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日本の対戦車戦はなぜ遅れたか

ハートフルタンクストーリーで大人気のアニメ「ガールズ&パンツァー劇場版」が
発売され、大きな人気を呼んでいる。店舗によってはしばらく品切れの状況が
続くようだ。
そんな「ガルパン」であるが、やはりミリタリーマニアを取り込んだ狙いは大きく当たった。
特に、戦車の特性のみならず、その国々の運用形態にまで踏み込んだのは
実にニクいこだわりといえよう。
戦車大国であったドイツ・ソ連はもちろん、ユニークな運用を行った英国、米国なども
遺憾なく描かれており、それにハマった人も多いのではなかろうか。


さて、気になるのは、わが国の主力戦車であった97式中戦車「チハ」を運用している
知波単学園の扱いである。
97式とあるから、皇紀2597年、即ち昭和12(1937)年に制式された戦車だ。
翌年にはソ連と張鼓峰事件、ノモンハン事件という2つの武力衝突が発生し
近代化されたソ連軍と正面切って戦うこととなったわけだが
わが国の戦車はソ連戦車に太刀打ちできなかったというのが定説とされている。
ノモンハン事件で動員できたのは、ソ連側戦車500両に対し、わが国は70両程度であった。
この数からも、わが国の戦車運用は極めて遅れていたことがわかる。
なぜ戦車運用は遅れていたのか、さまざまな説があるが
・資源不足
・ドクトリンの違い
の2つが大きいであろう。
それでは、ドクトリンとは何であろうか。戦闘を行うにあたっての基本的なスタンスである。
例えば、わが国は現在専守防衛に特化しており、爆撃機保有していない。
そして、万一敵の侵攻にあった場合、どこが戦闘になり、どのような敵を相手にするのか
それに対応するにはどのような兵器を用い、どのような戦い方をするべきなのか
これらをドクトリン(教義)というのである。


ドクトリンを表すのは、教典といわれるものである。
戦前のわが国においては、軍隊を運用するにあたり
「作戦要務令」というものが作成されている。昭和13年10月に発行された作戦要務令
その中の第2部において機械化部隊運用について
述べている箇所があるのでご紹介する。
「戦車を主体とせる部隊にありてはその集結せる威力を最高度に発揚し得べき地形に著意し
もって極力自主的に戦闘を指導すること緊要なり」とある。これはどういうことであろうか。
続いて「敵の戦闘準備なかんずくその対戦車戦闘組織未だ整わざるに乗じ、迅速に攻撃を
決行するは特に戦車を主体とせる部隊においてその特色を発揮するゆえんなり」という。
すなわち、機械化部隊はその機動力を発揮して、敵を奇襲せよと言っているわけである。
なお、その次の項には「機動力異なる各部隊の離散を戒め」とあり
火力を集中させ、敵陣地を粉砕する手法をとっていることがわかる。
また、敵戦車に対する防御戦は、砲兵部隊の支援を受けるということであり
本格的な対戦車戦を想定していないことが伺える。
圧倒的な火力で敵戦車を粉砕し、敵兵を徒歩ならしめるという手法は
典型的な縦深防御であり、攻勢も防御も、ドイツ・ソ連の採用したそれとはまるで逆であるといえる。
ドイツは電撃戦と機動防御を用い、ソ連を壊滅寸前まで追い詰めた。ソ連もまた、対戦車戦を重視し
ドイツに対抗すべくさまざまな戦術を編み出した。
一方、わが国の火砲では、残念ながら米軍どころかソ連を相手にしても装甲を抜くことができなかった。
対戦車戦の要素を早期に加えていれば、また別の戦場が形成されて可能性は十分にあったのである。