白雉日報社公式ブログ

日本第一党東北地方の何でも屋さん。

「風立ちぬ」名作に見る宮崎駿の矛盾

スタジオジブリの話題作「風立ちぬ」を先日、さっそく見てきた。
宮崎駿監督が「憲法を改正すべきではない」だの
「日本は韓国に謝罪すべき」だのという発言で騒ぎになっているが
この作品は何を隠そう、零式艦上戦闘機ゼロ戦)の設計者である
堀越二郎を描いたものだ。
同作品では、宮崎駿の思想さえ知らなければ、名作として
持てはやされるものだろう。それくらい、反戦的メッセージが
功名に隠されているのである。
予告にもあったが、堀越の前半生は関東大震災や昭和恐慌
戦時体制下と、大変苦しい時代であったことは当たっている。
しかし、反戦的メッセージは実はそれほど描かれていない。
実際、航空機の開発にあたる際は、民間の企業が勝手にやることは
ほとんどない。帝国陸海軍からスペックの条件を出されて
それに合うように開発が進められるのである。
当時の航空機は、現在と違い旅客機の製造が多くなかったし
軍からの発注はうまくいけば数千機の安定的な製造が可能になるから
かなりのポテンシャルがあるのだ。


同作品では、海軍との打ち合わせでギャーギャー怒鳴る担当者が
出てくるだけで、それほど軍国主義的な描写はない。
むしろ、第一次大戦後の日本の発展の過渡期を描いたものといえる。
逆に、ドイツの反ナチズムを描いたシーンがある。
例えば、堀越らがドイツのユンカース社を見学する場面があるのだが
担当者が「技術はドイツのものだ。日本人は真似ばかりする」と
日本人蔑視を描いているし、ユダヤ人か共産主義者かは
わからないが、私服に追われている場面もある。
ちょっと引っかかったのは、休暇で高原ホテルに滞在している時に
ドイツ人が堀越に向かって、「日本も破裂、ドイツも破裂します」
と警告を発するシーン。このドイツ人は突然いなくなるんだが
顔が大物スパイのリヒャルト・ゾルゲそっくりである。
もちろん、名前は全然別だったが、意味深な語り口と
堀越のことをエンジニアと知っていたことからも
かなりの情報通だと判断できるのだ。


ところで、作品自体の出来はというと、非常に素晴らしい。
零戦の開発秘話はさることながら、イタリア人技術者カプローニ
との夢の中での交流も素晴らしい。
カプローニは1886年生まれ、堀越は1903年だから堀越が
少年の頃、カプローニは技術者としての地位を不動のものに
していた時期である。両者は直接対面したことはないものの
堀越のカプローニへの憧れが、夢の中での交流につながるのである。


この作品では、堀越は戦争への嫌悪も、賛美もない。
ただ彼は「美しい飛行機を作りたい」というだけなのだ。
従って、戦闘機を作ることに何のためらいもないし
あるとしたら「機関銃があるおかげで機体が重くなる」という程度だ。
後に開発した零戦を見てカプローニは「美しい!」と絶賛するが
堀越は「すべてなくなってしまいました・・・」と嘆く。
見る人が見れば、軍国主義への懐古にも映るシーンだが
逆に「戦争さえなければ航空産業は発展していたのに」という
メッセージにも受け取れる。このようなある意味ニュートラルな
立ち位置なのが、本作の特徴だ。
この他にも、メカニックの面で言えば非常に興味深いシーンがある。
「日本の技術は20年遅れている!」と奮起するシーンがある一方で
世界初の航空母艦も描かれているのだ。
厳密にいえば英国のフューリアスが最初の空母だが、同艦は
後に改造されたものであり、最初から空母として建造されたものは
「鳳翔」が世界初である。航空機技術で列強に遅れととっているものの
艦船技術では最先端をいっているというシーンもきちんと描かれている。
にわかミリオタの僕としては、非常に見応えのある作品だった。
皇国史観というか、戦前の帝国を無条件で賛美する作品は萎えるし
反日作品はムカつくからそもそも見ないので
同作品は、ニュートラルに描かれているといえる。


宮崎駿は、反戦主義者でリベラルだが、一方でミリオタなのだ。
宮崎駿の雑想ノート」にはさまざまな兵器が存在するし
ジブリのメカニックは定評がある。
つまり、宮崎駿鈴木敏夫が指摘するように
「戦争反対を唱えながらミリオタであることの矛盾」が
まさに現れているのである。
なので、正直宮崎駿は、政治的発言などするべきではない。
そうしなければ、誰もが楽しめる作品を思う存分つくれるのである。
そういう思いがあるだけに、今作は非常に(思想的な面で)惜しいのだ。