修行所としても知られていた。

そのため、「関八州鎮護」という大変名誉ある称号を授かっている

大変の徳の高い神社である。

その御神体を切り開いてよりにもよって太陽光発電とは…。

災害の因果関係とは別に、この神をも恐れぬ所業に呆れてしまった。

考えてもみてほしい。わが国は昔から自然と共存し、山の恵みを感謝し

神を奉った。これこそが、図らずも災害の被害軽減に

つながったのではないだろうか。山林はダム機能を有し、地面を固く守る。

北朝鮮で常に水害が発生しているのは、ひとえに山林を全て禿山に変えるほど

無計画な伐採を行っているからである。

「先人の知恵」とは言うが、後になって検証すると科学的にも極めて合理的な

説明がつくものもあり、山岳信仰と軽く見てはいけない。

 

全国各地でメガソーラーにNO

 

偶然にも福島市においても、メガソーラーの建設が進んでいる。

カナダの大手太陽光発電メーカー、カナディアン・ソーラーによるもので

東西約3km、南北約3.7kmに及ぶ広大な事業計画で、既に山林の伐採が

始まっている。

これについて、日本第一党瀬戸弘幸最高顧問は自身が賃貸借契約を

結んでいる農地が事業地の隣接地にあるため、反対運動を展開している。

僕も瀬戸顧問に案内されて伺ったことがあるが、まず斜面に生えているはずの

木々が無くなっていることにショックを受けた。

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この斜面、大雨が降ったら土石流が発生するのでは…というのは杞憂であろうか。

「これ、大雨の時は大丈夫…じゃないよね」と話し合ったのを覚えている。

少ないながらもこの周辺には家屋も存在しており

麓には店舗もある。環境影響調査では必ず防災について議論されるはずだが

なぜかしっかり議論された形跡はない。きちんと防災の備えをしていても

昨今の気候は大規模災害レベルである。懸念ばかりが募るのだ。

メガソーラー建設自体が自然環境に与える影響については、全国で議論の俎上に上がり

各地でメガソーラー建設反対運動が起きている最中である。

環境省を始めとする行政は、今一度メガソーラーの安全性について

検証するべきだし、そもそも御神体を侵そうというとんでもない破壊行為は

止めさせて、自然との共生を図るべきだ。それこそわが国が何千年にわたって

受け継がれてきた誇るべき伝統文化であったはずである。