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昭和16年(1941) の今日は真珠湾奇襲が行われた日でござる。
日本海軍航空部隊、ハワイ真珠湾を奇襲。
戦艦4隻を撃沈した。
最後通牒が遅れたため、だまし討ちとなった。
さて、先日左右に分けるのはいかんと明記したばかりで恐縮ですが
左右両方の文体で書いてみて、史観の違いを実感してみようと思う。




左派的真珠湾


1941年、現地時間で12月7日。
日本軍は、真珠湾でアメリカ海軍を奇襲攻撃した。
予想もしなかった日本軍の空襲*1により
約3000名の尊い命が失われることとなった。
これには、軍人のみならず民間人も含まれており
改めて日本軍の卑劣さを浮き彫りにさせるものであった。
日本側は、この奇襲について大使館も同じく日曜で休みだったため
出勤していた職員が間に合わず、それで最後通牒が遅れてしまったとしている。
アメリカは「リメンバー・パール・ハーバー」を合言葉に復讐に燃え
日本は悲劇の道を辿ることとなった。
その間、日本軍は各地で捕虜を虐殺し、現地住民への略奪・暴行が相次ぎ
国際的な孤立を深めることとなった。
各地で日本軍に対する怨みは根深く、特に中国や韓国においては
数百万人もの犠牲者を出した。
日本国民にその事実が明らかにされたのは、戦後ずっと経ってからであった。



右派的真珠湾


昭和16年12月8日、連合艦隊は米軍のアジアにおける戦略拠点を奇襲攻撃
戦艦4隻を撃沈するなどの大戦果を挙げた。
アメリカは、「だまし討ちである」との見解を元に国を挙げて
戦争に突入していったが、実はこの攻撃を事前に知っていたことが
ハル国務長官の証言によって明らかとなっている。
また、撃沈された戦艦はいずれも旧式のものであり
最新鋭の航空母艦は既に退避させていたので、国民が参戦に反対であった
立場を踏まえて、日本軍に奇襲させようという米国の意図は明らかである。
日本軍は緒戦で勝利を収め、東南アジアの国々を欧米の支配から解放した*2
その歴史的意味は大きく、我々は英霊の死を無駄と思うべきではない。


数行書いただけでこれほどまでに違うとは驚きだ。
どっちも違和感たっぷりだったが、それにしても誇張しまくるという点では
共通しているなぁ。嘘は書いていない。懐疑的なことは書いているけど。
あと、もの凄く主観的でもある。
まずは奇襲についての是非だが、まぁ確かにアメリカ側が色々と知っていたのは事実。
だがルール違反をしたのは明らかに日本側だから、過ちであることを認める。
しかしながら、真珠湾奇襲の戦後に行われた香港攻撃とマレー上陸は
責められる気配がない。
日独伊三国同盟に基づいての軍事行動*3で認められる*4 んだろうか?
現に第一次大戦において日本は日英同盟に基づいて参戦する際、ドイツに対して
戦線を布告している。これについてお咎めはなかったのだろうか。
日本軍の行動については、未だはっきりとはしない。
現地住民や捕虜に対して虐待や略奪といった軍規違反があったのかどうか。
これについて、なかったとは言えず、かといって大規模なそれがあったとも確認できない。
というのも、戦後責任者は早々に処罰されるか、充分な証拠がないのに処刑されるか
或いはプロパガンダ的な報復が相次いだ上に、日本政府が自虐史観に染まっていたためである。
そのため、検証するのに現在は充分な証拠があるとは言えない。
私は「捕虜や現地住民への虐待はあったかもしれないが、大規模なものはない」
という中立派というニュアンスでお茶を濁しておきたい。
連合国軍にも明らかな戦争犯罪はあったのであり
それが未だ当事国によって承認されていないためである。

*1:当日、アメリカ軍は日曜で休みだった。そのため応戦が遅れた。

*2:インドネシアの独立宣言には皇紀が用いられ、ミャンマー国軍の行進曲には軍艦行進曲が用いられている

*3:日本と同盟国を結んだ独伊は英国と戦争中であって、マレー・香港は英国領である

*4:法的根拠:日独伊三国軍事同盟 第三条 日本國、「ドイツ國」及「イタリヤ國」ハ、前記ノ方針二基ツク努力二附相互二協力スヘキ事ヲ約スル。更二三締結國中何レカ一國カ、現二欧州戦争又ハ日支紛争二参入シオサル一國二依リ攻撃セラレタル時ハ、三國ハアラユル政治的経済的及軍事的方法二依リ相互二援助スヘキ事ヲ約定スル