白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

今日は晴れ、暖かい。
今日は本当に暖かい。晴れたし!
綺麗な晴れた日は本当に引き篭もっているわけにゃ
いかねえなこいつは!
そう、晴れの日が嫌いな人なんかいないはずだ。
早明浦ダムの関係者とか、雨量調査の人とか以外は。


と…思いきや。
今日は作業があるんだった…。
せめて図書館とかでやればいいかなと思ったけど
できるだけ配布場所というのは決まっているから
そこに至るまでは余計なとこで配布したくない。
何せ、一番金と労力をかけた今回の号だからな。
そんなわけで、ずっと折っていた。
刺身に菊の花を乗せる作業と同じくらい単調だが
しかしなかなかこだわりが必要だ。
もう1枚増やしたら、ホッチキスで真ん中止めしないとだめだな。

今日の5の2」だが、ううーむ。
段々ラブコメみたくなってきているんだぜ。
小学生にそんなもんはいらん。外で元気に遊んでいればそれでよし!
うちらの時代はまさにそうだったんだ。近くの公園で野球をしてだな
93年にJリーグが発足した時、Jリーグチップスを求めて
あちこちを流浪したりしてたんだ。
その時俺は、すっかり戦争オタクになっていた。
元々は金曜メガテレビという番組でやっていた沖縄戦
人の死体がガケから落ちてくるシーンが衝撃的で
一体日本軍てのはそんなに弱っちかったのかい?
ていうか何でこんなことになっちまったんだ?
と、自分なりに調べてみようと思ったのがきっかけだ。
で、いろいろ本を読んだり、うちの爺さんが下士官だったことが判明したり
まぁいろいろやったが、とにかく日本軍はそれほど弱くなかったことはわかった。
それまでは日本軍は竹やりとか持って、無辜の住民をぶっ殺して負けました。
などという教育を受けていたのを真に受けていたから
それこそ新発見をしたかのように大喜び。軍国少年の誕生だ。
戦艦のプラモを組み立てたり、発砲スチロールの戦闘機を飛ばしたりで
今思えばそこまでとは…と思う。何しろ艦影見ただけで艦名を言うことはできた。
例えば伊勢型の改良前とか、大和と武蔵の見分け方は高角砲の数とか
さすがに海外の戦艦までは無理だったが、しかしそんな少年だった。


中学生になってからはさすがに、家庭用ゲームに移行したがな。
とにかくあの時代は、それが正しい生き方かどうかなんてな
よくわかんねえ時代だった。ていうかそんな殊勝なこと考えてもいなかった。
中学校のテストも今思えば俺は一回たりとも勉強なんかしないで
自分の好きなことだけやっていた。だから成績は悪かったが
だからなんだ、テストなんぞで俺の実力がわかってたまるかい
と歴史の勉強ばかりやっていたら、それが将来役に立つことになろうとはな。


しかしEDのチョイスはいつもいいな。
ノスタルジーを感じさせるぜ。